鬼胎 神秘局特別捜査課事件ファイル

三木谷 夜宵

1.

 痛いほどの視線とは、まさにこのことだ。

 クラス中の視線が、教壇に立つ自分に向けられている。ただでさえ人見知りだというのに、この状況は耐え難い。久遠くおんは思わず目線を下げた。

 寒の入りを迎えて、朝晩の冷え込みが一層厳しく感じる今日この頃。

 冬休みが明けてやって来た、この時季には珍しい転校生にクラスメイトたちは興味津々だった。

 がやがやと沸き立つ教室。この場からすぐにでも立ち去りたいとつま先が疼く。黒板の上にある時計の音がやけに耳につく。至る所から聞こえてくる笑い声。

「おーい、静かにしろ」

 担任の千晶ちあき真琴まことが気怠げに声をあげた。女性的な名前だが、オールバックの似合う長身でワイルドな雰囲気の男性である。 

「──まあ、見ての通り、転校生だ」

 生徒たちが静まったところで、千晶は紹介する。と言っても、名前を黒板に書き記すだけで、あとは本人に丸投げだった。職員室で顔を合わせたときも改まった挨拶はなく、普段から砕けた態度で生徒に接しているのだろうと久遠は思った。

 視線が注がれている。

 黙っていても仕方がない、と意を決して顔を上げた。

「えっと……御山みやま久遠くおんです」

 やはり視線が痛い。「──よろしくお願いします」

 趣味とか特技とか、好きなアーティストなんかのひとつでも話すべきだろう。昨日の夜からシミュレーションしていた内容を頭の中で思い返してみる。けれども、どれだけ転校を繰り返したところで、クラス中の注目を一身に受けるこの瞬間はどうしても慣れなかった。後に続く言葉が出てこない。久遠は目を伏せて、伸ばしっぱなしになっている襟足に触れた。

 そんな彼の様子を察したのか、千晶がいよいよ口を開く。

「家庭の事情で、この時季に転校してくることになったそうだ」

 千晶が後方の空いている席を指差す。久遠はそそくさと席に移動した。席に着いたところで、ようやくクラス全体が一望できる。

「貴澄、いろいろと教えてやってくれないか?」

 久遠の隣の席に座る女子生徒のほうを見ながら、千晶が訊く。

「判りました」

 凛とした声だった。声につられてそちらに顔を向けると、巧笑を浮かべた彼女と目が合った。

「あたし、貴澄きすみ氷魚ひお。訊きたいことがあったら遠慮なく言ってね」

 器量は好い。髪はアレンジを効かせつつも、しっかりとまとめられている。フレームなしの細身の眼鏡にはセンスの良さを感じる。制服をきちんと着こなし、優等生という言葉がしっくりとくる生徒だった。

「……よろしく」

 久遠は控えめに応えた。

 HRが終わり、すぐに一時間目の授業が始まる。授業態度はわりと良かった。なかには教師の目を盗んで雑談をする者や落書きをする者、机に突っ伏して居眠りし始める者の姿もあった。けれども、特別目につく態度を取る生徒はいなかった。

 授業の合間の休憩時間になると、氷魚はクラスのことや次の授業の教師のこと、移動教室の場所などを教えてくれた。どうやら彼女は世話好きらしい。それを見越して、千晶は久遠のことを彼女に任せたのだろう。

 昼休みになると、近くの席の男子たちが、一緒に弁当を食べようと言って机を寄せてきた。彼らは次々に質問を投げかけてくる。

 前はどこに住んでいたのか。

 趣味は何か。

 今はどこに住んでいるのか。

 その茶髪は地毛なのか。

 部活には入るのか──などなど。

 答えられるだけ答えるが、それでも追いつかなくて目が回りそうになった。弁当の中身はとてものんびりと減っていく。

 そのうちに、そばにいた女子のグループも加わった。会話は次第に冗談を交えた雑談が中心となっていった。質問攻めだった久遠は、そこでようやく落ち着いて聞き役に徹することができた。クラスの雰囲気は悪くない。特定の人物を仲間外れにしたり、他人に迷惑をかけたりするやつもいない。

 あと二ヵ月もしないうちに進級してクラス替えになるというのに、そんなことはお構いなしと言わんばかりに声をかけてくれるクラスメイトたちに、久遠は少しホッとした気がした。

「──そういえば、先月の箱詰め死体の事件って、まだ解決してないんだよな」

 ふいに、スマートフォンを眺めながら会話に参加していた男子が言った。

「なんだよ、急に」

「いや~、ツイッター見てたらそのときのニュースが流れてきてさ」

「あれって、やっぱり魔術が関わってるのかな?」

「どうだろう。始めのうちはそんなニュースとかやってたけど」

「最近は聞かないよね」

 彼らが話しているのは、昨年の十二月にあった死体損壊遺棄事件のことである。

 二〇一九年十二月十三日、豊島区の雑司ヶ谷にある寺院で遺体が発見された。遺体は切断されて、木箱に入れられた状態だった。警察は通常の刑事事件として捜査を始めたが、実況見分の最中に捜査員が何人も倒れて救急搬送されたという周辺住民の話から、黒魔術が関係しているのではないかと報道され、年の瀬の世間を騒がせていた。

 だが、年末に警察と専門機関から魔術による犯行ではないというコメントが公式に発表されたことで、年が明けてからはテレビや新聞でそういった話を目にすることはなかった。しかし、今でもネット上では魔術の関与を疑う声は残っていた。

「けど、魔術って普通の人は使えないんでしょう?」

「魔法使いになれる薬があるらしいよ」

「なにそれ、怪しい」

「魔術師が犯人なら捕まらないんじゃない?」

「確かに。完全犯罪ってやつ?」

 久遠は会話に参加しなかったが、完全犯罪という言葉に思わず膝の上で両手を握りしめる。そして、心の中で叫んだ。

 ──魔術はそんな万能ではない、と。

 魔術とは人類が編み出した技術であり、神秘を追求する者たちによって創り出された学問の実践として存在している。その意義は神秘の再現にある。

 超自然的な存在であり、森羅万象の理であり、神々の叡智。または、それらによって引き起こされる奇跡の数々。そういった超越的な事象のことを、我々人類は『神秘』と呼んでいる。そして、神秘に触れることができる者たちのことを『魔法使い』と呼んだ。『魔法』とは、神秘そのもの。病気を治す知識や天候を予測するといった、現代では科学で説明することのできる事象も、かつては魔法の一部だった。

 しかし、文明の発達によって人類が知恵や知識を身につけたことで、魔法は衰退していった。そうして発展したのが『科学』である。科学によって、人類は奇跡と呼ばれていた事象を再現することができるようになった。十五世紀から十七世紀にかけて宗教改革の一環として行われた魔女狩りも、魔法の衰退に大きく関係している。結果として、魔法使いたちは歴史の表舞台から姿を消した。

 だが、神秘を追い求める者は後を絶たなかった。そうした者たちの尽力によって『魔術』は創り出され、今日に至るまで発展を続けてきた。

「氷魚ちゃんは詳しかったよね、魔術のこと」

 どう思う? と女子の一人が、久遠の隣にいた氷魚に訊いた。

 魔術に詳しいということなら、こういう話題には乗り気なのではないかと思って氷魚に目を向けた久遠だったが、彼女は面白くなさそうに口を尖らせていた。意外な反応に久遠がきょとんとしていると、そうね……と氷魚はおもむろに口を開いた。

「神秘局が言っていたように、魔術は関係ないと思う」

「そうなの?」

「そもそも黒魔術っていうのは、他人に悪い影響を与える魔術の総称みたいなもので、いわば呪いのようなもの。そういうのは魔術協会の規定で使用が制限されているはずだから、魔術師として認められた人でも扱うのは容易じゃないそうよ。それに魔術で殺人を犯すなら、病死や事故死に見せかけたほうがよっぽど完全犯罪らしいと思わない?」

「たしかに~」

 彼女の説明に一同は感心する。魔術に詳しいというのは伊達ではないらしい。久遠も思わず、へぇ、と感嘆の声をこぼした。

 すると、それを聞き逃さなかった氷魚が目を丸くしながらこちらを向いた。

「気になるの? 魔術のこと」

「えっ?」

「だって、初めて反応したから」

「そう……だったかな?」

 関心がないわけではなかった。だが、久遠はどうしても会話の輪に入ることができないでいた。

 相槌は打ってるつもりだったんだけどな、と気まずさを感じた久遠は襟足に手を伸ばした。そして、お茶を濁すように言った。

「その、詳しいんだな……魔術のこと」

「ありがとう」

 氷魚は、久遠の言葉を素直に受け取る。

「けど、まだまだよ。あたし、将来は魔術学者になりたいと思ってるから」

 謙遜しながらも、彼女はどこか得意顔だった。

 魔術は現代において、人類が誇るべき技術の一つとされている。そんな現代魔術を支えているのは、それを扱うことができる『魔術師』と、理論を追求し神秘を再現するプロセスを組み立てる『魔術学者』である。

 魔術で実際に神秘を再現するには生まれついての才能が必要だが、神秘を追求すること自体は誰にでもできる。もちろん、それ相応の知識と理解力を伴うのだが、世界でも数少ない魔術師と同じように魔術学者はその界隈において重宝される存在だと言えるだろう。

「御山くんも魔術に興味あるの?」

 氷魚は興味津々に訊いてくる。

「……さあ、どうだろう」

 自分にとっては興味以前の問題なんだけど、という言葉を呑み込んで、襟足に触れながら久遠は曖昧な返事をした。

 教室にあふれる雑踏。なんでもないことで笑いが起きる。椅子を引きずる音。そんなありふれた音が通り過ぎていく。

 ここには、あとどれくらい居られるだろうか。

 これまで一つの場所で長く過ごしたことのない根無し草だったこともあり、久遠は期待よりも不安ばかりに目を向けてしまう。

 その原因の多くは、彼の生まれ持った才能にあった。

 御山久遠には魔術を扱う才能があった。

 彼は神秘に触れることのできる稀有な存在。

 しかし、魔術への理解が遅れている日本社会では、彼の才能は未知なものだった。人は判らないものを恐れる。それゆえに弊害が多かった。

 魔術の価値が世界で認められるようになったのは、十九世紀のパリ万博が一つのきっかけだと言われている。アメリカの魔術機関〈OZ〉の創設者であるオズワルドの披露した奇跡が、幻想的ファンタジー非現実的ノンリアルであるという認識を根底から覆してみせた。以来、世界中で魔術機関やそれに準ずる組織が創設され、魔術研究や魔術師の育成が行われるようになった。

 しかし日本では、戦後の復興と繁栄が科学によってもたらされたこともあり、二十一世紀になった今でも魔術技術を忌避する傾向が強かった。最近は、若い世代や企業の新規事業を中心に魔術が受け入れられつつあるが、それでも才能を持つ者の境遇は厳しいままだった。

 氷魚のように関心があり、その道に進もうと考えている人の存在は心強く感じるが、簡単に気を許すことはできなかった。だから、好奇心溢れる目をしている氷魚に、まだ話すべきときではないな、と久遠はそっと溜め息を吐いた。

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