第93話 真の狙い

 拘禁、というよりは軟禁に近い扱いを受けるグレイは、割り当てられた部屋の隅で膝を抱えたまま蹲っていた。


 時間は夜遅く、既に避難民もほぼ全員が寝静まっている頃。それでも、グレイは眠ることも出来ないまま、ユミエに言われた言葉を何度も脳内に思い浮かべる。


 ──死ぬ覚悟が持てないなんて当たり前です。一人で生きていく勇気が持てないなんて当たり前です! だからこそ、そんな重い決断を、人任せになんてしないでください!!


「人任せ、か……」


 そんな自覚は全くなかったが、指摘されてみればそうかもしれないと思える。


 いや、これまでの人生、一度だって自分の意思で何かを決めたことがあっただろうか?


 ナイトハルト家にいた頃は、ただ死ぬのが怖くて影のように生き、言われたことだけを忠実にこなしていた。


 帝国に移ってからも、一線を越えるのは嫌だと言いながら、それ以外のことならなんでも協力し続けて、気付けばこんなところまで来てしまった。今回は何もせずとも大きな問題はないまま終わったが、下手をすれば獣人達に大きな被害が出ていたかもしれない。


 こうするしかないのだと、そう言い訳しながら流され続けた、自分のせいで。


「やあ、酷い有り様ですねえ」


 聞こえるはずのない声が突然聞こえたことで、グレイの肩がびくりと跳ね上がる。


 顔を上げれば、そこには金狐族の長、コーラスが何喰わぬ顔で立っていた。


「どうして、ここに……!?」


「ははは、何を言うかと思えば。ここは私の故郷、庭みたいなものですよ。姿を隠す能力を持った私に、入り込めない場所などありません」


 もっとも、ここまで自由に出入り出来るのは、金狐の中でも私くらいですがね、と、コーラスは自慢げに語る。


 もしここにいることがバレたら、グレイとは比べ物にならないほどの憎しみをぶつけられるであろう男が、一体何をしに現れたのか。


 警戒心を募らせるグレイに、彼は穏和な表情で語りかける。


「それにしても、酷い話ですねえ。ただあの男に利用されただけのあなたを、こんな場所に監禁するとは。獣人達には人の心がないらしい」


「……あなた達が、何か企んでるのは分かってたのに、ずっと黙ってたんだから……当然のことです」


「そうは言いますがねえ、だからって、あの娘……ユミエでしたか? 彼女の言い分もなかなか無責任だと思いますよ」


 ピクリと、グレイの眉が跳ねる。


 それを知ってか知らずか、コーラスは語り続けた。


「自分は何をしても許される立場にありながら、そうでないあなたに自分の意思を問うなど、残酷な話ですよ。逆らえばどうなるか分からない恐怖を、あの娘は知らないと見える」


「やめてください。そんなんじゃありませんから」


 コーラスの言葉を、グレイは強く否定する。

 顔を上げた少年の瞳には、これまでにはなかった確固たる“意志”の光が見えた。


「あの子は、これまで出会ってきた誰よりも僕のことを心配して、真剣に怒ってくれたんだ。それを、あなたなんかに否定されたくない」


 グレイがユミエと関わったのは、本当に僅かな期間だ。

 それでも、彼女に向けられた称賛と感謝の笑顔も、叱咤と激励の形相も、全て脳裏に焼き付いている。


 これまでの人生で誰一人として向けてくれる者がいなかった、心からの気持ち。それを否定されて、グレイは自分でも驚くほどに、ハッキリと“怒り”の感情を自覚した。


「それ以上喋るなら、今すぐ騒ぎ立てて人を呼ぶぞ。僕はあなたに……あの子と出会う切っ掛けをくれたことだけは感謝してるんだ。今すぐ帰れば、一度くらいは見逃してやる」


 奮起したばかりの意志は蝋燭のように儚く揺れ、少し吹けば消えてしまいそうなほどにまだまだ頼りない。


 それでも、これまで全く見せたことのない、ハッキリとした成長の兆しを垣間見せたグレイに──


「ふふ、はっ……アハハハハ!!」


 コーラスは、心の底から笑い声を上げた。


 突然の変貌に驚くグレイに、コーラスは可笑しくてたまらないとばかりに叫んだ。


「良い、実に良いッ!! 噂には聞いていましたが、まさか本当にこの僅かな期間で、人一人にここまで影響を与えるとは。本当に素晴らしい、期待以上ですッ!!」


「何を……言っている……?」


「決まっているでしょう? 私にとって今最大の目的……ユミエ・グランベルの“力”が想定を遥かに上回っていると確認が取れて、喜んでいるんですよ」


「っ……!?」


 これまで、コーラスは何一つ嘘は吐いていなかった。

 セオの存在が、カイデルの研究に役立つだろうというのは間違いではない。

 翠猫族の能力が、青狼族よりも高値で取引され得る貴重で有用なものであるという話も嘘ではないし、最初はそれを狙ってこの国に来たのも確かだ。


 しかし、彼がカイデルを騙し、のも、のも、全てはこの時のため。


 社交デビューから僅か数ヶ月でオルトリア王国の中枢を籠絡し、今この時も神獣国ユーフェミアに確固たる存在感を放ちつつあるイレギュラー。ユミエの価値を計り、手中に収めるためだったのだ。


「彼女の存在は、使い方によってはこの大陸のパワーバランスをひっくり返すほどに絶大なものです、。それを手に入れられたならば、私は“世界”を手にすることさえ夢ではない」


「あの子を……ユミエを浚うのが目的だったっていうのか!?」


「ええ、そうですよ。ハッキリとそれを目的として定めたのは、この国に来て彼女を直接目にしてからですが……その意味では、あなたにも感謝していますよグレイ、彼女の力を試す試金石として、この上なく良い働きをしてくれました。お礼に、ここから出して差し上げましょうか? ユミエ・グランベルともども、私の部下として可愛がってあげてもいいですよ?」


「ふざけるなっ……!!」


 グレイの中で芽生え始めていた意志が、より激しい怒りの感情を燃え上がらせていく。


 それは、彼の中に元々あった自虐的な面と合わさり、容易に一線を踏み越える判断へと至らせる。


「そんなこと、絶対にさせない……お前はここで、僕と一緒に死ね!!」


 軽い身体検査では見つからない、歯の奥に仕込まれていた錠剤を噛み砕く。


 それは、カイデルの部下が使っていた魔道兵装用に調整された魔物因子、その塊。

 いざという時、カイデルの命令で捨て駒となるべく用意させられていた、一時的に身体能力と魔力を限界以上に増強させる劇薬である。


「グッ……アァァァァ!!」


 即座に出た影響により、グレイの全身に紫色の紋様が浮かび上がり、獣のごとき俊敏さと怪力でコーラスに襲い掛かる。


 曲がりなりにも、彼を監禁しておくべく用意された建物の頑丈な壁が、叩き付けられた拳によって紙くずの如く破壊された。


 代償として、引き上げられた能力に対し貧弱極まりない彼の拳が血だらけになっていたが、そんなことは構わないとばかりに顔を上げる。


 今の一撃を容易く回避し、不気味な笑みを浮かべるコーラスへと。


「フハハハハ!! まさか君が、何の躊躇もなく自らの意思でそれを使うとはねぇ、本当に驚かされる。ですが、いいのですか?」


「……?」


「そんな姿と力で暴れ出しては……あなたを疑う獣人達に、何の言い訳も立ちませんよ?」


 コーラスの言葉とほぼ同時に、騒ぎを聞き付けた獣人の戦士達や、ベルモント家の騎士が集まって来る。


 化け物のような見た目になった囚人を見て、即座に剣を抜く彼らに、グレイは慌てて弁明した。


「待ってください!! 罰なら後でいくらでも受けますから、今はコイツを……!!」


「コイツ? 何の話だ?」


「なっ……」


 振り返った時、既にコーラスの姿はどこにもなかった。


 ユミエが狙いだという話をわざわざ語って聞かせたのは、ユミエに対する彼の感情を推し量るだけでなく、激昂させて囮にする目的もあったのだろう。


 そして、この騒ぎの間にコーラスが何を狙っているかなど、考えるまでもない。


「訳の分からないことを言っていないで、大人しく投降しろ! さもなくば、この場で斬り捨てる!!」


 警告してはいるものの、集まった人々は、誰もがグレイをこの場で処断しようと殺気立っているものばかりだ。


 無理もないと、グレイ自身そう思う。きっと逆の立場なら、グレイもそうしたはずだ。


 だが、今は悠長に事情を話し、分かって貰う暇はない。


「……ごめんなさい!!」


「なっ、逃げたぞ!!」


「追え!! 逃がすな!!」


 もう片方の拳で地面を叩き割ることで巻き上げた土埃に紛れ、グレイは逃走を図る。


 去り際に、せめて一言だけでもと警戒を呼び掛けながら。


「ユミエが危ないんです! 今は、今だけは……見逃してください!!」




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