夜の訪れ②
◆
不吉を孕んだ黒雲の如き疑念の靄がシルファの胸に広がっていく。しかしシルファの表情筋はその動揺、疑念を欠片たりとも外へ漏らす事はなかった。
「はい、分かりましたわ、お父様…」
◆
「グランツ、アニー。お父様の様子がおかしいのです」
冒険者ギルドへ向かう道中、シルファは同行していたグランツとアニーに告げた。
それは相談というよりは独り言の様であった。
2人もそれは空気で察したか、黙ってシルファの話を聞いていた。
「何がどうおかしいかと聞かれれば…これと言い表す事は難しいのですけれど…気質が変わってしまったといいますか…」
まず、流行り病かもしれない、と自身で言及しているにも関わらず、薬は不要、癒師もまた不要というのが不審だ。
シルファの父であるオドネイは一言で言えば謀事に長けた人物である。
かといってオドネイが陰湿な気質であるというわけではなく、気質で言うならば寧ろ陽気に溢れている。
分かりやすく言うならば賢く、そして明るい。
その明るさは素直さにも通じ、体調が悪い様だから癒師にかかってはどうか、という娘の提案を拒絶するというのは彼らしからぬ事であった。
更に言えば臆病だ。
慎重とも言う。
よって、少し調子が悪いくらいでも無理はせず、悪調が続くのであれば癒師を呼ぶなど、自身の体調を常に気遣っている。
「お館様から感じる魔力はどうだったのです?」
アニーが尋ねた。
魔力とはその者の魂の影である、と言った術師がいる。
まさにその通りで、本人固有の魔力波動を偽る事は出来ない。
だがシルファは否定の意を込めてゆっくり首を振った。
感じた魔力は紛れもなく父のものであったからだ。
そうですか、と何かを考え込む様に黙り込むアニー。
その瞳には思案の波が揺れていた。
グランツもまた考え込むが、その思考の矛先はシルファの父の様子についての懸念ではなく、仮に…そう、万が一“何か”が起こった場合の立ち回りに向いている。
グランツとアニーはロナリア伯爵家に仕える護衛騎士であり、厳密に言えば2人の主はオドネイとなる。
しかし、シルファが幼い頃からその友人として、長じてからは護衛として付き合ってきたという事実は、グランツとアニーの家族愛混じりの忠誠心をシルファただ1人に向ける一助となっていた。
だから何かが、そう、有事があればグランツとアニーはロナリア伯爵家ではなくシルファにつくだろう。
しかし、オドネイの様子が少しおかしいからといってグランツが“有事”を警戒するのは過剰に過ぎる反応ではないだろうか。
だがその過剰な反応にも理由がある。
そもそもここ最近、シルファの身辺では剣呑な事態が散発的に発生している。
王都近隣の森でもそうだった。
本来あの森にグレイウルフなどという魔獣は存在しないのだ。
――悪意を持つ誰かが誘引したに違いねえ
グランツはそう判断している。
あの時、黒髪の青年が、死にたがりの…血泪のクロウが現れなければグランツとシルファは殺されていただろう。
――あの時俺達は森の調査依頼を受けた。依頼主は中央教会の司教、ゼラ。そしてゼラとお館様は長年懇意にしている関係だ
◆
やがて3人は冒険者ギルドへ到着した。
時刻はまだ朝の時分で、ギルドのロビーには仕事を探す冒険者達が掲示板をみあげていたり、仲間達と何か相談をしていたりといった光景が広がる。
何とはなしにシルファが周囲を見渡す。
グランツやアニーもシルファが誰を探しているかにすぐ気付いた。
だが黒髪の青年は見当たらない。
グランツはクロウの不在を何となく心細く思った。
なぜならこの陰鬱な謀略、ややこしい状況にクロウとあの禍々しい魔剣を巻き込めば、それこそ暴力でどうにかしてくれそうであったからだ。
グランツは比較的モノを考えるタチではあったが、それでも根が単純であるため冒険者にありがちな暴力信仰に染まっている。
彼の脳裏にはいまだにクロウの姿が焼け付いている。
嗤いながらグレイウルフを虐殺していったクロウの姿。
無表情のままに野盗達を嬲り殺していたクロウの姿。
クロウとはグランツの中では暴力の化身であり、そして暴力に長ける冒険者とは彼の中では佳き冒険者なのだ。
◆
シルファは条件の良い依頼を探す素振りをして、さりげなくギルド受付嬢のアシュリーにクロウの事を聞いた。
なぜ率直に尋ねないのかといえば、それは彼女自身も自覚していない乙女心とやらに聞く必要があるだろう。
「クロウ様はここ暫くは依頼を受けておらず、修練場で訓練をしておりますね。今は銀等級のセイ・クー様と鍛錬しています」
クロウとセイ・クーは以前難敵を相手に共闘した事があり、それからというもの共に鍛錬をする事がしばしばあった。更には両者共に金等級冒険者、『百剣』の異名を持つザザという男から剣を学ぶという共通点があり、それが2人の仲を深めていた。
余談だがこの2人については胡乱な視線を投げかける者が少なくない。それはセイ・クーの容姿にある。
セイ・クーは間違いなく男性なのだが、それはあくまで生物学的に男性と言うだけで、外見だけで判断するならば男性と断言するには彼は些か過ぎるほどに“麗し”過ぎるのだ。
シルファ自身もセイ・クーとクロウの胡乱な噂を耳にした事がある。
勿論彼女はそのような根拠もない噂に踊らされるほど愚かではないのだが、それでもやや落ち着かない気持ちになるのであった。
◆
それはさながら死を齎す白銀の流星であった。
虚空に煌く銀の点は瞬く間にクロウの眼前に迫り、細く、しかし鋭い牙がクロウの額を穿たんとする。
目を大きく開いたクロウは素早く首を傾け白銀の死を免れた。星に見えたのは細剣の切っ先である。
星が迫り、クロウがかわす。
このやり取りが計3度続けて行われた。
4度目は無かった。
3度目の突きの後に細剣が引かれるのと同時に、クロウがすり足で迫り、セイ・クーの顎の下に短剣を突きつけた。
愛剣は腰に佩いたままだ。
セイ・クーは長い睫毛を着飾る美しい両眼を瞬かせ、やがて片手を上げた。
降参の合図であった。
「殺す積もりで、と言われたからその積もりで突いたのだけどね。実力に差がついちゃったのかな」
セイ・クーは首をかしげ、白哲の相貌に苦笑を浮かべながら言った。
「来ると分かっていればね。急にやられたらかわせなかったと思う」
クロウが答える。
しかし、実力の部分は否定しなかった。
セイ・クーも当然それに気付くが、特に抗議はしない。
剣の腕こそセイ・クーが上だが、殺し合いならクロウが輪をかけて上だ。その事は2人とも気付いている。
だがクロウが今求めているのは体系立った戦闘技術であった。野生と生存本能、そして自己にすら矛先が向く殺戮の本能だけで勝利できる相手ばかりではない事にクロウは気付いた。だからこそより鋭い牙を求めている。
強力な権能を持つ剣を持つのだから、それに頼ればいいのではないか、と思う者もいるかもしれない。
確かにクロウは自身の愛剣が大きな力を持つ事を理解しているが、その力が有限のものである事も知っている。
それは100の内30の力を行使したから残りは70…というような明白に分かるという事ではなく、もっと曖昧な領域での理解だ。
例えば先の戦い…下魔将オルセンの乾坤一擲の雷拳を愛剣の権能で止めた時、同じ事は2度出来ない事をクロウは感得していた。
死闘を超えれば超えるほどに愛剣が内包する力は肥大化するが、それでも現時点の話だけで言うならば無理を有理とする程に巨大な力かといえば疑問が残る。
――彼女は成長する剣なんだ
――それなら、俺も彼女を使うに相応しい剣士にならなければいけない
クロウの心情として、“ヒモ”は真っ平御免であった。
メンヘラといえども最低限の男の矜持というものがある。
セイ・クーの洗練された剣術は参考になる部分も大きく、ここ最近のクロウは彼と鍛錬を共にしている。
セイ・クーもクロウの頼みに快く応えた。
彼としても今以上に成長したいと考えており、そのためには強者との手合わせが効率的である事くらいは分かっているからだ。
ちなみにシャル・アはこの日は別件で鍛錬には参加していなかった。ドゴラは森だ。彼は用がないかぎりは王都近くの森で過ごしているという。
◆
さてもう一戦、と2人が構えたところで、クロウとセイ・クーの視線が修練場の入口に向かった。
そこには彼等の良く知る少女が立っていた。
シルファ・ロナリア。
グランツやアニーも一緒であった。
「なにかあったのかな?少し表情が暗いように見えるけれど」
セイ・クーの言葉にクロウは同意した。
――お金か、人間関係の悩みかな
クロウは内心思うが、基本的にネガティブな彼といえども、シルファがもってくる相談事があそこまで血に塗れたものになるとはこの時点では欠片も思っていなかった。
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