二. 行方知れずの少女(二)

 街の中心部に差し掛かったところで、二人は暫し足を止めた。

 ストレナはさして広い土地ではないが、それでもレイヴェルの体力を考えれば歩き通しという訳にもいかない。

「荒れた道が多くなってきましたね」

 レイヴェルが言うので、トワは頷く。

「そうだな。このまま進むと旧市街地、かつてのストレナで最も栄えていた地区に入るが……ここを通るのは少々リスクが高い。比較的通りやすい西側へ迂回しようと思うが構わないか」

「ええ、トワさんにお任せします」

 レイヴェルのいたロマリアという街とホルロットは、どちらもストレナと接する地点が小さい上、北西側にロマリア、南東側にホルロットという構図でストレナを挟んでほぼ対角に位置している。このため最短距離でホルロットを目指すのなら必然的に街の中央を通ることになるのだ。

 が、トワは基本的にこの経路を選択しない。

 この地区はかつてのストレナの中心といえる市街地で、ゆえに今や廃墟となった建物の数も他の地区の比にならない。荒れ方も酷く、倒壊した家屋がそのまま雪崩のように道を塞いでいたりもする。トワ一人であればその程度は何の障害にもならないが、体格も体力も自分より遥かに劣り、かつストレナに不慣れな人間を連れているとなれば話は違う。歩く速度は落とさなければならないし、大きな瓦礫は避けなければならない。視界の悪さやその他雑多な事情を鑑みても、ここを通るのは愚策だと断言できる。

「旧市街地付近さえ抜ければ、後は比較的楽だ。地形も平坦だし、障害物もここらほど多くは無い。このペースでも……そうだな、日付を跨ぐ前には着くだろう」

 かなり疲弊した様子のレイヴェルにトワは声を掛けた。気を遣ってそうしたわけではないが、彼女は少なからず励ましの意味をもった言葉と受け取ったらしい。

「そうなんですか。よかったぁ」

「流石に堪えたらしいな」

「ええ、それはもう」

 身に染みた、といった様子の彼女を横目に見つつ、トワは周囲に注意を向ける。

 レイヴェルは気付いていないようだが、視線を感じる。それも一つではない。追い剥ぎの類だろうか。

 強盗に人攫い、強姦等々。理不尽と非難されるべき暴力の、その全てがストレナでは罷り通る。表の街の社会規範や法律が効力を発揮しないのだから、それらが横行するのは言ってしまえばごく自然な話だ。

 面倒事は早めに片付けるに限る。トワが背中の獲物に手を回すと、身動ぎするような音が彼らの方角から微かに聞こえた。明らかな動揺だった。

 なんだ、私を知っているなら話は早い。トワは気配のする方を睨む。すると少々躊躇うような間があったのち、彼らは旧市街地へと姿をくらませた。

「……トワさん?」

「いや、何でも。そろそろ行こうか」



 西側の迂回路も決して楽な道のりではない。旧市街地ほどではないとしても、暫く見ないうちにトワの想定していたよりも道が荒れている印象だ。

「あの、ちょっと訊いてみてもいいですか」

 瓦礫の上を歩くのに危険だと判断して離していた手を繋ぎ直すとき、レイヴェルはそう話を切り出した。彼女も随分とこの暗闇に慣れてきたようで、最初にあった怯えはもう殆ど感じられない。であればもう手を繋いでいる必要は無いな、と気付きはしたものの、そのままにしておいた。

 内容による、とありきたりな答えを返すと、彼女は少し悩む様子を見せたのち言葉を続ける。

「トワさんはどうしてこのお仕事を?」

「……また急だな」

「ずっと気になってはいたのです。あまり踏み込んではいけないのかな、とも思ったのですが」

 レイヴェルは機嫌を伺うような視線をトワに向ける。

 その仕草があまりに健気だったせいだろうか、珍しく茶目っ気が湧いた。

「私が護衛じゃ不満か」

「い、いえ滅相も! トワさんでは不安だとか他の方が良かったとか、そういうことを言いたかったのではなくて、私はむしろトワさんが来てくれてよかったと思っているのでして、ええとええと、」

 軽く眉根を寄せて尋ね返すと、彼女は想像以上の反応を見せた。その焦りようが可笑しくて、トワは思わず口許を緩ませる。

「冗談さ。あんたは分かりやすいな」

「……もう! でしたらもっと冗談らしく言って下さい! トワさんは分かりづらいです!」

 繋いでいる手を揺すって抗議するレイヴェルは、良くも悪くもあまりに普通の女の子だ。彼女からすればトワの仕事は、なるほど縁遠いものに映るのだろう。

「悪かったよ。別に難しい話じゃないんだ。この街にいる以上、取り得る選択肢は表社会の人間ほど多くない。私に出来ることを探したらに辿り着いたというだけさ。少なからず奇妙に思われるというのは、まあ理解できるが」

 羽織った夜色の外套に隠されたトワの身体は、引き締まってはいるものの女性的な肉体の範疇を出ない。背丈こそ高めだが、それでも男性の平均と同程度だ。多くの護衛職、ないし兵士を生業とする筋骨隆々の男共とは比べるべくもない。が、トワ自身はそれを何とも思っていない。

 平坦に、けれどどこか余裕を感じさせる口調でトワは言葉を繋ぐ。

「安心してくれていい。私は強い」

「……そうなのでしょうね。少し羨ましいです」

「あんたには必要ないものだろう。そういう強さは」

「弱いのは、嫌ですから」

「必ずしも悪いことじゃないさ。日の当たる街で生きていく分には、特にな」

 トワは進行方向を警戒していた視線を暫時弛め、レイヴェルを見た。彼女は消化しきれない思考を持て余したような困り顔を浮かべていた。「僻んでるだけだ気にしなくていい」と付け加えると、それでようやく救われたように彼女は顔を上げる。

「この街を出ようとは思わなかったのですか」

「……無い話だな、それは」

「何故です? このご時世ですし、どこかのお屋敷の警護でも貴族の方の私兵団でも、働き口はたくさんあるでしょうに」

 レイヴェルの言うことは概ね間違っていない。

 昨今、この国────アンベリアを取り巻く情勢は芳しくないと聞く。トワはそのあたりの事情に明るくないが、それでも、多くの街の治安が悪化傾向にあるのは肌感覚で分かるところまで来ている。そうした背景を見れば確かに荒事に強い人間はどこであっても引く手数多だろう。

 だが、それはあくまで自由が担保されている人間の発想だ。

「もっと単純な話さ。私は、この街を出られない。それだけの理由がある」

「それって、もしかして」

「訊かない方がいいぞ」

 忠告するだけのつもりだったのに、自分で想像していたより冷たい声になった。彼女が何を訊こうとしているのかを理解してしまったからだ。

 それは、よくない。なにより彼女自身にとって。

「いい機会だから覚えておくといい。『知らなくてもいいこと』と『知らない方がいいこと』は違う。余計な話に首を突っ込む必要はない」

 ごく一部の例外的な異常者はさておいて、ストレナに暮らす殆ど全ての人間は何かしらの要因があってそこにいる。その要因は多くの場合、誰にでも想像がつく程度のものでしかない。

 特別聞かれたくない話題だったわけでも、勿論レイヴェルが悪いわけでもない。この街の人間のなど聞いたところで、百害あって一利もないというだけのことだ。

 

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