第三十七話・抑えられない
「そろそろ交代だな。ピットインのサイン出してくれ」
レーススタートから三十分が経とうとしていた。
次のライダーである真由美、榊原先生がスタンバイする。
「わくわくが止まらない!」
「彩木さん楽しそうね……私は手の震えが止まらないわよ……」
「せ、先生! リ、リラックしゅだ!」
「ありがとう! 西園寺さんの緊張見たら、手の震えが収まったわ」
そこへ東雲がピットインしてくる。
「先生、無理せずに自分のペースですよ」
「分かったわ。ありがとう、東雲さん」
給油を終えてピットアウトしていく榊原先生。
直後に龍仁がピットインしてくる。
「今気づいたけど、燃料ヤバかったみてえだな」
「ちゃんと計器見ろ。ったく、龍は無駄が多いんだよ。東雲嬢ちゃんの方は計算通りだぞ」
「そんなに違うのか……」
「龍ちゃん、どんまい! じゃあ行ってくるね!」
真由美が元気いっぱいにピットアウトする。
先行する榊原先生は、かなり慎重に走行していた。
「多い……バイクが多い……」
練習走行の時とは違う状況に戸惑う榊原先生。
この状況に若干の恐怖を覚え、慎重に走行せざるを得なかったのである。
「ふんふんふ〜ん♪ 楽しいな〜♪」
榊原先生とは対象的に、真由美はレースを楽しんでいた。
気負いもなく、軽やかにコーナーを駆け抜けていく。
「おっ、うちのチーム紹介みてえだぞ」
ピットに設置されているスピーカーからは、実況や案内が流れるようになっている。
参加チームの紹介も順番にされており、二輪車倶楽部の番が来たのである。
『さ〜て、この二輪車倶楽部は、何と高校生の部活動らしいぞ! 男子一名、女子五名で二チームの参加だ!』
『いまトップを走ってるのが二輪車倶楽部Bチーム。女子三名のチームですね』
『最初のライダー速かったですね! 第二ライダーはかなり慎重な走りです!』
『Aチームの方は現在四位です。最初のライダーは激しい走りでしたね。第二ライダーもスムーズに見えて、かなりアグレッシブですね』
『Aは暴れん坊のAチーム! Bは美少女のBチーム! そんな二輪車倶楽部でしたー!』
「そんなつもりでAとかBとか付けてねえよ……」
「龍兄とまゆちゃんとナナちゃん。確かに暴れん坊チームなのです」
「れな、暴れん坊はやめてくれないか……」
「ナナちゃん、お気持ちお察しするのです。それよりも、美少女に先生が含まれてるのが納得行かないのです」
「確かに。美はともかく、少女は無理があるな」
「東雲さんは美少女だよね〜」
「美少女には違いないのです。って、突然入ってくるな!」
「ごめんよ〜。でも、東雲さんは可愛いよね〜」
「ありがとう、高崎くん」
東雲が居ることに気づかなかった高崎。
東雲に聞かれたことを知って慌てる。
「あっ、いやぁ〜不愉快な思いさせちゃったなら謝るよ〜」
「不愉快ではないですよ。それより、可愛いと思ってくれるのなら、私と付き合ってみませんか?」
突然の申し入れに固まるピットの空気。
「えっ?! ぼくと東雲さんが付き合う〜?」
「はい。いかがですか」
「きゅ、急に言われても〜すぐに返事できな――」
「男なら即断してください。迷っているうちにチャンスは通り過ぎますよ」
「えっ、いや、あの、ぼくなんかと――」
「どっちなんですか? イエスかノーか、はっきりしなさい!」
「イ、イエスです〜」
「わかりました。これからよろしくお願いしますね」
引きつった笑顔の高崎に、満面の笑みを向ける東雲。
二人のやり取りが終わり、固まったピットの空気が溶けていく。
「わ、わたしたちは、何を見ていたのだ……」
「ナナちゃん、これはカップル誕生の瞬間なのです……」
「あらぁ、何か唐突に決まりましたねぇ」
「お嬢……後で説明してくれないか……」
「やるじゃねえか健児」
「青春してるとこ悪いんだが、そろそろ交代の準備してくれ」
「交代にはまだ早いと思うのです」
最初のライダーチェンジから、時間にして十五分ほど経ったところだった。
レース前の話では、三十分を目安に交代する事になっていたはずだった。
「予定じゃそうなんだけどよ、どうも先生が限界っぽいんだわ」
「そうですね。ラインから何から全く安定していません。早めの交代に賛成です」
「タイムのバラツキも激しいしぃ、そうした方がいいですぅ」
「美春と東雲嬢ちゃんもそう思うか。よし、健坊! 先生にピットインのサイン出せ!」
藤田社長に言われ、サインボードを持ってプラットホームへ急ぐ高崎。
そして、ホームストレートを通過していく榊原先生にサインボードが見えるように持つ。
通過した榊原先生が第一コーナーへ入る。それと同時に高崎がピットへ戻ってくる。
「だ、だめだよ〜、先生サインボード見てなかったよ〜」
「なにっ! 思ってたよりヤベえかもしれねえな」
「わたしも行こう。とにかく先生に見てもらわねば」
「七海は次走るんだろ。俺が行く」
高崎と龍仁がプラットホームへ急ぐ。
龍仁が手を振り、高崎がサインボードを振ってアピールする。
しかし、榊原先生は顔をこちらに向けることなく通過していく。
「ささっち! これ持って!」
龍仁にサインボードを渡した高崎がTシャツを脱ぎだした。
右手にタオル、左手に脱いだTシャツを持ち、榊原先生が来るのを待つ。
最終コーナーにフラフラと走る榊原先生が現れた。
龍仁がサインボードを振り、高崎は飛び跳ねながらタオルとTシャツを振り回した。
通過していく榊原先生のヘルメットが、龍仁の方へ向いたのが確認できた。
「健児、先生こっち見たな」
「うん。ちゃんと見てたよ〜」
「よし! ピットで待つぞ」
「見てくれて良かったよ〜」
ピットへ戻り皆んなに報告する龍仁。
それを聞いてスタンバイする麗奈。
ピットに安堵の空気が流れた。
「高崎くん、お手柄よ」
「えっ、いや〜ぼくは何もしてないよ〜」
「そんな事はありませんよ。決断、行動力、お見事です。さすがは私の彼氏ですね」
「あっ、あ、ありがと〜」
再びピットの空気が変わる。
ついさっき誕生したばかりのカップル。
そのやり取りにまだ慣れていないのである。
そんな空気を元に戻す龍仁の声。
「来たぞ!」
「先生! あと少しなのです!」
ピットへ戻ってきた榊原先生。
倒れかけるバイクを南藤が支える。
崩れるようにバイクから降りる榊原先生。すかさず西園寺が抱える。
「高崎くん! そこのチェアーを寝かせてベッドにしてください」
「わかった〜」
「それが終わったら水分と氷を!」
東雲の指示でテキパキと動く高崎。
西園寺に助けられながら、何とかチェアーに辿り着く榊原先生。
高崎に渡されたスポーツドリンクを飲んで横になる。
その間に麗奈がピットアウトしていた。
「先生、大丈夫ですか? 具合の悪いところはありませんか?」
「ありがとう、東雲さん。走り出したら、何だか訳わかんなくなっちゃって」
「初めてですから仕方ないですよ。よく頑張ったと思います」
「いやぁ〜先生情けないねぇ〜。ちょっと落ち込んじゃうわ……」
「先生は情けなくないと思うぞ! 不慣れな競技で一生懸命走った先生は立派だ!」
「西園寺さん……ありがとう」
「そうだ、先生が元気になりそうな情報を教えなくてはいかんな」
「西園寺さん。何の情報かな?」
「実はだな、つい先程、高崎と東雲が、正式に付き合うことになったのだ」
「なぁ――んですって――!!」
「思った通り、元気になったようだな」
「ちょっと二人! こっち来なさい! どうやって? どっちから告白したの? 告白の言葉は何ですか――!」
元気を取り戻した榊原先生に、西園寺、東雲、高崎で、二人が付き合うことになった経緯を説明した。
西園寺は説明しながら、榊原先生は説明を受けながら、心の中に湧き上がる衝動を感じていた。
身近にカップルが誕生した。その現実が二人に与えた影響は大きかったのである。
もっと、もっと龍仁に気持ちを伝えたい。その気持を抑えることが出来なくなる二人。
果たして、衝動のままに伝える気持ちは、龍仁に伝わるのだろうか。
その答えを知るには、まだ走り続ける必要がありそうである。
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