第73話 火種から咲く友好の花

 セオがまず連れて行かれたのは、港から少し離れた場所にある、小さな別荘のような場所だった。


 彼女が囚われていた時の状況が分からないため、出来るだけ解放感のある落ち着ける場所を、と配慮された結果だ。ここで一旦様子を見て、ちゃんとした病院に移すか、医者をここに呼ぶか決める算段である。


 同時に、可能であればここで事情を聞かせて貰おうと評議会のメンバーは考えているが……あまり大人数では萎縮させてしまうかもしれないと、話し相手は同性かつ人生経験豊富なジャミリーが受け持つことになっていた。


 代わりに、ここでの会話の内容は、通信魔法によって百獣評議会のメンバーに共有されている。


「さあ、何も遠慮することはないからね。ゆっくりしておくれ」


「……ありがとう、ございます」


 出来るだけ優しい声色で告げるが、セオの反応は鈍い。目の前に出されたお茶にも手をつけない辺り、強い警戒心が伺える。


(無理もないねえ、同胞の裏切りで酷い目に遭ったんだ。同胞だから信じろだなんて、とても言えないさね)


 信じて貰えないのは悲しいが、それを言っても始まらない。

 まずはゆっくり、親睦を深めるところから──と、ジャミリーは考えた。


「あの……」


「なんだい?」


 だからこそ、セオの方から話し掛けて来たことに、ジャミリーは少なからず驚いた。


 それも、ただ要望をぶつけるのではない、真摯な眼差しで。


「私に……青狼族に何があったのか知りたくて、呼ばれたんです、よね……? ちゃんと話しますから、聞いてください」


「……いいのかい? 聞きたかったのは確かだが、無理をする必要はない。一度ゆっくり休んで、落ち着いてからでもいいんだよ?」


「いえ……大丈夫、です」


 そう言って、セオは自分達の身に起こったことを語り始めた。


 金狐族の男に騙され、青狼族の人達に睡眠薬入りの毒団子を配り歩いてしまったこと。


 家族と引き離され、セオ一人でオルトリア王国の貴族、ナイトハルトに買われていったこと。


 そして……そこで行われた、非道な実験も。


「魔物の、力を……人に植え付けて、人外の兵士を作るんだって。普通の人間じゃ耐えられなかった、から、獣人を使うって……そう言って」


 話している間に、辛い記憶が蘇って来たのだろう。セオの肩が震えだし、声にも怯えの色が混じる。


「毎日、毎日、体中弄り回されて……変な注射、打たれて……腕を切られて、代わりに付けられた腕のせいで、毎日苦しくて苦しくて。その上、性能実験だって、その腕で人殺しまでさせられて……!!」


 セオの呼吸が、どんどん荒くなっていく。

 開ききった瞳孔には目の前にいるジャミリーの姿も映っておらず、散々味わったのであろう恐怖と絶望で染まりきっていた。


 ──とても、正気のまま聞いていられるような内容ではなかった。


「もういい、セオ……!! それ以上、何も話さなくてもいい……!!」


 立ち上がったジャミリーが、セオの体を抱き締める。


 ふざけるな、とジャミリーは思った。

 セオはまだ、成人にもなっていない十歳そこそこの小さな子供だ。それを、丈夫な獣人だからと非道な実験に使い、望まぬ殺人までさせられて。


 この子が何をした。どんな罪を犯したとて、そんな非道が許されていい道理などないはずだ。


 ジャミリーのみならず、こっそりと仕掛けられた通信魔道具越しにも、仲間達が怒り狂う気配が伝わってくる。


 こんな非道をした連中など、とても生かしておけない。今すぐにでもオルトリアに乗り込み、その罪の重さを知らしめてやる。


 穏健派だったジャミリーでさえ、そんな感情に呑まれようとしたその時──でも、と。


 セオの震えが止まり、涙の滲む瞳に光が戻った。


「ユミエがね……助けて、くれたんだ」


「ユミエ? それは……」


「私と一緒にいた、車椅子の女の子。あの地獄みたいな場所から助けられた後も、ずっとずっと辛かった私に……生きて欲しいって、そう言ってくれたの……」


 そこからは、ただひたすらユミエとの思い出話がセオの口から語られた。


 塞ぎこんでいた自分に、根気強く話し掛けてくれたこと。

 どれだけ拒絶してもめげずに関わり、いつも優しく笑いかけてくれたことを。


「私よりも不自由な体なのに、私のために、いっぱい頑張ってくれて……この服も、髪もね? 私のためにって……ユミエが、考えてくれたんだよ?」


 愛おしそうに髪留めに触れるセオの表情は、度重なる実験による肌の変色など気にならないほど、ジャミリーの目にも可愛らしく映った。


 それこそ、今この場におらず、通信越しでしか状況を知る術がない同胞達を、残念に思うほどに。


「こんな体になった私を、好きだって……可愛いって、言ってくれて……ユミエに、おやすみって言って貰えるだけで、悪い夢も全然見なくなって……」


「……よっぽど大切にして貰えたんだね、そのユミエって子に」


「うん……大好き」


 万感の想いが込められたその言葉に、ジャミリーは「そうかい」と息を吐く。


 もう、先ほどまでの激しい怒りの感情は、残っていない。


 いや、セオを奴隷に堕とした裏切り者や、非道な実験に利用したナイトハルトの関係者に対する怒りは未だに燻っている。


 だが……それを無闇に“オルトリアの連中”と拡大するような愚かな考えは、とっくに消えてなくなっていた。


(どんな国にも、集団にも、ロクでもないやつもいれば良いやつもいる……当たり前の話だったね)


 自身が思っていた以上に冷静でなかったと気付かされたジャミリーは、表には出さないように内心で自嘲する。


 そして、聞いてもいないのに未だユミエの惚気話を続けるセオを微笑ましい気持ちで見つめながら、セイウスへ上げる報告の内容を決定した。


 ──オルトリア王国へ向けるべきは、同胞を傷付けられたことへの怒りではなく、同胞を救いだしてくれたことへの感謝である。ユミエ・グランベル以下オルトリア使節団は、国賓として丁重にもてなすべし、と。


 こうして、ユミエの行いは本人も預かり知らぬまま、ユーフェミア国内で燃え上がりかけていた戦争の火種を鎮火させ、より大きな友好の花を咲かせるのだった。

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