ゴーヤ峠の山姥

来冬 邦子

ひとつ

 日本最後の秘境と呼ばれる怒婆どば連山・苦瓜にがうり噛潰かみつぶしだけに登ったのは今から五十年ほど昔のことになる。あの怖ろしくも忌まわしい記憶だけは終生誰にも語るまいと思ってきたが、孫の莉乃りのが「山ガール」になったと聞いて、私も覚悟を決めた。

 これから書き記すことは、一言一句真実である。


 莉乃や、あの山だけには行ってはならぬ。




 あれをはじめて見たのは、忘れもしない私が小学六年生の春。修学旅行から帰るバスの窓からであった。海辺のロッジで過ごした二泊三日を、昼といわず夜といわず、力の限りにはしゃぎ尽くした仲間たちは、そろって虚ろな目をしてバスに揺られていた。


 私の育った村は高原トウモロコシが特産物で、四方のどちらを向いても山波が遠くまで連なっているのだが、見る者の目を奪うのが苦瓜噛潰岳だった。というのも、村の鬼門に位置するこの山は異様な形をしていたからだ。


 森が生い茂る尾根からいきなり巨大な岩の柱が天を突き上げる。その折れた剣のような岩肌を剥きだしにした頂上には、草木一本生えていなかった。

 不気味な山は昔から山岳信仰の聖地であった。

 もっとも地元の小学生にとっては、ただの山でしかなかったが。


 あれは、バスがようやく地元の高原に差し掛かった頃だった。

 車窓を流れてゆく見慣れた景色の片隅に、私はおかしなものをみとめたのだ。苦瓜噛潰岳の頂上あたりからサルノコシカケ(莉乃や、知っているか。木の幹から棚のごとくに生えるキノコだ)のような平たい岩がせり出し、その上にわら葺き屋根の家や水車や木立が並んでいるのだ。まるで小間物細工のような可愛らしい里だった。


「おい、見ろよ。あれはなんだ?」


 だが寝ぼけまなこの連中が振りかえった頃には、その不思議な岩は森の梢の陰に隠れてしまった。私がいま見たものを説明すると、小学生のくせに妙にオヤジ臭い物言いをする麻綿原まめんばら君が冷ややかに口を開いた。


「お前が見たものはゴーヤ峠だ。後でうちの寺に来い。御祓おはらいをするがいい」


 麻綿原君は寺の跡取りだった。


「なんでだ」と私は問うた。


「ゴーヤ峠は誰も見ることのできない隠れ里なのだ。もし間違って見た者は、確実に例外無く絶対に呪われるのだ」


 私は奴を張り倒した。


 だが今にして思えば、ゴーヤ峠の呪いは既に効き目をあらわしていたのだ。なぜと言って、そのとき私は幻のゴーヤ峠に行きたくてたまらなかったのだから。

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