第104話 平原の決闘・前編

 オルトリア王国とベゼルウス帝国の戦争は、局所的にはオルトリアが勝利する場面こそあれど、全体としては帝国有利に進んでいた。


 主な原因は、まだ政変直後で指揮系統がハッキリと定まっていないこと、突然の開戦で戦略目標の設定もないまま交戦に入ってしまったことだ。


「歯痒いものだな。いくら勝利を重ねても、戦況が一向に良くならんというのは」


 歴然の強者であるカルロット・グランベルもまた、そうした現状を理解しつつ戦い続ける一人だった。


 彼の率いるグランベル騎士団は、王国最強の名に恥じない精強さで以て、開戦以来無敗を貫いている。


 だが、いくら強力な騎士団がいようと、彼らだけで王国全域を守護することなど出来るはずがない。グランベル領からほど近い国境付近の平原で、帝国軍の一部隊を押し留めることで精一杯だ。


 今は、ベルモント家の騎士団のほとんどが国を空けているのだから、尚更。


「ユミエは、元気にしているだろうか……」


 ベルモント家の名が頭を過れば、それに釣られて愛娘の顔が思い浮かぶ。


 娘をベルモント家に託して国外へ逃がし、早四ヶ月。

 まさか、逃がしたことがこんな形で功を奏するとは思ってもみなかったが、その分心配もかけてしまったことだろう。


 家族想いで優しいあの子が、また何か無茶なことをしているのではないかと、気掛かりで仕方なかった。


「手紙では、体は良くなってるって聞いてたけど……心配だよね」


 そんなカルロットと、同じ気持ちなのだろう。彼の息子であるニール・グランベルもまた、遠い異国の地を想うように地平線の彼方へと目を向けていた。


 彼が生まれて初めて身に付ける、正式な騎士としての鎧や剣。

 本来なら、華やかな叙勲式を経て渡すはずだったものを、こんな血と泥に塗れた戦場で押し付けるように与えてしまっている。


 ずっと楽しみにしていた息子の晴れ姿を、もう見ることが出来ないと思うと、カルロットはやりきれない想いでいっぱいだった。


「ああ、そうだな。こんな戦いは早く終わらせて、ユミエを安心させてやりたいものだ」


 だが、そんな父親としての感傷を、表に出すことはしない。ニールもまた、幼いながらに覚悟を持ってその鎧を身に付けたのだから。


 父親ではなく、同じ男として、騎士として。

 愛する妹や故郷のために戦場に立つ決意をしたニールの意志を、尊重するのだ。


「団長、報告です!! 西より、帝国軍に動きアリ!! 攻勢に出た模様です!!」


「また来たか。本当に懲りない連中だ」


 溜め息を溢しながら、カルロットはニールを伴い指揮所に戻る。

 これまで、何度も帝国軍の攻勢をはね除けて来たというのに、幾度被害を受けようとも愚直なまでに攻撃を繰り返している。


 恐らく、王国で現在最も力のあるカルロットを、この戦場に縫い止めておくのが狙いだろう。

 事実、その策は見事に機能し、カルロットはこの地でで長々と交戦し続ける羽目になっている。


 敵の術中にハマっていると知りながら、さりとて他に打つ手もない現実。

 手が足りない、と、カルロットは嘆く。


 そして彼らと違い、帝国軍には新たな策を用意するだけの余裕があった。


「団長、実は一つ、気になる報告が」


「なんだ?」


「帝国軍に、見慣れない出で立ちの部隊がいるようです。数はさほど多くなく、正規兵が持つ魔道兵装も身につけていないことから、数合わせの傭兵か何かではないか、と予想されますが……如何しますか?」


 部下──部隊長を務めるバストンからもたらされた情報に、カルロットは唸る。


 帝国軍は、世界的に見ても魔道具技術の進んだ先進国だ。


 ナイトハルト家の研究成果も引き抜かれていたのか、装備品の面では王国軍が大きく遅れを取っていると見て間違いない。


 それこそが帝国軍の強みだというのに、それを持たない部隊がいる。普通に考えれば、使い捨ての傭兵か何かだろう。


 だが……カルロットの勘が、その判断を下すのは危険だと告げていた。


「その部隊は私が相手をする。ニール、お前はこれまで通り、バストンの下について動け」


「うん、分かったよ、父様」


「ここでは団長と呼べ」


 カルロットは形式上、グランベル騎士団のトップである団長の座にいるが、こうした作戦会議ではともかく、前線においての指揮はあまり取らない。そうしたことは、“隊長”であるバストンに任せてある。


 なぜなら……強すぎて、全力を出すと味方まで巻き込んでしまうからである。


 彼の二つ名である“一騎当千”は、一人で千人に匹敵する力があるというだけでなく……彼を戦場に投入すると、千人分の間隔を空けねば巻き添えを喰らうという、味方からの苦情の意味もあったりするのだ。


 そんなカルロットが、直々に相手をする。

 単なる傭兵には酷だろうとバストンは思ったが、口には出さない。


 彼自身、その“傭兵部隊”が本当にただの数合わせだと断じるには、少しばかり不気味なものを感じていたからだ。


「では、行くぞ。全員、死ぬなよ。敗北は恥ではない、生きて民を守ることこそが我らが使命と心得よ」





 王国と帝国を隔てる大きな河川の傍には、広々とした平原が広がっている。


 軍隊がぶつかり合うには十分な広さと足場を持つ、この辺りでは唯一の土地。そこで帝国軍と何度目かも分からない対峙をしたカルロットは、敵の雰囲気がこれまでとは違うことに感付いた。


(やはり、何かあるな。あの部隊に)


 遠目にはよく分からないが、金属の鎧を身に纏っているようには見えない。最低限、頭や胸、腕周りを守る革鎧を身に付けているくらいだろうか?


 それでも、カルロットの中にある警戒心は一向に下がらない。むしろ、こうして直接向き合ったことで、彼らが一筋縄では行かない存在だとハッキリ認識した。


「行くぞ──うおぉぉぉぉ!!」


 まずは挨拶代わりだとばかりに、カルロットが剣を掲げる。


 絶大な魔力を込められた剣が肥大化し、魔法としての形がなくとも勝手に発光を始めた。

 まるで山のように大きなそれが、バチバチと火花が散らしながら振り下ろされ、魔力だけが剣筋に沿って放たれる。


「《斬波》!!」


 挨拶代わりと言いつつ、並みの部隊ならその一撃で全員が両断され肉片と化すほどの絶大な威力と攻撃範囲。


 これまで、帝国軍はこの一撃を前にただ塹壕を掘ってやり過ごすくらいしか打つ手がなく、一方的な蹂躙を受けるばかりだった。


 だが──


「…………ぬぅん!!」


 不気味な集団の先頭に立っていた男が、その斬撃を真正面から受け止め、あまつさえ魔法もなしに消し飛ばした。


 これには、さしものグランベル騎士団ですら絶句せざるを得ない。世の中に、あんな攻撃を受けて無事でいられる人間がいたのかと。


 唯一、カルロットだけはそれを見ても動じることなく、剣を構え直して突撃する。


「はあぁぁぁ!!」


「うおぉぉぉ!!」


 振り抜かれたカルロットの剣と、謎の男の“拳”が真正面からぶつかり合う。


 その衝撃で、草原に巨大なクレーターが穿たれた。


 嵐のように吹き荒ぶ魔力と剣圧と拳圧によって大気が揺れ、雲が吹き飛び、天候すらも書き変わる。


 そのあまりにも衝撃的な光景に、両軍一歩も動けなくなる中──渦中にあるカルロットは、ふっと笑みを溢した。


「まさか、こんなところで会うことになるとは思わなかったぞ。……久しいな、レオル。獣魔大戦以来か」


「こちらこそ、久し振りだなカルロット。……出来れば、俺もこんな形で再会したくはなかった」


 衝撃によって吹き飛んだヘルメットの下から現れたのは、鮮やかな青い髪と、狼の耳。


 奴隷身分を示す首輪を身に付けた、青狼族の戦士だった。

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