第39話 「どうせお前と一緒なら」
「これからどうするの」
明け方の冷たい風が、頬をくすぶる。
ツンっとした空気が妙に澄んでいて、今はそれが気持ちが良かった。
ふわふわの髪がやや風に流されている幸に声をかける。
「俺たち兄妹は,熊田さんが残してくれた空き家に行こうと思ってる。ここから,大分遠いみたいだけど……幸はどうする?」
「ちょ、ちょっと置いていく気じゃないでしょうね! 私だって行くところないもん! 歩たちと一緒に行くに決まってるじゃん」
熊田さんが遺してくれた、手帳をぱらぱらと開くと、その空き家の住所と簡単な地図か書いてあった。同じ県内ではあるがここからは随分距離のある場所だ。
他には,料理のレシピや野菜の育て方などが簡単に記されていた。
もしかしたらこの手帳を俺たちに渡すつもりで家に戻ってきていたのかもしれない。
最後のほうのページをめくっていると「雪ちゃんへ」と書かれたページを見つける。
そのページを見ないようにして急いで手帳を閉じる。
「雪、これ」
高台から遠くを見ている雪に声をかける。
「熊田さんが俺たちにくれたやつ、これはお前が持っていたほうがいいと思う」
そう言って雪に手帳を渡す。
そのまま,雪は何もいわずにパラパラとしばらく手帳を見つめていた。
「……幸。ちょっとそっとしておいてやろう」
「うん」
少し離れたウッドベンチに腰を掛けた。
※※※
「ふぅ、ようやくちょっと落ち着いたな」
「朝からバタバタだったもんね」
幸がパーキングの入口にある自販機で暖かいコーヒーを買ってこちらに差し出す。
「おぉ~たまにはお金も役に立つもんだ」
「サンキュ,田舎の自販機とかはまだまだお金使えるのかもな」
プルタブに指をかけるが、手が震えてしまって中々上手く開けられない。
この震えは明け方の寒さの震えだけではなかった。
何とかプルタブを開けようと四苦八苦していると、幸の暖かい両手が俺の冷たい手に添えられた。
「大変だったね」
「あぁ、まさかこんなことになっちまうとはな」
「それもあるけど,違くて」
添えていた両手が俺の手を力強く握った。
「――雪ちゃんの前だと強いお兄ちゃんでいないといけないもんね」
「っ!」
声にもならない声が出た。内心を見透けられている気がした。
「……俺、何もできなくて」
「うん」
「俺が行かなかったら……こんなことにならなかったんじゃないかって……」
「そんなことないよ」
悔しさと無力感で目の奥が熱くなり、目頭を押さえる。
「――ちくしょう」
「歩は悪くない。何も悪くないよ」
子供をあやすように頭を撫でられる。
「くそぅ……くそぉう……」
頬に大粒の涙が伝わっていった。
※※※
なんたる失態,なんて格好悪いところ見せてしまったのだ。
「今のは忘れてくれ」
「やだよーだ。絶対忘れない」
「ひでーやつ」
指に力を入れ、プシュッとプルタブを開ける。
ようやく空いた缶コーヒーに口をつける。少しぬるくなってしまっていたが、少しだけ温まるような気がした。
「幸、ありがとな」
「どういたしまして、何か吐きだしたいときは付き合ってあげるよ」
幸の表情を見ることができなかったが声色はすごく優しかった。
「どれ、雪にも飲み物買っていってやるか」
「そうだね、何飲むんだろ」
「あいつもコーヒーでいいだろ」
自販機でガコンッとコーヒーを買って、雪のところに戻る。
雪のところに戻ると、雪はそのままの一歩も動くことなく手帳に集中している様子だった。
後ろから近づき、ピトっと雪の頬に缶コーヒーをくっつける。
「あっつ!!」
「大丈夫か雪?」
「ほっぺが熱いから大丈夫じゃない」
「そっちの話じゃねーよ」
雪が少しだがいつもの調子を取り戻していた。
「その手帳、なんて書いてあったんだ?」
「うーん、料理のレシピとか作物の育て方とか色々?」
「そこじゃなくて,雪のメッセージのとこ」
「え……兄さんそこ見たの?」
「見てないよ。雪宛だったから」
「はぁーー! 良かったーーー!」
雪が白い息を大きく吐いて、笑いながら答える。
「で、なんて書いてあったんだ?」
「やだよ。兄さんには絶対教えない」
「ケチくそ」
熊田さんが何を書いたのか分からないが、きっと何か雪の力になることを書いてくれたのだろう。つくづく、敵わないなぁと感じる。
「でもね。兄さん」
「ん?」
「私ね、頑張ろうと思った」
「そっか」
明るくなってきた空を眺めながら、雪がこれまで見せたときのないような少し大人びた表情を見せた。
※※※
「さーて、新天地に向けて出発しますかー」
ぎゅうぎゅうになった車に三人で乗り込む。
助手席には幸。後部座席には雪だ。
「兄さん! 後ろ狭いー!」
「仕方ないだろ! お前が一番小さいんだから我慢しろ」
荷物まみれの後部座席に埋もれる雪。
「ってか、その空き家の場所分かるの歩?」
助手席からそんな声が聞こえてくる。
「おおよその場所しから分からん」
隣と後ろから「えーー」という声が聞こえてきたがあえて無視して、身重のクルマを出発させる。
「どんなところなんだろうね、兄さん」
後ろから雪の声が聞こえる。
「さぁな、どうせお前と一緒なら、あの2DKのアパートと同じような生活になるだけだろ」
「ふふっ、そうかもね」
夜も明け、空はすっかり明るくなっていた。
空の明るさが今の俺にはやや眩しかった。
こんな世界でも、自分以外の他人を心配してくれる、そんな人の遺してくれたものを糧に俺たちは生きていく。
俺も、いつか、俺たちがそうしてもらったものを他の誰かにに返せるように精一杯生きていきたい。
血がつながっていなくても大切な家族とともに。
第一部 アパートと日常編 完
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