2章・第3話:血泪のクロウ


馬車はゆっくり街道を進んで行く。

レイは結局あれから話しかけて来なかった。

ジリアンやアタランテはそんな彼を訝しげに思い、どうしたのか訊ねるもレイは口を開かない。

クロウの言葉が頭で何度も反響していた。


“次は許してくれないかもしれないから”


許してくれなかったらどうなるというのだろうか?

だがレイには最早それを問いただす気力など欠片も残っていなかった。



「皆さん。何か来そうだ。準備をした方がいい。ジャドさん、敵意のあるものが近付いています」


突然クロウがそんな事を言い出すと、ジャドは驚きクロウをまじまじと見る。そして馬車から顔を出し、周囲を見、御者へ怪しい人影はないか確認を取った。


御者はかぶりをふる。


「クロウさん、確かですか?」

ジャドがクロウへ確認すると、クロウは静かに頷いた。


だがジャドが見る限り、焦っている様子などは欠片もない。

銀等級の余裕と言う奴だろうか?

いずれにせよ、備えておく必要がある。


「レイ、ジリアン君、アタランテちゃん、危険が迫っているみたいだ。クロウさんの指示に従うように!」


3匹の雛鳥は緊張した面持ちで頷き、クロウの事をじっと見た。


「馬車は停めましょう。横転させられたら危ないし…。数は多そうだけど、余り死にたくならない。大した事なさそうです」


━━死にたくならない…?


3人揃って首を傾げる雛鳥達をみて、かわいい奴らだな、とクロウはほんの少しだけ笑顔を浮かべた。




クロウに敵感知の特殊な能力があるとかそういう訳ではない。

銀等級、中でも上澄みの者なら雑に殺気を撒き散らして近寄ってくる敵手の気配くらいは察知して当然というだけの話だ。


クロウの知人で言うなら、シャル・アあたりならクロウの倍以上の距離を、クロウよりずっと正確に察知できるだろう。



胸の昂ぶりはない。

きっと自分は何かが変わってしまったのだ、とクロウは思った。

だが、先ほどのヒヨコ達の様子を思うと、最低限彼等を守るくらいはしようと剣に力を込める。


停止した馬車に寄りかかり、風でサワサワとそよぐ街道沿いの木々を見る。

只でさえ穏やかな気持ちが、美しい自然の営みで更に穏やかになってしまった。


だが気配から察するにそろそろやってくるだろう。

何とか話し合いで解決は出来ないものか、そんな日和った考えすら頭に浮かぶ。


案の定やってきたのは薄汚い革鎧を身に纏った男達だった。

汚い歯を見せつけ、にやにやと薄笑いを浮かべている。

その数は多い。

最低でも20人は居るだろう。

かわいそうに、ヒヨコ達はすっかり震え上がってしまっている。


男達の中でも一際大柄な男が歩みでて大音声で叫び散らす。

男の名はヤマ。

元々はこの街道で乱暴狼藉を働いていたのだが、黒屍と呼ばれる者達に追い出される形で別の地域で活動していた山賊団だ。

目の上のたんこぶが居なくなった事を知ったヤマは、部下達を引きつれ古巣へ戻って来た事になる。


「2度は言わねえ、女と馬車を置いてけ。逆らったら全員ぶっ殺してやる!こっちは20人はいるぞ!反抗したって無駄だ!」


━━殺す!?

━━俺を殺す…

━━全員、殺す…



言われて見ればそうだった、とクロウの頭に血が逆流していく。

20人とはとんでもない数だ、多勢に無勢も良い所。

クロウだって全身を鋼鉄の皮膚で覆っているわけではないのだ。刺されれば痛いし、場合によっては…死ぬ!


━━そう、死ぬんだ

━━彼等は…俺を殺せる!


「あんた達は…俺を殺すのか?俺だけじゃなくて、そこの彼等も…殺すっていうのか?女の子を置いていかなければ…逆らえば皆殺しにするって言うのか…?」


クロウは俯いて震えていた。

それは恐ろしい事だった。

レイ、ジリアン、アタランテ、そしてジャド。

みんなみんな優しくていい人達だったのに、殺されてしまう。

アタランテは可愛らしい少女だ。

殺されるだけでは済まないだろう。


それなら守らねば。

命に代えてでも、守らねば。



「おいおい!コイツ震えてやがる!どうした?泣いてる…の…か…?あれ…?なんだ、こりゃあ…」


ぶるぶると。

身体の震えが止まらない。

周りを窺うと、震えているのは自分だけではなかった。

部下たち、そして目の前の若造の仲間達も震えていた。


「ジャドさん、レイさん、ジリアンさん、アタランテさん。短い間でしたが、世話になりました。貴方たちの事は命に代えても守ります。どうか逃げて下さい」


「ク、クロウさん!?」


ジャドは悟った。

クロウは死ぬ気だと。

会ったばかりの自分達の為に、命を投げ出そうとしている。



クロウは山賊たちへ語りかけた。


「待たせて済まない。別れの言葉を伝えるのを待ってくれていたのか。案外良い人達なんだな。でも殺す。その代わりに俺を殺せ。一緒に死のう」


ヤマはもう何がなんだかわからなかった。

目の前の若造はやばい。

それだけは分かる。

絶対に戦うなと本能が告げている。


というかあの身体はなんだ?

奴はあんな…身体だったか…?



クロウの肉体は一回り肥大化していた。

筋肉の隆起だ。

目の前に差し迫った(と思いこんでいる)死への恐怖に、普段は使われていない能力のリミッターが外れたのだ。


だが、これまでのクロウはこれ程の変貌を遂げる事はなかった。

なぜこうなってしまったのか?

それは虚ろなる者を黒剣で貫いた時、かの大エルフの魔力を黒剣が可能な限り吸収してしまったからである。


そして主人たるクロウへそれを回した…

魔力は身体能力を増加させる燃料でもある。

今のクロウはもはやかつてのクロウとは比較にならない。


もし今のクロウが、以前相対した赤角と再びまみえる事があったなら、勝負にすらならないだろう。

最初の10秒でクロウが赤角の首を引き千切って終わりだ。


これだけならただ単純にクロウが強くなってよかったね、で終わる話だ。

しかし彼の愛剣はクロウを危機から守りたいと思っている。

強くなったクロウでさえも命が危ぶまれる程の修羅場で、クロウを助けたいと思っている。

だからそんな修羅場を呼び寄せる、作り出そう…と考えている。

それが護剣であり魔剣である彼女の愛の形なのだ。



1人目は山賊団の頭目であるヤマだった。

クロウがフッと消えると、次の瞬間ヤマの頭からピュウピュウと赤黒い血が吹き出ていた。

いや…頭から、ではない。

首からだ。


胴体がゆっくりと倒れ込み、とごろんと頭が転がる。

その表情はぽかんとしたものだった。

唇がうにうにと動いている。

眼もぎょろぎょろと辺りを見回してる。

そしてすぐに動かなくなった。


ヤマは首を千切り飛ばされてもなお死んだ事に気付かなかったのだ。


クロウはヤマの頭を持って、胴体の方へゆっくり歩を進めた。

戦場は凍りついてしまっている。

誰も何も話そうとしないし、動こうともしない。


衆人環視の元、クロウは跪いてヤマの頭をそっと胴体の首の部分へ置いた。


吹き出る血の暖かさに、クロウは命の尊さを知る。

そしてそっと手を合わせ、見知ったばかりの山賊の頭目の死を悼んだ。


それから眼を見開き硬直しているヤマの手下たちに向かって言った。


「さあ。続きだ。俺があんた達を殺したら、俺がその死を悼む。だからもしあんた達が俺を殺したら、俺の事を悼んでくれ」


クロウはもうかつてのように死が差し迫っても狂奔したりはしない。


精神的に一皮剥けたのだ。

剥けてしまったのだ。


山賊たちはもう助からない。

助かるためにはクロウを殺すしかないのだが、仮に殺せたとしても彼の愛剣が許してはくれないだろうから…



4半刻後。


そこには20体の死体と血を浴び、涙を流すクロウの姿があった。


クロウは泣いていた。

落としてしまった山賊の命を惜しんで。

そして落とせなかった自分の命を疎んで。


この日以降、クロウは彼にとって非常に不名誉な2つ名を授けられる事になる。


血泪ちなみだ】のクロウ。


自分でぶっ殺しておきながらそれを哀しみ、自殺願望まであるという頭のおかしい狂人の異名である。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る