第二十九話・微妙な距離
夏休み最後の日に部室へ集まる龍仁たち。
藤田社長が、前回のレンタル耐久レース、初心者クラスの映像を提供してくれた。
今日は、そのレース映像を見ながら勉強しようと集まったのである。
「こないだの自分たちの走り、ビデオに撮っとくんだったな」
「ごめんね。先生の不手際だわね」
「謝んなくていいって。今度は撮れるようにしようぜ」
「実際のところ、タイム的にはどうだったの? れなちゃんが一番速かった、って言うのは聞いたんだけど」
「確かに麗奈が一番速かった。俺と真由美と七海がほぼ同タイムだ」
「わ、わたしは遅かったのかしら……」
「先生と健児もそんなに離されてねえよ。それと、初めてなんだから、タイムはそんなに気にするなって言われたよ」
「でも〜、あんまり遅いと迷惑かけちゃうよ〜」
榊原先生と高崎が、不安そうな表情で龍仁を見る。
「レースまでに、あと二回はサーキット走れる。そこで何とかしようぜ」
「そうだな。そもそも、今回のレース参加は慣れるためなのだろう?」
「そうなのです。レース結果はどうでも良いのです」
「あぁ、そうだ。くれぐれも、タイム勝負したりしないでくれよ」
四人が下を向いて静かになる。
「ところで龍仁。バイクの方はどうだったんだ?」
「俺は特に問題なかったな。他はどうだ?」
「わたしは問題なかったよ」
「問題らしい問題はなかったように思う」
「麗奈も大丈夫なのです」
「そうね。走り出してしまえば、足届きにくい問題も関係なかったわよ」
「何が問題なのかも分からないよ〜」
高崎以外は問題無さそうである。
「じゃあ、バイクの方はあれでいいかな」
「今度はぁ、わたしがビデオ撮るねぇ」
「藤田、頼んだぜ」
そして、レース映像を観ながらの勉強会が始まった。
初心者クラスではあるが、速いと思えるライダーも何人かは居た。
しかし、ほとんどは龍仁たちと変わらない、むしろ遅いと思われるライダーも多かった。
このビデオを観ることで、みんなの肩の力が少し抜けたようである。
「先生でもやれる気がしてきたわよ」
「わたしたち、気負いすぎてたみたいね」
「レースを楽しむ気持ちでいいのかもしれないな」
「ナナちゃんの言う通りなのです。楽しむのです!」
「そうだな。もう少しリラックスしていくか」
とにかく、今は安全にレースを楽しむという事で意見が一致した。
そんな中で、高崎の表情は少し思い詰めたようにも見えた。
「じゃあ、今日はここまでにしとくか」
「そうね。明日からは新学期ですからね。皆さん、遅刻したりしないでくださいよ」
「色々あった夏休みも、今日で終わりだね」
「みんなのおかげで、実に充実した夏休みだった」
「明日からまた頑張るのです!」
こうして夏休み最後の部活動を終えた二輪車倶楽部。
レースまでに不安なことはあるが、今のところ順調である。
「ねえ、龍ちゃん」
「どうした?」
「この後、お茶してかない?」
「二人でか?」
「二人きりは嫌?」
「ちょーっと待ったー! 先生も連れてきなさいよ!」
「ま、まゆ。わ、わたしも一緒に行ってよいだろうか?」
「麗奈も行くのです」
「待て待て待て! 俺は用事があるから先に帰る! お茶はみんなで行ってくれ!」
そう言うとバイク置き場へ走り去る龍仁。
「あら、逃げられちゃったわね」
「誘うタイミング間違えちゃったかな」
「まゆちゃん、あれでは全員に聞こえてしまうのです」
「しかし、まゆはスゴいな。わたしには真似できないな……」
勝負でデートに誘う優先権を賭けていた四人。
龍仁に注意されたことで反省していた。
そして、四人である取り決めをした。
それは、誘える時に誘ってもよい、というものである。
もちろん、これで俗に言う抜け駆けが発生するのだが、それは当たり前のこととして全員が納得した。
西園寺以外の三人は何度かアタックしてみたが、未だ成功したものは居ない。
「合同デートの後から、何となくそう言うの避けられてる気がしない?」
「彩木さん、鋭いわね。先生もそう感じていたのよ」
「麗奈は前々から言ってるから、あまり変わりないのです」
「合同デートでやりすぎてしまったのだろうか?」
「ナナちゃん、何したのです?」
「い、いや、その、ちょっと、せ、背中から……抱きついてしまったのだ……」
「七海ちゃん、やるわね。わたしは普通にアスレチックしただけよ。大好きだよって何回も言ったけどね」
「ふふっ、わたしと比べたら大したことないわね」
「そう言えば、先生は龍兄になにをしたのです?」
腰に手を当て胸を突き出す榊原先生。
「このDカップを触らせてあげたのよ!」
嘘では無いが、真実とも違う報告をする榊原先生。
二人が驚愕の眼差しを向ける。
「ま、まさか龍ちゃんがそんなこと……」
「……さ、触ってもらうのが良いのだろうか……しかし、この胸では……」
「先生。詳細を話すのです。龍兄が喜んで胸を触るとは、考えられないのです」
麗奈は冷静に分析していた。
そして、榊原先生は全てを話していないと判断した。
「え、いや、それはですね――」
榊原先生は、何もかも見透かしたような、麗奈の真っ直ぐな視線に負けて、全て話した。
その内容に一安心する三人。
「で、でも! 触れたのは本当なんですからね!」
「た、確かに……わたしの胸だと気づかれないかも……」
「ナナちゃん、大丈夫なのです。ゼロではないのです。ナナちゃんよりも、麗奈のほうが……」
「れな!」
「ナナちゃん!」
泣きながら抱き合う麗奈と西園寺。
「それはさておき」
「先生、さておかないでくださいよ」
「人生、先に進むことも大事だわ!」
「分かったから続きを話すのです」
「合同デートのあと、何となく今までと距離感が違う気がするのよ」
「わたしもそう思います」
「龍兄の心情に、何か変化があったのでは無いかと、そう思う麗奈なのです」
「それは良いことなのか? まさか、嫌われたりとか……」
「七海ちゃん、それは無いわね。部活中とかは今まで通りでしょ?」
「た、確かに今まで通りだ。嫌われてはいないと言うことだな」
不安な表情から解き放たれる西園寺。
「先生が思うには、これは良い兆候なのかと」
「先生、それはどう言うことだ?」
「西園寺さんには良く分かるんじゃないかしら。佐々川くんは、きっと照れているのよ。もしそうなら、恋愛感情が芽生えてきた可能性があるわよ」
「だとしたら、ライバルだらけのこの状況も、悪いことだけではないですね」
「ライバルがこんなに、しかも身近にいるのは、決して悪いことでは無いのです?」
「佐々川くんには、良い刺激になってるのかもしれないわ」
この後、喫茶店に場所を移し、女子会を続けた四人であった。
そのころ展望台に、一人でベンチに座る龍仁が居た。
コーヒー缶を片手に、深い溜め息をつく。
「どうしたもんかなぁ……」
その表情は、困り果てていると言う表現以外に、当てはまる言葉がない。
「みんなの気持ち聞いて……何とも思わなかったってのはマズいよなぁ」
照れてなどいなかった。
どうやら、恋愛感情の芽生えはまだ無さそうである。
「今度、南藤にでも相談するか。他に頼る相手いねえしな」
心の声になるべき言葉が、次々と龍仁の口から飛び出してくる。
周りに誰も居なかったため、不思議な人と思われずにすんだ龍仁。
コーヒー缶が空になったタイミングで帰る龍仁。
相棒の心が分かるかのように、バイクのエンジン音が、いつもよりも静かに聞こえた。
総合的に考えて縮んだように思える龍仁との距離感。
四人の恋する乙女たちは、少し遠くなったと考えた。
それは恋愛感情の芽生えではないかと、前向きな結論に達した。
しかし、龍仁には恋愛感情の芽生えはなかった。
恋愛感情の芽生えはなかったが、何も感じなかった自分に目を向け始めた。
五人の距離には、まだ大きな変化は訪れないようである。
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