12.

 「解呪が終わったということで、専門家の意見を聞かせてもらっていいですかね」

 帰る前にいいですか? と前置きしてから、弥は当麻に訊ねた。「あれは一体どういう呪いなのか。犯人はどうして呪いという手段を選んだのか。そして、どうして呪いとして機能してしまったのか。この三点について、先輩はどう思います?」

「帰れと言っておきながら、めっちゃくちゃ訊くじゃないか」

 指を折りながら疑問点をひとつずつ挙げていく弥に、当麻は苦笑いを浮かべる。


「どうして呪いという手段を選んだのかっていうのは、前にも言ってましたよね」

 久遠は道枝波子から話を聞いた日のことを思い出す。呪物を作った人物は殺人を犯してまで呪いにこだわっているのだろうと。 さらに、呪物は本来あの場所に置かれるべきものではなかったのではないかとも推理していた。

「それって、呪いでなければならなかった理由があった……つまり動機ってことだよな?」

 捜査官というだけあって、深瀬はすぐに気づく。

「うん。呪物を作った犯人には目的があった。そして、そのために人を一人殺しているわけだから、それだけ呪いという手段にこだわっているということは明らかだ」

「けど、そっから犯人を絞り込むのは難しいだろ」

 深瀬の言う通り、動機だけでは犯人に辿りつくことはできないだろう。


「けど、呪いにとって動機は重要な要素の一つだ。呪い、もとい呪術は、神秘に触れるもっとも原始的で単純な技術だということは、二人とも知っているだろう。それが新しい思想や宗教、宇宙論なんかと結びつくことで、時代や地域によって様々な魔術が生み出された」

「要は、呪術はあらゆる魔術の基礎ってことだろう」

 深瀬が言う。それに弥が淡々と答える。

「そう。呪術のはじまりっていうのは、雨を降らせたり、狩りの成功を祈ったり、疫病を祓ったり。今でこそ人に害を成すモノというイメージが強いけど、その本質は”願い”なんだ」

「ってことは、呪いと願いは紙一重ってことですか?」

 今度は久遠が訊いた。

「表裏一体のほうが正しいかな。どちらも人の思いが根幹にあって、思いが強ければ強いほど物事に影響を与える。善くも悪くもね。それがもっとも原始的で単純な神秘であり、奇跡というモノなんだ」


 つまり呪物に込められた願いが、今回の事件の動機になるということだった。

「そこで、次にあれがどういう呪いなのかという点が重要になってくる。呪いっていうのは大抵の場合、対象が決まっているものだから。呪いの正体が判れば、犯人が誰にどんな恨みを持っていたかといったことが判る……というわけなんだけど」

 以前、呪いの対象についても弥は提言していた。だが、彼女はそれまで饒舌だった言葉を途切らせ、ちらりと当麻のほうへと目をやった。

「あの呪物から感じるのは魔力ではなく、憎悪のような善くないモノばかりでさ。肝心なところがはっきりとしないというか……」

 がりがりと頭を掻きながら当麻は溜め息を吐いて、ミルクティーをぐいっと飲み干した。魔術師の中でもさらに呪術を専門としている彼にも判らないとは、どれだけ厄介なモノなのかと久遠は怖れすら感じるようだった。

「あれがどんな呪いなのか判らないっていうなら、どうやって解呪したんすか?」

 深瀬が興味本位で訊く。


 どういう呪いなのかを突き止めるということは、呪物がどのように作られ、どんな目的で使われたのかを理解するために必要なプロセスのひとつである。そして、それは解呪する際にも役に立つ。その呪いがどういう術式によって成り立っているのかが判っていれば、編み込まれた結び目のようなそれの、どこを解けばすべての結び目を外すことができるのかを推測することができるのだという。だが、今回は全体像が見えない中をひたすらに、手当たり次第に解いていったという感じだったと当麻は語る。その手当たり次第というのも、ある程度の知識や経験があったからこそできる業なのだが。


「そうやって解呪してみても、どんな呪いなのか見当はつかないのか」

 残念そうに深瀬は首をかしげる。

「はっきりコレだと言えるものはないかな。けど、要素だけで考えるなら候補はあるよ」

 当麻がそう言うので、久遠はその要素というものをいくつか頭の中に挙げてみた。歪な木箱、切断された頭部のない遺体、箱の中に満たされた血液──

「箱や遺体を使う呪物って、案外少ないですよね。あったとしても昔から広く伝わっているものよりも、近代的な都市伝説系のものが多い気がする」

 弥が言うと、当麻がそれに当てはまる一つの呪いの名前を口にした。

「コトリバコとか、かな?」

「……確かに、特徴は似ているような気がするけど」

 久遠は何かで目にしたコトリバコに関する記憶を手繰り寄せた。


 コトリバコとは、二〇〇〇年代に入ってからネットの掲示板に投稿されて広がった都市伝説である。島根県のある地域に伝わる怪異で、本来は〈子取り箱〉と書く。この箱がそばにあると、子どもや女性は内臓が千切れていくという殺され方をし、一族を根絶やしにするという。

 近年では漫画や小説の題材になることもあり、ネットには簡易的な作り方まで載っている。二十センチ四方の組木細工の木箱を家畜の血液で満たしたあとで、間引きした子どもの切断した指を入れるのである。犠牲になった子どもの数によって呼び方が変わるらしい。かつて迫害された集落の者たちが作り上げた、人を殺すための武器──それが、コトリバコ。


 しかし、久遠が見つけたあの箱には子どもの指どころか、明らかに成人と思われる人間の身体が入っていた。コトリバコを意識しているようにも思えるが、しっくりこない。自分で言っておきながら、当麻も納得はしていない様子だった。

「じゃあ、呪物のことは一旦置いといて、最後のどうして呪いとして機能してしまったのかって点について教えてくれよ」

 深瀬は厄介な話に頭を抱えたそうにしながらも、訊いておかないと気が済まないらしい。


「じゃあ、逆に訊くけど、魔術を扱うのに必要なものはなんだ?」

「そりゃあ、魔力とそれを扱う才能だろ?」

 何を当たり前のことを訊いてるんだ、と言わんばかりに深瀬は顔をしかめた。

 魔術を扱う才能というのは体内に流れる精気オドと呼ばれる生命エネルギーを、神秘に干渉することができる魔力というモノに変換する能力のことをいう。この才能は基本的には先天的なものである。臨死体験や厳しい修行を重ねることで開花させることもあるが、それはごく稀な出来事であった。魔術式の構造や仕組みを正しく理解し、そこに魔力を注ぐことで神秘を再現する。この一連の流れを実行することができる者が、魔術師になれるのであった。

 つまり、素人が見よう見真似で儀式の陣を書いたり、呪文を唱えたりしたところで何も起こりはしないのである。


「つまり、あの呪物は魔術師か魔術を扱う才能があるやつが作ったってことだろ?」

 そう深瀬が言うと、弥は悪戯っぽい笑みを浮かべながら首を横に振った。

「それが判ってたら、わざわざ問題点として挙げたりしないよ」

「え? あっ……」

 弥の言葉を理解して、深瀬は声をあげ、久遠も目を見開いた。

 才能のない者が呪物を作ったところで、それが機能するはずがない。あの箱は呪物として機能して被害を出しているのだから、てっきり魔術を扱える人間が作ったものなのだと久遠は考えていた。だが、弥がわざわざ問題点としてあげているということは、その前提が間違っていたということである。


「さっき、魔力よりも善くないモノを感じるって言ってたけど、もしかしてそれが関係してたりするんですか?」

 久遠は思いついたことを訊いてみると、当麻が困ったような表情を見せながら頷いた。

「呪術っていうのは、単純であるがゆえに厄介なところがあるんだよ」

「厄介ですか……?」

「さっき、呪いと願いは表裏一体だという話があったけど、人の思いというのは強ければ強いほど、奇跡という形で物事に影響を与えることがある」

「それは、魔術を扱う才能を持っていなくてもですか?」

「そもそも、魔術自体が人の思いや願いから生み出されたようなものだからね」


 それだけ人の思いや願いというものは強いのだよ、と当麻は語る。久遠は感心すると同時に、背筋がゾッとした。これまで呪いというのは、人の悪意が形になったものだと思っていた。だが、そうとは限らない。むしろ純粋な思いの強さであると知って、自分の価値観がひっくり返ってしまったようだった。


「じゃあ、あの呪物は恨みの力だけで機能しているようなものってことか」

 深瀬も事を理解できたらしい。

「そういうこと。だからこそ、呪いとしては不完全な代物なんだ。おかげでやたらめったらに影響が出ちゃっているし、ボクらはこうして頭を悩ませているというわけさ」

 やれやれ、と弥も悩ましげに首をかしげてみせた。

 人の命を奪い、機能するはずのない呪物を機能させた。あの呪物を作った人物はそれだけの恨みを抱いていたということなのだろう。否、それはもはや執念と言っても過言ではないだろう。久遠はそんな現実に慄いてしまいそうだった。


「まあ、被害者の身元が判明するのも時間の問題だろうから、容疑者はそこから絞り込めるんじゃないかい」

 当麻は空のマグカップを給湯室に持って行きながら言った。現時点で捜査本部が欲していた被害者の情報は向こうに渡ったのだから、捜査は進展するだろう。

「そうだね。恨みだけで、あれだけの呪物を作り上げたんだから、材料になった人物も無関係ってわけじゃないだろうし、その辺りから何か判ればいいんだけど」

「無関係じゃない?」

 久遠はまた疑問符を頭に浮かべる。

「だって、そうだろう。積もり積もった恨みを込めるんだから、それにふさわしい材料を用意するのが筋ってもんじゃないかい?」

「筋って……」

 そんな筋は知りたくもない、と久遠は気持ち悪そうに口角を下げる。

「ってことは、呪物の材料になった男は犯人の恨みに関わってるってことか」

 深瀬も面白くなさそうな表情を浮かべながら言うと、可能性はあると弥は頷いた。


「身元といえば、今日駆け込んできた母子おやこもどこの誰か突き止めないと」

「そうだな。どこの誰なのか判らねえと、あの二人がいつどこで呪いにかかったのか調べるのが難しいからな」

 その言葉で、紛らわせていた気が急に確かな形を得たように感じた久遠の背中には再び罪悪感がのしかかる。処置を受けたとはいえ、あの母子の意識は戻っていない。

「今回、私が解呪した呪物から受けた影響なのか、それとも別に呪物が存在しているのか。後者だった場合、かなり面倒なことになるかもしれない。私の仕事も増えることになるし」

 当麻の言葉に、久遠はゾッとした。


「……他にもあんなモノがあるんですか?」

 痛みを耐えるように、自分で自分の腕を掴んだ。

 あんなモノが他にも存在しているなんて、考えたくもなかった。しかし、もしも同じ呪物が存在しているのなら、あの母子以外にも被害者が出るかもしれない。

 背中にのしかかっていた罪悪感は怖れに変わる。怖れは胸の奥にわだかまる靄を膨れ上がらせる──


 ふいに頭を鷲掴みされる。

「えっ?」

 顔を上げると、弥が久遠の頭に手を置き、わしゃわしゃと髪をかき混ぜていた。

 ──みんな、なんでオレの頭を撫でるんだ?

 久遠をいじめんなよ、と深瀬が冗談めかしに言うと、いじめてないよ、弥が返事をする。久遠はされるがままだったが、不思議と胸の奥にあった何かがすっと晴れていくような気がした。


「あの母子に関しては、手がかりがあるからね。二人ともどこかの病院の入院着だった。つまり、病院を抜け出してきたというわけだ。病院側も放置したままでいるとは思えないから、すでに通報はされているだろう。明日、いや今夜あたり身元は判ると思うよ」

 だろうね、と給湯室から戻ってきた当麻は欠伸をしながら髪をまとめていたヘアゴムを外した。濡羽色の髪がさらりと肩に落ちる。

「じゃあ、私はそろそろ行くとするかな。今回の報告書をまとめたら、今日のところはさっさと休ませてもらうよ」

 あとは勝手にやってくれと言わんばかりに手を振りながら、当麻はそのまま特別捜査課のオフィスを後にした。

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