第3話

 最も混雑する時間帯が過ぎ去り、どこか気怠い雰囲気の漂う閑散としたカフェテリア。その入り口で、律はキョロキョロと周囲を見回しては全身で大仰に感動を表現していた。


「ここが……カフェテリア。ついに……、ついに使用する機会が訪れました」

「もう四月も半ばなのに、まだ使ったこと無かったのか?」


 大地がフッと頭に浮かんだ疑問をそのまま口にすると、律は俄かにいきり立ち、強い口調で大地の言葉に反論する。


「なんと残酷なことを言うのですか。私のような独り者がカフェテリアに入れるはずがないでしょう。誰もが友人同士で楽しく談笑している中で一人でボソボソと食事を取るなんて地獄です。そんなことをすれば後ろ指を刺され嘲笑の的になります」

「被害妄想が過ぎるんじゃないか? 一人で食べているヤツなんて幾らでも居るし、誰も人のことなんて気にしないって。どれだけ人がいると思っているんだよ」

「大室君には分かりませんよ。いつも友人に囲まれている大室君にはね!」


 腕を組み、目を三角にした律は不貞腐れたように頬を膨らませながら言い放つ。大人びた見た目や雰囲気からは想像し難いその言動に、大地は意外性を感じていた。


「いや、俺も別に友人が多いってわけではないんだけどな。オリエンテーションで知り合った同級生とか、同じ講義を取っているヤツと軽く雑談するくらいだし、他は精々……」

「いえ、それはおかしいです。それなら同じ講義を複数取っていて、さらに毎回大室君の隣に座っている私は、何故今まで一度たりとも誘われていないのですか?」


 大地の発言を遮って律がピシャリと疑問を差し挟む。その眼差しは暗に大地を非難しているようにも、本当に理由が分からなくて困惑しているようにも見えた。その異様な雰囲気に気圧された大地は僅かに後退りしながらも、なんとか言葉を返す。


「もしかして毎回隣に座っていた理由はそれか? いつも講義終了間近になると睨みつけてくるのも、講義が終わっても中々席を立たないのも、終わった後に暫く後を付けてくるのも、そのためのアピールとかなのか? なんてな、まさかそんな回りくど……」

「気付いていたのに無視をしていたのですか!」

「…………すまん」


 律の発する語気のあまりの強さに、理不尽だとは思いつつも大地は思わず頭を下げて謝罪する。すると、さらに勢い付いた律は硬い口調で懇々と説教を始める。


「大室君。女性に対して、そういう気の引き方をするのは感心しませんよ。もう少し普通に優しくしてください。そうすれば私の方としても快く……」

「いや、なんで俺が佐田の気を引きたいみたいになっているんだよ。そんなつもりは全く無いぞ」


 あらぬ誤解を解くべく大地は誤解の余地が一片たりとも残らぬように明確に断言する。すると、その一部の隙も無い拒絶にショックを受けたらしい律は、あからさまにガックリと肩を落とし、今にも泣き出しそうな顔で、これ見よがしに自嘲気にボソボソと何事かを呟く。


「そんなに強く否定しなくても……。そうですか、やはり大室君も私のように人より大きい女は苦手ですか。ですよね。いえ、勿論分かってはいましたが。私のような鬱陶しい女が付きまとってしまい大変申し訳ありませんでした。今後は気を付けますね」

「誰も身長のことなんて言ってないだろ。それに俺はむしろ……」

「むしろ?」


 律は先程までの寂しげな顔が嘘であったかのような輝かんばかりの笑顔を浮かべながら、大地に詰め寄り先を促す。その態度の急変に納得がいかない大地は、苦々しげな表情で、ぶっきらぼうに吐き捨てるように返事をする。


「……なんでもない」

「勿体ぶらずに可及的速やかに続きをお願いします」

「うるさい。この話はここで終わりだ。というか佐田。お前さては、デカい俺の隣に座れば相対的に自分が小さく見えるからとか、そんな理由で隣に座っていたんじゃないか?」

「……」

「どうなんだ?」

「『この話はここで終わり』なのでは? ここは痛み分けということにしましょう」

「俺の一人負けじゃないか?」

「その負けは私のノートを写すことで取り返せるはずです。特に急いでいませんので、出来るだけゆっくり、間違いがないよう正確に、丁寧にどうぞ?」


 初めてのカフェテリアが余程嬉しかったのか、律は満面の笑みを浮かべている。


 そのまま暫く周囲を物珍しげに眺めていた律は、やがてカフェテリアの最奥の四人席を選ぶと、その角の席に大地を押し込み、自身はその手前に腰を下ろす。


「いや、そこに座られると出られないんだけど」

「すぐに出る必要はありませんよね? まさかとは思いますが逃げる気ですか?」

「…………逃げないから。ただちょっと……ほら、ノートを見せてもらうわけだし、お茶くらいはご馳走しようかと思ったんだ。そういうわけだから佐田はこのまま席を取っておいてくれると助かる」

「今のは大変気になりますが、まぁ良いでしょう。では、これでお願いします」


 大地を通らせるため席を立った律は、自身の財布からカードを取り出し大地に手渡す。


「佐田、見ず知らずの他人にそう易々とカードを渡そうとするな」

「他人ではありません。週に四度も隣り合って講義を受け、一緒にカフェテリアに来る程の仲です。既に深い仲にあると言っても過言ではないです。もはや我々は一蓮托生の宇宙船地球号です」

「過言すぎるぞ。ともかく仕舞ってくれ。今回はノートのお礼にご馳走するから」

「いえ、お互い学生の身ですし、そういうのは止めておきましょう」


 在学生の身分であればカフェテリアの飲食物は驚くほど安い。大地は別に奢っても構わなかった。しかし、融通の利かなそうな律がそう主張するのであれば受け入れるつもりだ。無理強いしてまで奢るほど大地の懐に余裕は無い。


 律は初の友人とのティータイムが余程嬉しいのか、いそいそと自らの財布を拡げ見る。そして、その表情はすぐに絶望に染まった。


「……大室君、お金は後日でも構いませんか?」

「あぁ分かった。ふふ」


 先程まで獅子のように凛々しかった律の表情が、ずぶ濡れの猫のような情けなさに豹変する。大地はそのギャップに面白みを感じて、くっくっと笑いを漏らす。


「今笑いましたね?」

「いや? 気のせいだろう。それじゃ行ってくる」


 慌てて顔を背けた大地は足早にその場を立ち去り難を逃れる。背後から漂う不穏な気配が、戻る頃には霧散していることを深く願いつつ。

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