第三十話・差し出された手

 波乱万丈な夏休みが終わり、新学期が始まる。


「みんな席につけ!」


 トレードマークの竹刀を手に百瀬先生が教室に入る。


「全員無事に新学期を迎えられたことを嬉しく思う。今日から新学期の始まりだ。これからも宜しく」


 新学期の挨拶を終え、今後の予定を簡単に伝える百瀬先生。


 百瀬先生の話が終わった所でこの日は帰宅となる。新学期初日は授業も何もないのが白羽学園である。



「佐々川、ちょっといいか?」


「どうしたんですか、百瀬先生」


「榊原先生から簡単な報告は貰っているが、レース参加について聞いてもいいか?」


「もちろんです。何か問題でもありましたか?」


「いや、問題は今のところない。だが、心配はある」


「ケガとかですかね」


「それはもちろん心配だが、私が心配しているのは部活費だ」


「そうですね……今はおやっさんの援助があるからいいんですけど、今後レースをしていくには部活費では足りませんね」


「実績のない部活動の予算は少額だからな」


「正直、考えが甘かったですね」


「そこでだ、社会勉強も兼ねてスポンサー探しなどやってみたらどうだ」


「スポンサー探し?」


「商店街などに声をかけて資金援助をお願いするんだ」


「そんなこと出来るんですか?」


「だから、社会勉強を兼ねてと言っている。やってみて損はないと思うがな」


「わかりました。皆んなと相談してみます」


「何かあれば相談に乗る。遠慮するな」


「ありがとうございます」



 百瀬先生に礼を言って部室へと向かう龍仁。


 週末にサーキット走行できるよう藤田社長が手配してくれていた。


 その打ち合わせで部室に集まることになっている。




「龍ちゃん遅かったね」


「あぁ、百瀬先生と話してたら遅くなっちまった」


「何かあったのです?」


「それは今度みんなに相談する。今日は、週末の練習走行について打ち合わせだ」



 前回と同じサーキットを走れるので、走り方などビデオを観ながら確認する。


 それぞれがコースの走り方、操縦技術の意見や質問を出し合う。



「大体こんなとこかな」


「これで少しは速く走れるかな〜」


「高崎、無理は禁物だぞ。焦らなくて良いのだからな」


「そうね。先生としては、タイムよりも安全を優先してほしいわ」


「先生、成長したな」


「佐々川くん……この間のことは反省してますから……」


「先生、冗談だよ」


「その笑顔に惹かれるのよね……」



 週末の打ち合わせが終わり、この日の部活動はここまでとなる。


 それぞれに不安などはあるが、レース結果を気にせずに楽しむという方針が、少し心を軽くする。


 それからも週末に向けての勉強会は行われた。


 バイクに興味が無かった麗奈や真由美が、日を追うごとに積極的になっていく。


 それは、二輪車倶楽部の一体感を高めていくことに繋がっていた。


 その中で、高崎だけは未だに不安と緊張に包まれている。


 そして、練習走行の週末がやってきた。




「さて、安全に速く走るのです!」


「れなちゃん、気をつけて走ってね」


「大丈夫なのです。無理はしないのです」


「そうだねぇ、バイクは壊れてもいいけどぉ、ケガしないようにねぇ」


「お嬢、バイクが壊れるのも困るんだが……」


「ダメなのぉ?」


「正直、あんまりスペアパーツないから、壊さないでくれると有り難いな」


「わかった。壊して南藤を困らせないよう努力しよう」


「じゃあ、そろそろ始めっか!」



 龍仁の一声で全員コースインの準備に入る。


 タイム計測は南藤が受け持つことになっている。

 

 今回は藤田社長が、知り合いから四台のビデオカメラを借りていた。


 これで各人の走行する姿を撮影できる。


 一台は美春が手持ちで撮影し、三台は藤田社長がコースに設置した。


 準備が終わった所で麗奈と真由美がコースへ出る。


 軽く一周流した所でタイム計測に入る。



「勉強会の効果だろうか。れなも、まゆも、前回よりスムーズに見えるな」


「七海もそう思うか。無駄な力も入ってねえみてえだし、やってきたことは無駄じゃなかったな」


「イメージトレーニングだと先生も上達してるわよ」


「おっ、イメージすんのは良いことだぜ」


「そう〜? もっと褒めていいわよ〜」


「イ、イメージか。わたしもやってみよう……」



 そこへ麗奈と真由美がピットインしてくる。



「どうです? 少しは速くなってるです?」


「二人とも速くなってるよ。このタイムなら、レースでも見劣りしないんじゃないか」


「本当に? 嬉しい〜! 努力して良かったね、れなちゃん」


「ちょっとホッとしたのです」


「じゃあ、次は先生と七海だな」


「佐々川くんのために頑張ってくるわね!」


「倶楽部のために頑張ってくれ……」



 榊原先生と西園寺がコースイン。


 先の二人と同じく、前回よりもスムーズな走りを見せる。


 特に、榊原先生の上達ぶりには目を見張る物があった。


 まだ西園寺のほうが速いが、その差は前回よりかなり縮まっていた。



「どうですか! 先生頑張ったでしょ!」


「本当に頑張ったな。こんなに速くなってるとは思わなかったぜ」


「油断してると追い越されてしまうな」


「七海も速くなってるじゃねえか。いい感じだったぜ」



 龍仁に褒められて、デレデレでクネクネ状態の二人。



「ナナちゃんまで先生の領域に入らないで欲しいのです……」



 そんな二人を尻目に龍仁と高崎が準備に入る。


 龍仁は普段と変わらぬ様子だったが、高崎はかなり緊張しているように見える。


 そんな高崎の様子に誰も気付いていなかった。


 コースインして三周目までは何事もなく走行する二人。


 龍仁は順調にタイムを伸ばし、今日の一番時計を叩き出していた。


 一方の高崎は、前回のタイムよりは速くなっていたが、前を走る龍仁に大きく離されていく。



「こんなんじゃダメだ……もっと、もっと速く走らないと……」



 そう思った高崎は、第一コーナーへの進入で、ブレーキングポイントをいつもより奥に取った。


 しかし、それは高崎の限界を超える結果となった。


 十分な減速が出来ずにコーナーへ進入する高崎。


 焦った高崎は思い切りブレーキレバーを握る。


 フロントタイヤがロックする。


 グリップを失ったフロントタイヤは横へ滑り出す。


 次の瞬間、バイクは高崎の制御を離れて飛んでいく。


 転がるように飛んでいくバイクがフェンスに当たって止まる。


 高崎が、バイクの後を追うように転がっていた。



「健児!」



 南藤が高崎の居る第一コーナーへ走り出す。


 それを見た残りのメンバーも走り出した。


 ミラーで高崎の転倒を見ていた龍仁も第一コーナーへ向かう。


 真っ先にピットを飛び出した南藤が第一コーナーに駆けつけた時、高崎は倒れたままだった。



「おい! 健児! 大丈夫か!」



 南藤の呼びかけに目を開ける高崎。



「高崎! わたしが見えるか?」


「あっ……ぼく、コケちゃった? そうだ、バイク……バイクは大丈夫なの?」


「バイクのことはいいのよ。高崎くんさえ無事ならそれでいいのよ」


「坊や、どこか痛いところはあるか? 手足は動くか?」



 少し遅れて藤田社長が到着した。



「ちょっと、左肩が痛いかな……」


「頭はどうだ?」


「頭は大丈夫みたい……」


「意識はしっかりしてんな。大事にはなってねえようだ」



 そんな高崎に麗奈が近づく。



「なにやってんのよ!」


「あっ、麗奈ちゃん……ごめん……」


「無理すんなって言ってたでしょ」


「うん……でも、ぼくが遅いと迷惑かけちゃうから……」


「そんなの仕方ないでしょ。初めてなんだから」


「でも、ぼくが遅いせいで麗奈ちゃんに迷惑かけたら、また麗奈ちゃんに嫌われちゃう……」


「はあ? あんたのこと嫌ってないわよ。あのこと許してないだけよ」


「え? 嫌われてないの?」


「本気で嫌ってたら、とっくに追い出してるわ」


「そうなんだ……よかった……よかった……」


「なに泣いてんのよ! あんたも大事な仲間なんだから、こんな事でケガなんてしないでよね」



 そう言って高崎に手を伸ばす麗奈。



「ほら、つかまりなさいよ。医務室行くわよ」


「うん……」


「一応俺が病院連れてくから。美春、あとは任せたぞ」


「はぁい。お父さん、高崎くんよろしくねぇ」




 全員がヒヤリとする転倒だったが、幸いにも高崎に大きなダメージはないようだった。


 転倒してしまった高崎だが、その表情は走り出す前より穏やかであった。


 麗奈に仲間として認められていたことで、心の重荷を外せたのだろう。


 これを機に、麗奈と高崎の関係性が少しは良くなるかも知れない。


 そしてこの関係性の変化が、龍仁を巡る恋愛事情にも影響を及ぼすとは、誰にも想像できなかった。

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