第7話 仲直り

「何を……言っている?」


 俺を追い出してくれ、と告げた後、しばしの沈黙を経てお父様はそう呟いた。

 リサに至っては、俺の発言が予想外過ぎたのか、絶句したまま固まってしまっている。


「言葉通りの意味です。グランベル家のためを思うなら、私はここにいるべき人間ではありません。……私がいるから、お母様と喧嘩したままなんですよね?」


 威勢よくそんなことを言いながらも、実のところ俺は上手くいくかどうかドッキドキで、嫌な汗をかいていた。


 いや、本当はね? お父様の仕事を手伝えるようになって、お近づきになった上で夫婦の仲直りについて切り出そうと思ってたんだ。


 でもね、ここで一つ重大な問題が発生した。領地運営に関する勉強、難しすぎる。


 これに関してはもう、俺の目論みがあまりにも甘過ぎた。

 見た目年齢はともかく、精神年齢で言えばもっと高い俺ならどうにかなると思ってたけど、覚えることが多すぎて、まともに仕事出来るようになるには数年はかかる。


 じゃあ、数年頑張った後に計画を進めればいいかというと、そんなわけにも行かない。

 そんなに長い間時間を置くには、この家族の関係は冷え込み過ぎてる。


 まだ引き返せるうちに──で済んでいる今のうちに、解決の糸口を見付けなきゃならないんだ。


 ならもう、多少のリスクを呑み込んででも、荒療治に出るしかない。


 ……出来れば、俺が本当に追い出されない範囲で。

 いや、十歳で追い出されたらさすがに生きていけないし。


「お前が責任を感じる必要はない。これは私の問題だ」


「そうですよ、お嬢様は何も悪くありません!!」


 お父様が私の要望をバッサリ切り捨て、ようやく再起動したリサには思い切り抱き締められた。


 やっぱり、お父様はお父様なりに俺のことを気遣ってはいるらしい。

 それが政治的な理由なのか、親子の情によるものなのかは知らないけど……少なくとも、すぐに追い出されることはないって確認出来ただけでも大きい。


 これなら、もう少しだけ踏み込める。


「お父様が原因だというなら、どうしてお母様は私を虐待するんですか!! 私の存在が、お父様とお母様の仲を壊す切っ掛けになったからですよね!?」


 これまで、分かっていても誰も口にしなかったことを、俺はハッキリと声に出す。


 確かに、これはお父様の問題なのかもしれない。

 でも、この家に連れて来られ、家族として認めて貰えないまま邪険に扱われている時点で、もう明確な当事者だ。

 誰に原因があるだなんて責任を押し付けたところで、何も変わらない。


 変えたければ、自分が変わって、自分で動くしかないんだ。


「私だって、この家を出たくなんてありません!! またひとりぼっちになるなんて嫌、お父様にも、お兄様にも、お母様にだって愛されたい、お前も家族の一員だって抱き締められたい!! でも、そのために……目の前で家族が壊れていくのを見るのは、もっと嫌なんです!!」


 ……あれ?

 なんで俺、泣いてるんだろ。

 こんな風に、感情的になって叫ぶつもりじゃなかったのに。

 あくまで、理性的に……俺の家出を取引材料に、どうにか話し合いの場を用意出来ないかな、って考えてただけなのに。


 堰を切って溢れ出した涙は、止まることなく次々と零れ、ドレスや床を汚していく。


「お願いします……私は、どうなってもいいですから……ちゃんと、お母様と……仲直り、してください……」


 ああもう、今の俺、ひっどい顔してるんだろうな。

 今のところ、可愛さくらいしか取り柄がないのに、それを自分から捨ててどうするよ。


 どうにか泣き止もうと目元を拭っても、声一つ押さえられる気がしない。


「ユミエ……私は……」


 お父様が椅子から立ち上がり、何かを言おうと口を開いては、また閉じるのを何度も繰り返す。


 重い沈黙。その間も、リサが静かに俺を撫でてあやしてくれてるのがすごくありがたい。

 これがなかったら俺、この空気に耐えきれずに逃げ出してたかもしれないよ。


「……はあ、情けないですね。子供にここまで言わせて、いつまで黙っているつもりですか?」


 そんな時、不意に後ろから声が聞こえた。

 振り返ってみれば、そこにいたのは鮮やかな紅髪の女性──お母様だった。


「リフィア……」


 突如現れたお母様に、お父様は困惑顔。

 そんなお父様に、つかつかと歩み寄っていったお母様は……そのまま、頬をぶっ叩いた。ほあっ!?


「あなた、腐ってもグランベル家の当主でしょう。少しはシャキッとしなさいな」


「……すまん」


「いつもそうよ。仕事のこととなると饒舌なのに、それ以外のことは途端に口下手になって、結局何も言わずに一人で黙り込む。そんなことだから周りに誤解されるのだと散々言ったでしょう」


「……そうだな」


「ユミエのこともそうよ。何の説明もなしに連れてきて、メイドだけつけて放置して……私やニールが、どれだけ戸惑ったと思っているの」


「…………」


「……私が、なかなか子供を作れない体だから? 私じゃあ伯爵家の妻としての責務を果たせないから、だから私に黙って婚外子なんて作ったの?」


「それは違う!!」


 椅子を蹴飛ばす勢いで立ち上がったお父様は、自分が声を荒げてしまったことに気付いて目を伏せる。


 そんなお父様に、お母様は深く溜め息を溢した。


「違うというのなら、ちゃんと説明してください。私にも……子供達にも、知る権利はあるはずですよ」


 子供達? と思って再度振り向くと、そこにはお兄様の姿もあった。やべ、気付かなかったよ。


 ……もしかして、お兄様がお母様を連れてきてくれたのかな?


 だとしたら、すごく助かった。正直、俺はお母様と会話することも出来なかったし。


 ただ、それにしても……わざわざ"子供達"ってとこを強調するなんて、今までお父様が黙ってたのは、俺達に理由があるってことか?


「……分かった、話そう」


 やがて観念するように、お父様はゆっくりと口を開く。

 かつてこの家を追い出されたメイド──俺の、ユミエの母親と、その馴れ初めについて。


「あの女は、ずっと私に気が合ったらしい。どうも接触が多く、そのことを咎めたことで仕事にも支障が出始めたので追い出そうとしたんだが……最後の日、事件が起きた」


「事件ですって?」


「……媚薬を盛られた」


 思わぬ言葉に、お母様はぎょっと目を見開き、お兄様は何のこっちゃとばかりに首を傾げる。


 いや、えっ? 媚薬? マジで? 俺の実の母親、伯爵家の当主相手に何しちゃってんの?


「朦朧とする意識のまま、行為に及んでしまい……気が付いた時には、あの女はいなくなっていた。その後、人伝に娘が生まれたことと、あの女が死んだことを聞かされて……後は、お前達も知っての通りだ」


 えーと……つまり、俺は母親がお父様を夜這いした結果生まれた子供ってこと?

 想像の遥か斜め上を行く情報なんですけど。もう驚き過ぎて涙なんて引っ込んだよ。


「何も言わなかったのは、悪かったと思っている。だが……こんなふざけた出生について話して、リフィアがユミエをどう扱うか確証が持てなかった。だから、話せなかったんだ」


 そりゃあ、うん……不義の子だった方がまだマシってレベルで、俺の存在が異分子じゃん。むしろ、なんでこの家に連れてきたんだよ。


 本当に、俺は……"ユミエ"は……誰にも望まれずに生まれてきた子供なんだな……。


 ……やべ、また泣けてきた。くそ、泣くなよ。今一番泣きたいのは、お母様だろ。


「私は、ただ……私の存在が、もうあなたにとって不要なものなんじゃないかって……そう思うのが怖かったの」


「そんなわけあるか。この一年、痛いほどに感じたよ。やはり私は、お前がいなければ何も出来ない男だと。……子供とどう接すればいいのかすら、分からないほどに」


「私もよ。……もうここに私の居場所はないって一人で思い込んで、それでもやっぱりあなたの側からは離れられなかった。思うように行かない苛立ちを、ユミエにぶつけてしまっていたの。……ごめんなさい」


「お前が謝る必要はない。私の方こそ、すまなかった」


 泣きそうになるのを必死に堪えている間にも、二人の話し合いは進んでいく。


 ……良かった、ひとまずこの二人はもう大丈夫そうだな。それが分かれば、もう十分だろ。


「俺、さっきから何の話をしてるのか、全然分からないけどさ……」


 そんな時、これまで黙って話を聞いていたお兄様が、口を開いた。


 何も言えずに立ち尽くす俺の体を抱き寄せ、話し込む二人に向けて叫ぶ。


「どんな生まれ方してたって、ユミエは俺の妹だろ!! 父様も、母様も……誰よりもまず、ユミエに謝るべきなんじゃないのかよ!!」


「お兄様、私は、大丈夫ですから……」


「大丈夫なわけあるか!! いくら父様達が仲直りしたって、それでユミエ一人が悲しんでたら何の意味もないだろ!! ユミエだって、もう……俺の大事な家族なんだよ!!」


 驚きのあまり、堪えていた涙がもう一度溢れ落ちていく。

 いや、俺だけじゃなくて、お兄様の目にも涙が溜まっていた。


「ユミエ、今までごめん……! 俺、これから先ずっと、何があってもユミエのこと守ってみせるから。今までやってやれなかった分、ちゃんとした兄ちゃんになれるように頑張るから! だから……」


 俺を抱き締めるお兄様の力が一際強くなり、いっそ苦しいくらいになる。


 けれど、今はそんな苦しいくらいの力強さが、なぜか嬉しい。


「出ていくなんて、言わないでよ……俺の傍で、これからも、ずっと……ユミエの笑顔、見せてくれ……」


「っ……!!」


 はは……バカだな、お兄様は。

 あんなの、お兄様に好かれるために"作った"笑顔だっていうのに、簡単に騙されて。そんなんじゃ、将来女に苦労させられるぞ。


 ……なんて、茶化すようなことを考えてみても、俺自身の心までは全然騙せないな。


 お兄様に、家族だって言って貰えて……ずっ傍にいてくれって言われて。笑っていてくれって、そう言って貰えて。


 嬉しくて、嬉しくて……どうにかなりそうだ。


「ニールの、言う通りだな。……すまない、ユミエ。お前と、どう接したらいいのか分からないなどと言い訳を重ね、お前と関わることそのものをずっと避けてしまっていた。本当に、すまない」


 お父様が俺の傍にしゃがみ込み、懺悔するように頭を下げる。

 そんなお父様の胸元に、俺の方から飛び込んだ。


「謝らなくて、いいです。私をこの家に連れてきてくださっただけで、お父様がどれだけの不利益を被っていたのか、分かっていますから。お父様には、感謝の気持ちしかないです。でも……でも……!」


 顔を上げ、お父様の顔を真下から見上げる。

 涙に濡れた瞳で、怯えるお父様を真っ直ぐに見つめながら、俺は内なる願望を口にした。


「これからは……時々でも、こうやって……お父様に甘えても、いいですか……?」


「っ……ああ、もちろんだとも!」


 お父様に、思い切り抱き締められる。

 お兄様より更に強いその力は、もはや本当に潰れるんじゃないかってレベルで、流石に喜ぶ余地がない。苦しい。


 そんな強すぎる抱擁から俺を助け出してくれたのは、お母様だった。


「ユミエを潰す気ですか? 少しは加減しなさい」


「む……す、すまん」


 お母様の叱責に、お父様がしゅんと小さくなる。

 普段見せない弱気な姿が可笑しくて、少しだけ笑みを溢していると、お母様が俺と向き合った。


「ユミエ……私からも、ごめんなさい。あなたは何も悪くないのに、ずっと酷い扱いを強いてしまって。謝って済むことではないと分かっているけれど……もう、私のことなんて、嫌いで嫌いで、仕方ないのかもしれないけれど……」


 初めて見せる、お母様の怯えた表情。

 俺に向けてそっと伸ばされた手は、反射的にびくりと震えてしまう俺の体を見て、慌てて引っ込んでしまったが……それでも、お母様は最後まで、その言葉を口にした。


「……もう一度、私に……あなたの家族になるチャンスをくれないかしら?」


「……ぐすっ、ふえぇ……!」


 もう、何度目かも分からない涙が、俺の目から溢れ落ちる。


 本当に……こんなの、謝って済む問題じゃないよ。

 家族全員の前で大号泣とか、一生ものの恥だ。きっとこの先、いくつになっても思い出して悶絶する。


 だから、せめて──思い出した時に、この恥ずかしい記憶が笑い話になるように。


 俺のこと、家族として……ちゃんと、愛してくれ。


「嫌なこと、たくさんあったけど、それでも……やっぱり、嫌いになんてなれないですっ!! お母様……!!」


 "ユミエ"の中にあった万感の想いを口にしながら、俺は涙でぐしゃぐしゃになった顔のまま、お母様に抱き着くのだった。

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