第9話 リフィア・グランベルの後悔
私の名前は、リフィア・グランベル。グランベル伯爵家当主、カルロット・グランベルの妻だ。
だけど……つい最近まで、私は自分の立場が失われていくような、そんな危機感に駆られていた。
ある日突然出来た、義理の娘……ユミエの存在によって。
「お母様、今日もよろしくお願いします!」
元気良く挨拶するのに合わせ、ペコリと下げられる頭。
平民であれば百点満点の挨拶だけれど、貴族となれば話は違う。
「ユミエ、そんな風に大きく頭を下げないの。軽くスカートをつまんで、足を引きながら……こう」
手本を示すように、目の前で礼をしてみせる。
すると、ユミエは「おおっ」と瞳を輝かせながら手を叩いた。
「お母様、すごい綺麗です! どうやったらそんな風に自然に出来るようになるんですか!?」
「練習よ、練習」
「あ、はい……ですよね……」
あはは、と、困ったようにユミエは笑う。
少し前までは、こんな笑顔にすら苛立つほど、私には余裕がなかった。
どれだけ子供が欲しいと願っても、なかなか授かることの出来ないこの体。
グランベル夫人は不妊になったのではと社交の場で囁かれるのは、貴族の女性にとっては何よりも屈辱的だ。
それでも、夫だけは味方でいてくれると信じていた。
貴族にしては珍しく、恋愛結婚を果たした私達は、周囲に羨まれるほどのおしどり夫婦だった自覚があるし、あの人もそう思ってくれていると思っていたから。
だからこそ余計に、何の相談もなく連れてこられた婚外子を見て、裏切られたと感じてしまった。カルロットが娘と呼ぶその子の存在を、疎ましく思ってしまった。
"それ"は、私が産むはずだった未来の子の居場所であって、どこの誰とも知れない"お前"のものではないと。
「なら、私も頑張って練習します! 見ていてください!」
そんな私の醜い感情を、これまで何度もユミエに対して理不尽にぶつけてしまった。
謝ったところで、許して貰えるはずがない。
ならば距離を置けばいいのかといえば、それも違うと他ならぬユミエが叫んでいた。
こんな私とさえも、家族になりたいと。
けれど……ニールと同じように接すればいいと頭では分かっていても、これまでの後ろめたさもあって上手く行かない。
厳しい言葉が口を突いて出る度に後悔を募らせ、無意識のうちに心に壁を作ってしまう。
「お母様、今のはどうですか? 結構ちゃんと出来たと思うんですけど!」
そんな私の葛藤を余所に、ユミエは私に笑顔を振り撒く。
どうしてそんなに笑えるのかと、何度も疑問に思った。
そして、疑問のままにユミエの専属メイドに話を聞いて……思わぬ言葉を告げられた。
──お嬢様は、普段はなかなかわんぱくな子ですね、言葉遣いも男っぽいですし。ただ、自分を可愛く着飾るのはとても好きなようです。自分が可愛く振る舞えば、奥様達に愛して貰えるはずだと……そう考えておられました。
つまり、ユミエは今、必死に"理想の娘"を演じようとしているのだ。ただ家族の一員として認められたい一心で、一生懸命笑顔を振り撒いている。
なんて健気でいじらしいのだろうと、愛しさが込み上げる。同時に、こんな小さな子を、そうせざるを得ないまでに追い詰めたのが自分だという事実が、罪悪感となって心を蝕む。
だからこそ、私も勇気を出さなければならない。
罪の意識を十字架として胸に刻んだまま、今度こそ母親として……この子に本当の笑顔を取り戻すのだ。
「ええ、よく出来ていたわ。ちゃんと復習してきたのね、えらいわ」
「本当ですか!? ありがとうございます!!」
頭を撫でると、ユミエがにこりと笑みを浮かべる。
これが、無理に作られた偽物の笑みなのか、心からの笑みなのか、それすらも私には分からない。それを判断するには、この子と接した時間があまりにも短すぎる。
だからせめて──二度と、この子に泣き顔なんて浮かばせてなるものかと、心に誓う。
「そうだ、ユミエ。何か欲しいものはあるかしら?」
「欲しいもの、ですか?」
「ええ。なんでも用意するわよ」
これまでの償いのため、というわけじゃないけれど、私はユミエに何かプレゼント出来ないかと思い立った。
着飾るのは好きだと言っていたし、ドレスやアクセサリーかしら?
デザイナーを呼んで、一からオーダーメイドして貰うのも悪くないわね。
そんな風に考えながら、ユミエの返答を待っていると、ユミエは迷うように視線を下げていく。
「えっと……本当に、何でもいいんですか……?」
「もちろんよ」
下手なことを言えば怒られるとでも思っているのだろうか?
そう思って、出来るだけ優しく請け負ってあげると、ユミエはおずおずと視線を上げ──
「なら……お母様に、ぎゅって……抱き締めて、貰いたいです……」
そう、おねだりしてきた。
「ぶっ、ぐふっ、げほげほ!」
「お、お母様、大丈夫ですか!?」
「え、ええ、大丈夫よ」
あまりにも予想外の内容に、思わずむせ返ってしまった。
いや、内容だけじゃない。悩み抜いた末に意を決しておねだりするユミエの何気ない上目遣いがあまりにも可愛く見えて、思わず意識を持っていかれるところだった。
「えっと……本当にそんなことでいいの?」
「はい、それがいいんです」
「……分かったわ」
請われるがまま、私はユミエの前で膝を折り、その体を抱き締める。
改めて触れてみても、ユミエの体はか細く、思い切り抱き締めたらそのまま折れてしまいそう。
苦しくないようにと、出来るだけそっと、割れ物に触れるように抱いていると、耳元でユミエの声した。
「えへへ……お母様、あったかいです……」
その声を聞くだけで、私の胸の中まで温かくなっていく。
懐かしいその感覚は、一体なんだっただろうかと考えて、思い出した。
ニールが生まれた日──あの子をこの手で抱き上げた時と、同じなんだ。
「……ユミエ」
「はい、なんですか?」
「あなたは私の娘よ。だから……甘えたい時は、いつでも甘えて」
許可というよりも、むしろそうして欲しいと願うような、そんな言葉。
それを聞いたユミエは、「はい!」と元気な返事を返してくれた。
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