フィンレイ&ソードオフ

鷹羽 玖洋

フィンレイ&ソードオフ

0. Introduction

地球原種ゲノム探査の銀河系人類社会における貢献と展望

 研究施設の一角に、小さなカフェラウンジがある。人々は実験のあいまに訪れては香茶こうちゃ片手の小休憩や友人との議論、展望窓に広がる惑星の景観を楽しむが、薄暗い隅に掛けられた一枚の絵を気にする者は少ない。

 理由はひと目でわかる。複製品の絵画は寸法も小さく、復元もとデータの低解像度のおかげで、輪郭もひどくぼやけてしまっているからだ。生命学バイタロジーの最先端をゆく研究所に飾るには、およそ似つかわしくない精度と言えた。……と、言える。

 だが一度でもじっくり鑑賞すれば、人はこの絵の真の価値に驚き、胸打たれることだろう。

 鬱蒼と茂る熱帯の原生林は神秘を隠して青暗い。鮮やかな黄色の裸身をさらす老若男女がほのめかす、原始的な人間の一生。生まれ、老い、死ぬ。背後にたたずむ信仰。それは神話か、物語か? 幻想。そして画面左端には旧時代の言語でこう記されるのだ――我々はどこから来たのか、我々は何者か、我々はどこへ行くのか?

 巨匠の名はポール・ゴーギャン。旧暦19世紀後半、地球に存在したフランス共和国に生まれた偉大なる油彩画家である。

 詳細な個人記録は、原画同様すでに真空の塵と還った。彼が描き、絵に込めた想いは断絶され――残念ながら、断絶された過去に葬られたが、しかしながら現代に生きる我々は、この問いかけに対する明快なひとつの解答を、誰もが自らの血肉に感得している。

 我々は太陽系からやってきた。我々はDNA遺伝型有機生命体、今のところ星間航行技術を有する唯一の高次知的生物であり、故郷を破壊し、新たな大地を得、天の川銀河全域に拡散繁栄する途中にある。

 ……あー、途次のほうがいいかな? 銀河系全域に拡散繁栄するにある。うむ、こちらのほうが賢そうだぞ。ゲッフン。

 うー、人類が〈代替の地球ALTER TERRA〉、ソロル系第一惑星Alterraアルテラに降り立ち、銀河連合が発足してから350年あまり。

 光速の壁を突破する超空間航法の完成は銀河世界を狭め、特に二つ目の問い、『我々は何者か?』に関する知見は爆発的速度で蓄積されてきた。大気や磁場によって保護された地球の優しい生物圏から解きはなた――いや、自らの首を絞めて放逐された人類が、はるかな時空を超え遭遇したのは、それまでの常識を覆す異形のモノたち。生物、もっと言えば生命とは何かという有史以来の難問に答えるため用意された、宇宙の一大コレクションであった。

 具体例ならば枚挙にいとまがない。ご存知、隣星ガイアの生物はD型アミノ酸が主成分だ。今ではXNA生物発見も真新しいニュースにならない。バンデカンプのホットジュピターには膜融合型の単-多細胞周期性生物がおり、オカザキ暗黒星雲の遊色断片生物群は真空下で進化してきた。

 構成単位が細胞である、代謝を持つ、自己複製する、系が熱力学的に定常状態を保つ――地球生物の知識のみから打ち立てられた生命の定義は、もはや古かった。地球生物は、銀河系にあふれる多様な生命現象のほんの一部にすぎなかった。ひと昔前、第三次恒星間探査時代に宇宙の実態を目の当たりにした科学者たちは感激し――そう、熱狂的に興奮し、生命を汎銀河的な視点で再定義すべく、あらゆる天体に息づく生命体の探査と研究に勢い乗りだしたのである。

 その結果が――カオスであった!

 生物学新時代の幕開け! 鳴り物入りで生命学などと名称まで変え、学問範囲を大幅に拡張したはいいものの、近年は広げすぎて医学や化学どころか情報科学、天体物理学、惑星気象学その他もろもろとの境界さえ曖昧になっている。

 意図せず生じた人工知性体A Iや、情報ネットワーク上に自立出現するデジタルウィルスの生物としての可能性を論じる輩はまだ大脳が退化していないほう。このところ、我がアルテラ生命学研究所A I V Rを賑わせる話題をご存知だろうか? なんと全球で免疫反応を示すガス惑星の存在に関する論文だ。おお、神よ!

 この混乱。まるでディーテ市の生物幻覚剤ビオドラッグとびかう乱痴気騒ぎとかわらない! 生命の概念について、人類は銀河というパンドラの箱を開けてしまった。ところが神も呆れるだろう、箱から飛びでた災厄を喜んで分析し、もてあそぶのが人間という生き物だったのだ……。はあ。

 ――生命の定義は今、混迷を極めている。

 問い直すべきは『我々は』ではなく、『我々は』ではないだろうか。生命とは何かを知るため、人類は出発地にたち返る必要があるのではなかろうか。

 今一度、箱を覗きこんでみるべきだ。底に何が残っている? 忘れ去られたもの、あるいは母星殺しという大罪を思い出させるために、顧みられることのないもの――われわれ人類が破壊した地球原産の生物たち。彼らをこそ希望と呼ぶのだ!

 地球崩壊から二億五千万年の時が過ぎた。超空間航法の数式に組み込み損ねた、たった一つの定数のために、人類はそれぞれの脱出船の集団ごとに、銀河中の異なる時間、異なる宙域に現出することとなった。これまでの私の研究では、大離散した人類が銀連に再発見・統合されるまでに、人とともに地球を脱した生物たちがさまざまな変貌を遂げていることがわかってきた。

 穀物や一部の家畜等、有用と判断された種以外は事故的に、または何らかの理由で意図的に宇宙船に乗せられた。組織片やデータのみ残存する生物種もおり、運よくアルテラ人祖より先に放浪生活を終えた人々の星からは、別種に進化した生物の報告も受けている。いまだ寄る辺を発見できず、宇宙の虚空を漂う船に眠る種もあるだろう。それら地球原産種を探査、回収、分析し、データベースを作成することが研究の重要な第一歩となる。

 いつの時代も科学は――いやまぁ、地球崩壊前の歴史資料は多くが失われてしまってるけども――複数の異なる事象を比較し、共通の本質を探ることで進歩してきた。地球産生物の詳細なデータは他の宇宙生物に対するよい比較対象として、生命の包括的な理解への手助けとなるだろう。

 ……にも関わらず、私の崇高な志を理解せず、懐古主義だの単なるコレクターだのと影で揶揄する愚か者がいるのも非常に腹立たしいことである!

 地球原種の再分析は、けっして個人的な蒐集心しゅうしゅうしんを満たすための趣味ではない。できあがる目録は、今は亡き故郷へ捧げるノスタルジックな抒情詩などでは断じてない! ……そうとも、地球生物博物館を作りたいというのはだな、ちょっとした、おまけの、私の些細な夢だ。

 ああ、しかし嘆かわしい、時代は私の研究の重要性をまるで理解しようとしない!

 大衆の話題の的は、常に未知の生物種の発見・研究だ。それも人間社会に有用なやつにかぎるときた。おかげでどんな企業も団体も、基礎科学に対して公平であるべき政府ですら私への研究費を出ししぶる。はるか昔に制定された地球遺産条約なぞ、ぜんぜん機能していないし――そ、そうだ。しまった。私は来期の研究費獲得のための原稿を作っていたんじゃあないか!

 いかんな、また途中で熱が入って……(ピコピコとPC操作音) 駄目だこりゃ、修正しなくては。もっと格調高く、恨み節など含まず――うう、面倒な。

 だいたい、いつも言葉でうんぬんするよりは可愛らしい地球生物の画像でも見せてやったほうがとおりがいいのだよ。銀河系へ進出してまで数値や理屈より視覚の印象で騙されるのだから、まったく人間の内面的な進歩のなさといったら哀れむべき――いや、私はけっして我が後援者たちを騙してなどいないがね、うむ。

 ともかくプランBだ。なにかこう、インパクトのある画像がいる。とはいえ直近のゲノム分析は小型の鉱食爬虫類のものだしな。あれはどうにも見た目がエイリアン……。

 おお、そうだ。

 まえに保留しておいた……あれがいいかな、あれが。もしあの生物に地球原種の可能性が出てくれば来期は安泰だぞ。やっつけでもいいわい、さっそく組織片の入手を頼むとするか。

 味方などいないと思ったが、そう、あの二人は別だった――彼らは実によく働いてくれる。熱心だし、危険をものともしない。まぁたまに、死にかけただのと文句もうるさいが。

 おおーい、フィンレイ、ソードオフ!

 どこにいる、ただちに出頭するのだ! ちがう、なに、特別賞与ボーナス? 雇い主の研究費も危ういのに出るわけなかろう! つまりお前たち銀河広域派遣員レンジャーの給与の危機でもあるということだぞ! 毎度毎度同じことを、よくも飽きずに聞くものだな。

 理解したか? よろしい。対象の調査資料はお前たちの端末に送っておくから、きちんと目を通すこと。それでは二人とも、速やかに仕事にとりかかるように!


(ある日の教授の音声変換テキスト記録から、一部抜粋)

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