第101話 “我が魂は同胞のために”

「モニカさん、どういうことですか……!?」


「私にも、詳しいことは分かりません。ただ、あまり良い戦況でもないようで……とにかく、私達ベルモント家は一度、オルトリア王国へ戻りますわ。ユミエさんは、続報を待っていてくださいまし」


「待っていください、って……私を置いていく気ですか!?」


「……ここから先は、本当の戦場ですわ。まだ完治したばかりで戦う力のないユミエさんを、連れていけません」


「っ……!!」


 ベゼルウス帝国とオルトリア王国が交戦状態に入ったと聞いてすぐ、モニカ達ベルモント家の人は王国に帰らなきゃいけなくなった。


 でも、どうやら俺は連れていってくれないらしい。


 確かに、数日前久々に剣を持ったけど、前みたいに自由に振り回せるようになるにはまだ時間がかかりそうだった。


「……すみません」


 言いづらそうに目を伏せるモニカを見ていると、罪悪感で胸が痛む。


 俺だって、頭では分かってるんだ。

 俺みたいな子供が今国に帰っても、出来ることなんて何もないって。


 それでも……単なる内乱が起きるより、今はよっぽど悪い状況で、残してきた家族が気掛かりで仕方ない。


 お兄様からの手紙も、いつもならたくさん、色んなどうでもいいことが書かれているのに……今回に限っては、“心配するな”の一言しかなかったから、余計に。


「少し……一人に、させてください」




 もはや自分の部屋と呼べるまでに馴染んだ病室で、俺は布団に籠って一人悶々と悩む。


 モニカの言うことは正しい。俺は本気の戦いになったら足手まといだし、俺を傷付けたくないっていうモニカの優しさは素直に嬉しい。


 でもやっぱり、それを納得して受け入れられるほど、俺の心は大人にはなりきれなかった。


「お父様……お母様……お兄様……」


 家族は無事なんだろうか。

 グランベル領がある場所は、地理的に帝国と近いから……もしかしたら、最前線になっているかもしれない。


「シグート……リフィネ……」


 戦争となれば、その目標となるのは王都だろうし、今や王国のトップとなったシグートは、間違いなく命を狙われてる。


 リフィネも、最後に会った時は騎士団に入るって言ってたから、シグートを守るために戦っているのかもしれない。


 怪我をしていないか、ちゃんと眠れる日々を過ごせているのか。


 即席の塹壕みたいな粗悪な環境で、ちょっとした傷からも感染症を心配しなきゃならないような、映画みたいな戦場を想像して、俺は唇が噛み切れるくらい歯を食い縛る。


「もっと……私が、強かったら……」


 どうしても、何度もそう考えてしまう。

 俺も剣を片手に、強力な魔法で戦える、強い子だったら、って。


 “グランベル”の名に恥じないくらい、力があれば……オルトリア王国に残してきたみんなを守るために、モニカと一緒に行けたんだろうか?


「ユミエ……」


「……セオ?」


 思い悩んでいたら、控えめなノックと共にセオが入って来た。


 一人にして欲しい、ってモニカに伝えてあったのを聞いているのか、どこか遠慮がちでオドオドとしたセオに、俺は思わず苦笑した。


「ほら、セオ」


 あまり心配ばかりかけてはいられないと、俺は両手を広げセオを促す。


 いつもなら、すぐに俺の胸に飛び込んでくるところなんだけど……セオは首を振ってそれを拒絶し、逆に俺の頭を自分の胸に抱き締めた。


「セオ……?」


 予想外の行動に戸惑う俺に、セオは何も答えずただぎゅっと抱き締めて来る。


 どれくらい、そうしていただろうか。

 セオの柔らかな温もりに包まれて心が落ち着いていくのを実感していると、小さくセオが口を開いた。


「ユミエは……もっと、我が儘言っても、いいと思う……」


「え?」


「ユミエは、すごい。私のことも、グレイのことも、お母さん達も……みんな、みんな助けてくれた。金狐族の子供達とも仲良くなって……昔みたいな、みんなで笑い合える、毎日を……取り戻してくれた」


 だから、と、セオは俺と向き合い、じっと見つめてくる。


 少し前まで、幼く不安定に揺れていたその瞳は、今やすっかり力強く、眩しいくらいに輝いていた。


「ユミエが私の腕になってくれるなら、私はユミエの力になりたい。ユミエが守りたいもの、全部守れる力になる。だから……泣かないで、ユミエ。ユミエのお願い、全部叶えてみせるから」


「セオ……」


 真っ直ぐなセオの想いを聞き、俺は本当に涙が出てきた。


 生まれも、種族だって違うのに、こんなに一生懸命俺を支えようとしてくれる友達がいる。


 それだけで、無限の勇気が湧いてくる気がした。


「ありがとうございます、セオ。お陰で元気が出てきました」


「ん……どういたしまして。それで……ユミエ、どうしたい?」


 どこまででもついていくと、これ以上ないくらいハッキリと顔に書いてあるセオに微笑みながら、俺はこの子と出会ってから初めてとなる、我が儘なお願いを口にした。


「私と一緒に、セイウス先生……いえ、“議長”に、会いに行って貰えませんか?」




 セイウス先生は現在、突然戦争状態に突入したベゼルウス帝国とオルトリア王国について、ユーフェミアとしてどう対応するかを議論するため、百獣評議会を召集し、会議の真っ最中だ。


 その只中へ、俺とセオは乗り込んで行った。


「失礼します!」


 途中で止められるかと思ったのに、見張りの人は何も言わずに俺を通してくれた。


 喧々囂々の議論が漏れ聞こえていた会議室に入ると、それまでの喧騒が嘘のように静まり返り、議員全員が俺の方を見る。


「ユミエ、それにセオか……どうしたのじゃ?」


 いつも、セイウス先生は「議長なんて早く止めたい」と口癖のように言っていた。


 でも、こうして会議室にいる時のセイウス先生は、普段の和やかな雰囲気とはまるで違う、威厳に満ち溢れた“議長”としての堂々たる姿でそこにいる。


 ピリピリとした空気感に、思わず後退りそうになったけど……ぎゅっと手を握るセオの存在を隣に感じるだけで、俺はその場に踏みとどまることが出来た。


「オルトリア王国、グランベル家が長女、ユミエ・グランベルとして、お願いがあって参りました」


「……申してみよ」


 突然押し掛けたにも関わらず、会議を中断して発言を許可してくれる。


 そんなセイウス先生の優しさに感謝しながら──俺は、その場に土下座せんばかりの勢いで頭を下げ、必死に懇願した。


「お願いします……私の、私達の国を、助けてください!!」


 自分でも、ふざけたことを口にしている自覚はある。


 これは、国同士の戦争だ。いくら貴族だって言っても、国王の委任状一つ持たないこんな小娘のお願いなんて、いくら親しい間柄でも聞く余地はない。


 それでも、俺は……俺にはもう、誰かに頼る以外に何も出来なかった。


「戦って欲しいなんて言いません。後方支援でも、避難民が出た時に受け入れ先を提供していただけるだけでも構いません。どうか……私に、力を……貸してください……!!」


 静まり返った会議室に、俺の声だけが虚しく響く。


 何の見返りも用意出来ない俺の言葉を、こうやって最後まで聞いてくれただけでも破格の待遇だ。拒否されるに決まってる。


 それでも、一縷の望みに縋って頭を下げ続ける俺に──ポン、と。


 いつの間にかすぐ傍に歩み寄っていたセイウス先生の手が、優しく添えられた。


「顔を上げよ、ユミエ。そんな風に、無闇に頭を下げるものではないぞ」


「……はい、すみません……」


 ゆっくりと顔を上げた俺を、セイウス先生がそっと撫でる。


 膝立ちの姿勢から立ち上がった先生は、会議室に集まった議員達に向き直り、厳かに告げた。


「お前達。ユミエはこれまで、この国で様々な活動をしてくれた。心に傷を負ったセオを立ち直らせたのみならず、様々な部族と交流を重ね、有事には新たな避難経路を作り、理不尽に誘拐されようとも、同胞のためにその力を尽くして解放に尽力してくれた」


 足音を響かせ、セイウス先生が元の議長席へと戻っていく。


 より一層鋭さを増した瞳には、見た目の幼さを感じさせない深い思慮深さと、確固たる信念の光が見える。


「そんなユミエを、獣人ではないからと、未だ同胞と認めん頑固者はおるか?」


「「「否」」」


「同胞の心からの願いを……生まれ故郷を救って欲しいという真摯な想いを無碍にするような、愚か者はおるか? 敵が強大な帝国じゃからと腰が引けるような臆病者はおるか!?」


「「「否!!」」」


 議員達全員が立ち上がり、決意の眼差しでセイウス先生を見つめる。


 その先に続く言葉を確信し、宣言されるのを待ち望んでいるかのように。


「総員、武器を取れ!! 我らはこれより、オルトリア王国の救援に向かう!! ユーフェミアの──獣人族の誇りと威信に懸けて、各々力を尽くせ!! “我が魂は同胞のために”!!」


「「「“我が力は友のために”!!」」」


 会議室に轟く雄叫びのような宣誓が、痛いくらいに俺の心をかき乱す。

 堪えることも出来ずに溢れた涙を、傍にいたセオがそっと拭ってくれた。


「ありがとうございます、セオ……皆さんも、本当に……ありがとう、ございます……!!」

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