第30話 【季刊誌 クランポン 2003年春号】
(山岳カメラマンへのインタビュー記事より一部抜粋)
――記者A「今回も素晴らしい写真ですね。これどこですか? 僕も行きたいです」
――カメラマン「それが場所は言えないんです(笑) ここ結構事故とか行方不明者が多いみたいで、毎年かなりの数の死人が出ているくらいには危険な場所なんです。この雑誌の読者さんが真似して行っちゃうとマズいんで、ここだけのオフレコってこと
で」
――記者A「えっ、死人でてるんですか!? それは怖いですね。そういうことなら分かりました。知る人ぞ知る場所って事にしておきましょうか。僕は後でコッソリ聞きますが、読者の皆さんは絶対に突き止めようとしないでくださいね(笑)」
「関連する箇所といえば、これくらいでしょうか」
「なんだか少し腹立つな。特に(笑)の部分」
「そうですね。時代を感じます。ですが今はそれは置いておきましょう。私が気になるのは毎年死人が出ているという部分です」
「確かに気になるよな。今まで事故だとか、そんな記事は特に見かけなかったけど。少し調べてみるか」
「そうしましょう。何か分かるかもしれません」
他に何か見落としがないか、律は目を皿にして探していたが結局他には何も見つけられなかったようで溜息を吐いて雑誌を閉じる。
「後で雑誌を借してもらえないか受付で聞いてみようかな。しかし、こんな場所で手がかりになりそうな情報が手に入るとは予想外だったな」
「そうですね。一日中図書館に籠もっていては決して得られなかった情報です。今日は来て良かったですよね?」
「あぁ、佐田のおかげだ。誘ってくれてありがとうな」
昼食前のキャンセル未遂事件を皮肉るかのような刺々しい口調で律が口撃する。
それに対して、大地は困ったように苦笑しつつも素直に感謝を表明する。昨夜の時点では約束を確約していたわけではないので、大地は約束を違えたわけではない。そのため内心では少し腑に落ちないとは思ってはいた。だが今はどのような情報でもありがたいし、スイーツに関してはもっとありがたかった。来て良かったと思っているのは事実である。
「いえいえ、どういたしまして。ですが大室君がどうしてもと言うのならば、本日のお礼を受け取ることも吝かではないですよ?」
また何か妙な事を言い出したなと思いつつも、大地は神妙な顔で律の真意を問いただす。
「何だ? 何をすればいいんだ? 飲み物でも買ってくればいいか?」
「いえ、そういうのではなくて」
「じゃあ、食べ物か?」
「それはそれで大変嬉しいのですが、今は何か違います」
「その口振りだと目当ての何かがあるんだろ? はっきり言ってくれ」
煮え切らない律の返事に焦れた大地が問いかけると、律は暫し逡巡した後、ぼそぼそと口ごもりながら要求を行う。
「その、我々は友人ですし、そろそろ次のステップにですね……」
「つまり?」
「……お互い名前呼びを解禁するというのはどうでしょうか?」
「無理だ」
先を促されつつも、なんとかやっとの思いで言葉を紡ぎ出した律に、大地はきっぱりと否定の言葉を突きつける。
「なっ……何故ですか!?」
「いや恥ずかしいし。というか、まだ出会って間も無いだろ。名前呼びはまだ早い。知らなかったのか? 異性の名前呼びを許されるのは三親等以内の親族か、三年以上の付き合い、もしくはパートナーとしての交際事実と届け出が必要なんだぞ。法律でそう決まっている」
「そ、そうなんですか? それは知りませんでした。そうでしたか……無理を言ってしまい申し訳ないです」
驚愕の事実を知ったとばかりに目を見開いて唖然としていた律は、すぐに大地に謝罪をする。今まで周囲に自分の事を名前呼びしてくれる異性の友人は居なかったし、自分もしたことは無いため知る由も無かった。自らが一般常識に疎い自覚はあったものの、世間にはそのようなルールが存在していたのかと律は自らの不明を恥じる。
しかし、何かがおかしいことに気付いた律は考えに耽る。そもそも自らが名前呼びを意識した契機は何だったか。結芽が大地を名前で呼んでいるのを羨ましく思ったからではなかったか。その結芽は大地の言っていた条件に当てはまるか? 否である。
「……いえ、待ってください。さては嘘ですね? いくら私に友人が居ないとはいえ騙されませんよ。そもそも出会って初日に先輩が名前で呼んでいたじゃないですか。大室君、あなたは何故そんな嘘を付くのですか?」
「いや、すまん。まさか信じるとは思わなかった」
「危ないところでした。巧妙な嘘は止めてください」
「巧妙……だったか?」
大地のあからさまな嘘を見破った律は、袖で額の汗を拭うかのような身振りをして得意げな顔を浮かべている。
大地はそんな律を暫く白い目で見ていたものの、すぐに立ち上がり律に移動を促す。
「まぁいいや。ほら、休憩はもういいだろ? もう少し登ろう。次はもうちょい難易度上げていこう」
「ちょっと待ってください。話はまだ済んでいません」
「無理だと言っただろう。諦めてくれ」
「何故ですか。相田先輩は大室君を名前で呼んでいるのに、何故私は駄目なのですか」
律が憤慨しながら大地の背にそう声を掛けると、大地は立ち止まり物思いに耽る。
「本当だ。意識したこと無かった。何でだろうな? まぁアレだ、きっとキャラクター性とか雰囲気とか、何かそんなんだろう」
「なんですかその曖昧な理由は。ズルいです。大室君は年上好きなんですか? 年上なら良いんですか? 年齢差別は良くないです」
「まぁまぁ落ち付けって。いずれ、な。いずれは名前で呼ぶから。それより、せっかく来たんだし、今はボルダリングやろうぜ。ほら、アレとかどうだ? 中々チャレンジングな課題で面白そうだろう」
「いずれっていつです? 何年何月何日の何時何分ですか? 地球が何回周った時ですか?」
「小学生みたいな問答は止めろ。いずれはいずれだ。ほら行くぞ」
大地はそう言い残すと律を省みることなくずんずんと進んでいく。
律は頬をこれ見よがしに膨らませながらも渋々と大地に追従する。しかし、すぐに大地の背後でにやりと悪どく微笑む。
「待ってください、大地君。私はあちらの壁に挑戦してみたいです、大地君」
その後、律は語尾や会話に大地の名前を盛り込む戦略を採用した。
それに対する大地の反応は、苦々しいような気恥ずかしいような複雑な心持ちであった。しかし、自らが名前で呼ぶのと比較すれば、まだダメージは少ない。それに、どうせすぐ飽きるに違いない。少しの辛抱だ。この時点での大地はそう考えていた。
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