2章・第13話:穢れし熊を殺してあげたけれど

 ■


 ━━あんまりだ

 ━━酷すぎる

 ━━誰がこんな事を


 クロウとてこの世界で冒険者として生きてきた。

 魔物化した獣と戦った事も何度もある。

 だが、目の前のコレを魔物化した熊等といってもいいものか。


 ━━良い訳がない! 


 そう、こんなもの、誰かが手を加えなければこんな姿にはならないのだ。

 魔物化というのは別にその生物の姿形が異形化するというわけではない。

 魔力を扱う冒険者は異形化しているだろうか? 


 つまりそういうことだ。

 魔力を扱うようになり身体能力を向上させた獣を魔物という。

 グレイウルフが良い例だ。

 あれも魔物だが、決して異形と化した存在ではない。

 外見だけ見るなら狼の姿を崩してはいない。


 ましてや、穏和だったのに急にこんな化け物に変わるなんて……誰かが何か悪意ある真似をしなければこんな事にはならないのだ……


 ■


 熊が力任せに腕を横に薙いだ。

 クロウは前髪が風で揺れるをの感じながら、その一撃を体を反らす事で回避する。

 通常ではそこまで成長し得ない程に伸びた前腕の爪は、坑窟の岩壁をガリガリと抉った。


 力一杯に振るわれた腕が空振りしたのだ。

 相応の隙がそこには生まれる。

 だが、その隙を見てもクロウは剣を振るおうとはしなかった。

 正確に言えば出来なかったのだ。

 殺し合いの場では許されざる余計な事を考えてしまっていたから。


 それは、相手の身を慮ってしまう事。

 クロウはこの期に及んで悪意ある改ざんを加えられた熊をどうにか出来ないか、正気を取り戻させる事は出来ないのかと考えてしまっていた。


 これまでのクロウならばそんな事を考えたりはしなかっただろう。

 自分を殺しうる力を持つ存在に対して、自殺願望というエネルギーをボウボウと燃やしながら、馬鹿みたいな力を発揮して相手を八つ裂きにしてしまったに違いない。


 だがそういう対応は、クロウの心の余裕の無さを表している。

 然るに今のクロウは余裕が出来ている。

 出来てしまっている。


 ■


 いつもとは違う。

 燃える様な何かを感じない。

 死にたくならない。

 いつも感じるアレがないのだ。


 崖の下を覗き見れば真っ黒な炎が燃え盛っている……そこへ飛び込まんとする時のゾクゾクするようなアレが、今は無い。


 クロウは己の変調を自覚しながらも、その原因を特定出来ないでいた。


 あるいはそのままクロウが変調をきたしたままであれば、彼は望まない形での死を遂げる事が出来たかもしれない。

 しかし、クロウがそれを許したとしても……クロウを愛する魔剣コーリングがそんな事を許すはずもなかった。


 ■


「痛ッ!」


 クロウが剣を握る手から血が流れている。

 反射的に手を離そうとするも、手は柄から離れない。

 それどころか腕が勝手に動き、雑だが力強い一閃を熊に見舞う。

 愛剣の一閃は熊の鼻先から右眼を切裂き、血飛沫が舞った。


 返り血はクロウにもふりかかり……その血の温かさがクロウの注意を引く。

 そして一瞬の正気を取り戻したクロウは思わず熊の顔にまじまじと見入ってしまった。


(血だ。熊の目から血が流れている。まるで涙の様に)

(熊は、泣いている)

(こんな姿になってしまった自分を儚んで泣いている)

(殺してくれと俺に懇願しているのか……?)

(分かった……それなら俺はお前に殺されてやるわけにはいかないね)

(俺は馬鹿だ。お前の嘆きに気付けなかった)

(殺そう! お前を助けたい。だから、殺そう! いま……)


 ━━すぐに


 ■


 異形化した熊はなるほど、確かに銀等級2人の冒険者を屠るに相応しい力があったのだろう。

 クロウが先にさらっとかわした前腕の一撃は、並大抵の使い手では視認すら出来ない速度で振るわれていた。

 だがそれでは全く足りていない。

 キマったクロウを殺すには全く足りていない。


 結果だけを言うなら、クロウは熊を一刀両断にして屠りさってしまった。

 熊には視認すら出来なかったに違いない。

 風がひゅるると剣が描いた軌跡に吸い込まれていった。


 もし吟遊詩人が今のクロウの一振りを見たのならば、空を斬っただの宙を斬っただの、風を斬っただのと謳われている【空斬り】レイネを連想しただろう。余りにも素早く、鋭く振るわれる剣撃は、形のあるものは元より形の無いものですら斬ったという。

 初代アリクス国王の愛人だったとかなんだとか……その手の話で今もよく唄われる人物だ。


 まあ、クロウの振るったそれが空斬りの一振りだったかは定かではないが、それほどに鋭い一閃だった事は間違い無い。


 ■


 クロウは討伐証明の証にその牙を圧し折り、ポーチへ入れた。

 そして熊の死骸に手を合わせ、死骸を坑窟の外へえっちらおっちらと引っ張っていく。

 せめて埋めてやらねばクロウの気がすまなかったのだ。

 偽善なんだろうなとは思ってはいたが、クロウはどうにも悲しくて仕方なく、自分でも分かっている偽善を止める事ができなかった。


 ■


「獣で試して上手くいけば、次は人間を使おうと思っていたのだけど。こんなの1匹に殺されちゃう様なら実験は失敗かな」


 熊の死骸を引っ張りながら坑窟を出たクロウを、一人の女が出迎えた。

 黒く長い髪は夜でもその艶が分かる程に美しい。

 顔立ちは切れ長すぎる目がやや気になるが、この世界の基準で言うなら整っていると言えるだろう。


 だがやはり特徴的なのはその肌の色だろうか。

 彼女の肌は青かった。

 クロウの知る限り、その様な肌色のヒト種は見た事がない。


「貴女がこの熊に何かをしたのかな」

 クロウが女の言った事を無視して質問をした。


「獣はそもそも相性が良くないのかしら。お前で試してみようかな。お前ももっと強くなりたいでしょ? 長生きしたいでしょ?」

 女もクロウの言った事を無視して質問をする。


「貴女がこの熊に何かをしたのかな」

 クロウがもう一度聞いた。


「お前、話聞いてる? 殺すよ?」

 女が少し苛立った様に威嚇する。

 するとクロウは屈みこみ、カッと目を見開いたまま死んでいる熊の死骸の目を閉じてやりながら再び口を開き、先ほどと同じ質問をした。


「貴女がこの熊に何かをしたのかな」


 女が黙っていると、クロウは何度も質問を繰り返した。


「貴女がこの熊に何かをしたのかな」

「貴女がこの熊に何かをしたのかな」

「貴女がこの熊に何かをしたのかな」

「貴女がこの熊に何かをしたのかな」

「貴女がこの熊に何かをしたのかな」

「貴女がこの熊に何かをしたのかな」

「貴女がこの熊に何かをしたのかな」

「貴女がこの熊に何かをしたのかな」

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