第5話
「趣味と呼べるかは分からないけど、実は俺不思議なモノが好きなんだ」
大地は照れ臭そうに頬を掻きながら告白する。しかし、律は大地の反応など全く意に介した様子もなく、さらに深掘りしようと前のめりになって問いただす。
「不思議なモノ……ですか? 随分と抽象的ですね。それは具体的にどういったモノを指していますか?」
「いや、そんなハッキリとした対象があるわけではないんだ。まぁ色々だ」
大地がまだ幼かったある時、家に居づらくなった際に偶々訪れた小さな神社。そこに在った様々な事物が、なんとなく大地の琴線に触れた。狛犬がカッコいいだとか、神社特有の静謐な雰囲気が好ましい、神社の由来が面白かった。最初はそんなものだった。
しかしそれを切っ掛けにして、大地のそんなものの対象範囲は瞬く間に広がっていった。神社を見れば成り立ちや御祭神の由来が気になった。神話や伝承も興味が湧いたら片っ端から調べた。そこから派生して、関連する様々な事柄に興味を持った。土地の成り立ちや、地域に根付く不思議な逸話や伝承を求めて郷土資料館に通い詰めたことも一度や二度ではない。他にもオカルトや都市伝説、オーパーツ、未確認生物等に関しても興味は尽きない。要は〝不思議なモノ〟全般が好きなのだ。
得られた情報を考察し、妄想に浸る時間が大地の余暇の大部分を占めるようになるのは時間の問題であった。しかし神社や神話はともかく、オカルトや都市伝説に傾倒する様は人から見れば少しだけ幼稚に映るかもしれないかもしれない。だがそれでも、大地にとってのそれらは大地という人間を構成する重要な要素の一つであった。
大地は当時抱いた感情に思いを馳せるかのように遠い目をしながら訥々と言葉を紡いでいく。話しながら『そうだ、そうだった。元々はそんなものだった』と自分で自分の言葉に納得するかのように何度も頷く。ある意味では自身の情熱の源泉とも呼べるそれらについて、しかし現在では自己の内部で微妙に燻っているそれらの話を大地は赤裸々に吐き出す。
しかし一息付いてふと顔を上げてみると、自分のことを微笑まし気に見つめて頬を緩めている者の存在に気付く。
あまり良く知らない者に、いやむしろ、良く知らない者だからこそ心情を吐露出来た、不本意にも出来てしまった。あまりにも青臭く熱弁してしまったという事実に、大地は羞恥で顔が熱くなるのを自覚すると、直ぐに表情を引き締めて空咳をすることで気恥ずかしさを誤魔化す。
その心中を察した律は、すかさず質問を重ねることで大地の気を逸らす。突っついてみたいという気持ちも無くはない。しかし、ここで茶化すことは悪手であると考え、悪戯心を何とか呑み込む。今はまだ距離を詰める段階であるからだ。
「ところで大室君は実際に何か、それ関連の活動をされたりはしていますか?」
「単に自主的に調べたり、現地に実際に見に行ったりするくらいだな」
「遠くにも行かれるのですか?」
「あぁ、そのためにバイクの免許を取ったくらいだからな。講義もバイトもない時には、大抵は神社仏閣とか歴史遺構を訪ねて散策をしている」
「ならば自信を持ってください。それは立派な活動ですし、純然たる趣味です」
胸を張り自信満々に断言する律とは対照的に、大地は自身無さ気に口を開く。
「そうだろうか? ちゃんと学んだわけではないから別に詳しいわけではないぞ。歴も浅いし。これで趣味と名乗るのは些か烏滸がましいんじゃないか? 本当に詳しい人からしたらニワカもいいところだろうし」
「好きならそれで良いではないですか。歴や知識の多寡なんてどうでも良いのです。心や生活に潤いを与えてくれる存在。それこそが趣味です」
薄く微笑む律は穏やかに、しかし反論を許さないほどに強い断定口調でそう締め括る。
律は内心で歓喜していた。大地の興味の対象を突き止めたことで、ただのクラスメイトから友人への昇格を果たしたに違いないと確信したからだ。しかし、まだ手は緩めない。進展の余地は未だ残されている。現に今の大地は無防備であった。律による肯定を得て大地のガードは下がった。不審者に向けるかのような猜疑心に満ちた視線は既に消え去っている。今ならば容易に多くの情報を引き出せる。
「ところで話が前後しますが、要するに大室君はその趣味に没頭した結果、講義に集中出来なくなってしまっているというわけですね? では、仮に私が……」
その瞬間、律の会話を遮って、どこからともなく声が聞こえる。
「話は聞かせてもらったよ!」
ふわふわとした頼りないその声の発生源は向かいの席の背もたれの裏側であった。今まで姿が見えなかったその人物――小柄な女――はその場で勢い良く立ち上がると、演技がかった不敵な笑みを浮かべる。
律にとっては初めての、しかし大地にとっては本日二人目の、不審者の登場に二人は顔を見合わせて溜息を吐く。
「どちら様でしょうか? 盗み聞きとは随分と良い趣味をしていますね」
「……佐田は人のことを言えないからな?」
大地の言葉を右から左に受け流した律は、音も無く一瞬にして不審者と距離を詰め、その短躯を両手で抱え上げる。今まさにという場面で自身の目論みを潰されたという恨みもあり、不審者への対応に容赦は無い。まるで鬱憤を晴らすかのように小柄な女を前後左右に小刻みに揺らす。
「ぎゃー。やめて、酔うから止めて。高いから、怖いから」
「あなたは何者ですか?」
「それも説明するから。お願いだから一旦降ろして?」
律に抱えられ、足をバタバタさせている小柄な女は泣きそうな顔で懇願する。律はどうしたものかと大地に視線をやるが大地の反応は鈍い。
大地は全く別のことを考えていたからだ。それは俄かに現れた不審者のことではないし、勿論講義やその他のことでもなかった。
大地は今まさに律の体幹の強さに深く感じ入っていた。いくら小柄な女相手とはいえ、人一人を軽々と持ち上げて尚揺るがぬ体幹を持つ律は只者ではない。バイト先のジムで筋トレを習慣としている大地には容易に理解できた。律には高身長故の体格の良さだけでは説明できない力強さが漲っている。
「佐田、今気付いたんだけど、お前良い体してるんだな」
「何ですか、いきなり。そういうエッチなのはまだ早いです。もう少し時間を掛けて適切な手順を踏んでからにしてください」
怪訝な表情を浮かべた律は、しかし満更でもなさそうな態度で大地に自制を促す。一方、自身の発言が誤解を招きかねないものであったことを理解した大地は、慌てて言葉を重ねて訂正をする。
「いや、違うんだ。そういう意味じゃない。服の上からだと判りづらいけど、意外と筋肉質なんだなって思ったんだ。何かやっているのか? その感じだと相当鍛えているんだろ? なぁどうなんだ?」
「……は?」
したり顔で誇らしげだった律の表情が俄かに険しくなる。
「いいですか、大室君。例えどんな意図があろうと、異性の容姿や体型について安易に話題にするのはマナー違反です。ましてや畜産動物の肉質を品定めするかの言い方など論外にも程があります。何が『なぁどうなんだ?』ですか。完全にセクハラですよ」
「俺はそんなつもりじゃ……。いや言い訳だな。すまない。その……ジムでバイトをしているせいか、どうにも筋肉が気になって。本当にすまない。軽率だった」
確かに先程の発言はダメだったかもしれない。大地はハラスメントに対する自身の認識の甘さを理解し、律に深く頭を下げて誠心誠意謝罪する。
「まぁ今回は多めに見ましょう。ですが今後は気を付けてくださいね。ところで、なぜそこまで筋肉に執着がおありなのですか?」
先程までのピリピリとした空気が弛緩つつあることを肌で感じた大地は、しかし油断せずにそっと律の様子を窺うかのように慎重に口を開く。
「……いいか? スタイルの良さや容姿に関しては、その大部分が親の遺伝や生まれ育った環境が物を言うだろう? だが筋肉は違う。筋肉は自身の努力無しには絶対に身に付かない。謂わば純然たる努力の結晶だ。勿論、才能や人種の差が無いとは言わない。だが、生まれや経済力、容姿、その他のあらゆる要素と比較しても努力の占める比重がかなりデカい。筋肉は限りなく平等なんだ。だからこそ尊い。にもかかわらず日本人は筋肉を軽視しがちだ。ダイエットと言えば無理な食事制限ばかり。これは本当に良くない。適度な運動で筋肉をつければ、無理なく……」
律は軽々に大地に話題を振ったことを後悔し始めていた。まさか大地が筋肉フェチであったとは予想外であった。しかし、このまま延々と喋らせるわけにはいかない。目の前の不審者の処遇を話し合う必要があるからだ。大きく溜息を吐いた律は、丹田に力を込めて意気込み、会話に無理に割って入る。
「理解しました。大室君が筋肉好きだと言うことは十二分に理解できました」
「お、おぉ? そうか分かってくれたか」
まだ語り足りない大地は熱冷めやらぬ様子で落ち着きのない返事をする。その浮ついた態度の大地を見て、不意に律の脳裏に閃きが走った。これは良い機会なのではないか。そう感じた律は一計を案じ、大地にしれっと質問を投げかける。
「では、ついでにお尋ねします。筋肉質な女性についてはどう思われますか? 勿論、異性としてです。世間一般の考えではなく、大室君自身の見解をお願いします」
「? どうも何も良いに決まっているだろう。筋肉質ってだけで既に最低限の人格が担保されているようなものだからな。努力家で、計画性があって、忍耐強い。おまけに健康的で、肉体的に均整が取れていて美人である確率が高い。良いことづくめだ」
「なるほど。おやおや? そういえば確か、大室君の見立てによると私は筋肉質……なんですよね? ということは?」
望み通りの答えが得られたことで律は内心ほくそ笑む。しかし、その内心を表に出すことなく、むしろ無知を装って演技がかった口調で大地に疑問を投げかける。
「……」
「何でしたっけ? 努力家で、計画性があって、忍耐強くて、健康的で、均整が取れている美人……でしたっけ? そうですかそうですか、大室君は私のことをそのように見ていたのですね。いやはや、そこまであからさまに持ち上げられては照れてしまいますね」
多少変則的ではあるものの大地から賞賛の言葉を引き出した律は満足気に微笑むと、居丈高に戯けて見せる。その笑顔は花が綻んだかのように華やかな、見るものによっては蠱惑的な、笑顔であった。
「…………俺は最低限の人格は担保されていると言ったんだ。最低限は、な」
言葉に詰まった大地は自縄自縛に苦しみながらも負け惜しみを言い放つ。
自身の言葉によって窮地に追い込まれたものの、だからと言って前言を撤回することは出来ない。それは自身が筋肉に対して抱く絶対の信仰を裏切ること、ひいては自身の努力すら軽んずることに繋がる。それだけは出来なかった。
故にせめてもの負け惜しみで被害を最小限に押し留めた。しかし、律はその努力を一笑に付す。
「ふふ。素直じゃないですね。まぁ今日のところはそれで許してあげましょう」
その時、二人のやりとりを間近で眺め続けていた小柄な女が、会話の切れ目を狙って白けた口調で口を開く。
「……あのぅ、そろそろ降ろしてもらって良いかな? あと、私一応先輩だからね?」
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