あの《嘘の魔女》と同棲してみることになったポーション職人の愉快な日常を、アースティアより……
壱兄さん
第一章、コールのとある一日編
第1話、村人コールと《嘘の魔女》モナ
アースティアというこの世界は、とても良い世界だ。
魔法は刺激的だし、魔物は怖いものも多いが興味深い。未開の地だらけ、未知なるものも無数に存在する。
少なくとも俺にとって、とても温かい世界だ。だから“彼女”にとっても、そうであって欲しい。
その為に――…………まぁ、普通に働きます。
………
……
…
前世の記憶。アースティアの民には稀に、前世の記憶を持つ者が産まれる。
と言っても記憶の断片を有するだけで特に人格が似るなどはない。能力や特異体質を受け継ぐことがある程度の認識であった。
俺もそうだ。
特に強く残るのは、やはり《嘘の魔女》と出逢った日の記憶。
戦禍にあるとある国の兵士であった。野原の戦場に倒れ、致命傷を受けたまま這っていた時のこと。
『――そのままだと、私に当たってしまうよ?』
頭上からの美しい調べに、苦痛も忘れて見上げる。
……神秘的な長い白髪をした妖艶な美女がいた。
絶大な魔力により時を止め、もしくは加速させ、景色も自在に移り変わらせ、まさに世界最強に相応しい立ち姿で立ち塞がっていた。
黒と青のドレスを身に纏い、満点の星空に固定された景色の中で自分だけをその蒼い瞳に捉えていた。
美しい、あまりに美しく、酷薄であった……。
『……怪我をしているね。戯れに治してあげよう』
全身から怪我が
概念を司る《概念魔女》を超えた究極たる三人の《根源魔女》の一人である《嘘の魔女》。
魔女の《嘘》の前には何も真実足り得ない。怪我も感情も、死も時間も。世界すらも裏返す。
『……では、私はもう行くよ』
こちらの怯えた感情を察した魔女が、微笑ながらとても寂しげな声色で去っていく。
後悔であった。
激しい後悔であった。
悔しい。お礼すら言えず、それどころか傷付けた。それが堪らなく悔しい。
男の無念を朧げに感じながら、《嘘の魔女》を思って歩く。
「…………」
冒険者ではなくとも、小さな依頼……お願いを受けている身。比較的安全な森へ入り、考え事から我に帰ると見慣れない場所であることに気付く。
明らかに群生する植物が違う。
神聖さを浴びた新緑には過剰なマナが蓄積されていた。これをポーションに混ぜれば効果は絶大なのではないだろうか。
ということで、ギルド長から頼まれた『貧血気味に効くポーションを』との依頼の為に少しばかり採取する。危なそうなら飲ませなければいい。
一摘み、五摘みくらい皮袋に入れて、ふと思う。
もう少し奥に行けば、ポーションを作れる種類の薬草があるのではないかと。
導かれるように歩みを進める。
行き着いたのは、世にも幻想的な湖であった。
名称も分からない魚や見たこともない巨大な楕円形の生き物が宙を泳ぎ、大きな蒼い湖はそれらを包み込んで有り余る程に広い。
そして――
「――ここには入って来られない筈なんだけどね」
あの頃とまるで変わらない究極的美貌を誇る《嘘の魔女》が、湖畔に立っていた。
「何者なのかな、君は。私を殺しに来たの? それとも迷い込んだのかな」
言い伝えがある。《嘘の魔女》に嘘を吐くと、その者の体験できうる不幸の全てがその身に降り掛かるのだとか。裏切り、逆恨み、堕落、最愛の死、戦争に至るまでありとあらゆる不幸に見舞われる。
だからここは、“迷い込んだ”と正直に――
「結婚、しません……?」
「えぇ……? いきなりかい……?」
俺のお口が暴走してしまっていた。
「いやっ、マジすんません。たまに緩くなるんすっ、このお口!」
「……しかし真実だろう? 私が誰で何者で、何ができてしまえるのかを本当に理解しているのかな」
「う、《嘘の魔女》モナ様です……」
その姿を見ていると、何故か口にしてしまっていた。
「知っていてプロポーズしたんだね。……しかし、困ったな。私達は初対面だ。それに私は交際経験すらない」
「…………」
落ち着け、落ち着け、まだアンラッキーマンになるとは限らない。
しかし噂は当てにならない。残酷で冷酷で我儘で、人間を人間と思わず、聞き分けのない子供のような側面を持つのが魔女と聞いていた。
顎に手を当てて静かに俺の告白について考えるモナ様からは、計り知れない優しさを感じる。
「…………よし、ではこうしようか」
「あ、かわい……」
「ふふっ、ありがとう。でも今はお話をしようか」
豊満な胸前で指先を軽く合わせるように手を叩き、妖艶に微笑んで一つの提案をした。
「まずは交際をしてみないかい?」
「……い、いいんすか? あっ、あと俺は、コール・アリマって言います」
「コール君、しかし条件がある」
「う、うぃ……聞かせてください」
背後の湖と揃って輝くモナ様の眼光を受けて胸が高鳴るも真剣に聞く。
「両想いであるとしよう。私もコール君が好きなのだと思って交際をして欲しい。君が一方的に想う場合だと、結婚後の相性を図ることにはならないだろう?」
「お試しって、ことっすか……」
「うん、でもこの姿の時には現在の心境を正直に答えると誓うよ。現在、私は君に興味がある……こんな風にね」
騒がしく感じたのか、大切な話だからなのか、泳ぎ回るもの達を停止させてモナ様は続けた。
「ただ……最終的に君の努力が報われる可能性は、かなり低いかもしれない。正直に言うなら、絶望的だ」
「……やらないよりいいっしょ。絶対に一緒にいたいって思わせてみせます」
申し訳無さそうに笑うモナ様に、俺は決意した。
「そっか……、では……よろしくね、コール君」
二十歳から二十代前半といったモナ様の見た目が、少し年若くなり俺と変わらないものとなる。
おそらく、ここからが始まりということだろう。
「…………よろしくな、モナ」
「うんうん、よくできました」
モナは先程の落ち着いたモナ様よりも明るく、しかし色っぽく笑った。
………
……
…
それから一年後。
「——ご飯ご飯ご飯ご飯ご飯っ、ご飯の時間だよっ!!」
小さな幼女の姿を取るモナが、食卓で暴れていた。小さなフォークを片手に朝食をと急かす。
「早起き偉いじゃん」
「知ってるっ!!」
「でもモナさんや、今日の朝食は作ってくれるのではなかったんかい?」
「…………そ、そうだったかもね」
椅子から飛び降りようとするモナを手で押し留める。
「あのさ、俺のパンツがまた無くなってんだけど……何か知らない?」
「知ってるよっ!」
満開の笑顔で元気よく答えるモナに不安が超加速していく。
「…………前にあなた、俺のパンツを都市の衛兵に配って回った前科があるじゃん?」
「うん、やったよ!」
「うん、やったよ! じゃないんだよ……。やったらダメなんだから、あの時はやっちゃったよぉって顔をしなさい。基本的に他人のパンツを配り歩いちゃダメ。しかもよりによって風紀を守ってる人達に渡してさぁ……」
返してとも言えず、衛兵を見ればそわそわする毎日だ。指名手配犯の気持ち。
「そういや……何て言って渡したの?」
「これで汗でも拭いてくださいって」
「複雑だよぉ、俺もあちらも……」
しかしやってしまったものは過去のことと割り切るしかない。
「また渡したんかぁ? そうだったらもう、流石に受け取らないでくださいって、恥を覚悟で衛兵さんにお願いしに行くからな。あなた達が汗を拭いているパンツは俺のだってとうとうバレるぞ?」
「ううん。今回は家にあるよ!」
「おっ! マジっ?」
「うん! 玄関のドアに飾ってあるよ!」
「何してくれてんのっ!? っ……!!」
駆け出した。そして扉を開け放ち、すぐ後ろを走って付いて来ていたモナが勢いよく閉める。
振り返れば、悪戦苦闘でもろもろの事件を乗り越えて手にした小さな一軒家。
郊外にある小さな家である。朝日を浴びたマイホームは、それはもう輝いていた。
輝きが……玄関の扉に張り付いた俺のパンツを引き立てていた。
「お出迎えパンツじゃん!! ちょっとせめて内側にしてくんね!? っ……っ、剥がれないサプライズっ!」
「でもこれが無かったら、ここがコール君のお家だって分からないよ?」
「コレがあったって分かんねぇだろっ!! 誰がこのパンツ見て“ここはコールさんのお宅かぁ”ってなるの!? こいつに表札の代わりは重荷なんだよ!!」
男物のパンツを飾っている丘上の家があったら、俺の家です。
諦めて朝ご飯を作ってもらい、その間に身支度をする。
朝食後に玄関からモナの見送りを受け、今日も仕事に行かんとする。
「コール君、今日の予定を言ってごらん?」
寝坊助けなのに今朝は早起きをして軽い朝食を作ってくれた美少女モナ。エプロン姿も麗しい。
しかし何処となく咎める気質で訊ねている。
「今日? ……ギルドに行って、ガッツの依頼を手伝って、マーナンに呼ばれてるから学園にも行かねぇと…………あっ、買い物もして帰って来る、だろ?」
「うんうん、大正解だよ。あとはぁ……」
後ろ手を組んで微笑むモナが、耳元に顔を寄せて蠱惑的に囁いた。
「……夜のエッチも楽しみだね」
「…………」
顔面が取れそうになるくらいに顔を振っていた。無意識での史上最高速度であった。
顔を引いたモナは口元を揃えた指先で隠し、少しだけ顔を赤くしている。
これで演技なのだから《嘘の魔女》と呼ばれるだけはある。必ず本当にしてやる。決意が一段と高まった。
「……うぃ〜、朝から幸せじゃん」
「おや、気を抜いていたらやられちゃうかもよ? 私が君の冒険者パーティーに入れれば、それが最も簡単にして壊滅的に解決的な安全策なのだけれどね」
「なんだっけ、魔女仲間が危ない奴等だらけなんだっけ」
「うん。他の魔女に私達の交際を知られるわけにはいかない。私に歯向かう者が出るとは思えないけれど、奴等は信用ならないからね。あまり《嘘》を君関連に使えないし、関われない。君の活動を助けてあげられないから、近くの強敵くらいは倒しておいてあげる」
モナは学園に通い、冒険者もして、改めて人間世界を知るのだと言った。
しかしもしかしたら、未だに変わらないポーション職人生活を送る俺を心配していたのかもしれない。
「あと……君、今日は参考書や練習に使う薬草やハーブを買うと言っていなかったかい? 魔力回復系のポーションを作れるようにって」
「買うよ? 山ほど買ってくっから、覚悟しろよな。ちょっとカレー臭いやつもあるから」
「君、手持ちのお金がほとんどないだろう?」
「…………え? なんでこんなことになってんの。泥棒入った?」
「この家の価値あるものと言えるのは私だけだよ」
チャリチャリと物悲しい俺の皮袋の財布。モナは容赦無用にそう言いつつもエプロンのポケットから、自らの革財布を取り出した。
「昨夜は私との交際一周年記念と言って良いお酒を買って来てくれたから、それを飲んで騒いだじゃないか。……はい、このくらいで足りる?」
「お、ラッキー」
「ラッキー……? 貸すんだよ? 貸すのだからね?」
彼女のものは俺のもの。俺のものは彼女のもの。細かいことは言いっこなしにしようぜ。
「……あ〜あ、それで今度、新しくえっちな下着を購入するつもりだったのだけどね。ご破産になってしまったよ」
「今いくら渡した? 使えないって、モナが稼いだお金なんだからよ」
多めにして返そうとするも、そっと手を添えて財布に戻される。
「買わないといけないのは同じだろう? いいよ、持っていきなよ」
「……かたじないっ。じゃ、行ってくる」
「はい、行っておいで」
♢♢♢
「…………」
コール君を見送る。
丘上の家から都市へと続く平原の一本道を歩くコール君。心配だ、彼は人間にしても全くの平凡な村人だから。
あっ、また振り返った。可愛いなぁ、私のコール君は。
私のことが大好きで、愛していて、優しくて、根は真面目なのにちょっとクズで、ふざけてばかりのコール君。
愛により、瞳が濁っていくのが分かる。
昨日に大人の姿で『好感を覚えている』と伝えた時のはしゃぎ様を思い出すだけで、きゅんきゅんと胸が高鳴る。
私と真の意味で結ばれる為に、交際に励む姿が堪らない。結ばれた後を想像するとそれだけで……。
「……好き、好き好き、大好きだよ、コール君……」
居心地が良い。毎日が楽しい。愛され、過剰に愛している。
「私は、溺れている……コール君に溺れている」
これまでも、これからも……。
腰の紐を解き、エプロンを外して《嘘》で消してしまう。
現在、都市ファーランドには反魔女派のあの者が潜り込んでいる。
ここは《闇の魔女》の支配下である。あの子は優秀な人間を何人も飼っているから、既に何か察知しているかもしれない。
……優秀か。
――人間など、この世で最も醜き生物ではあるのだけれどね。
「…………なんて、意味深な物言いを内心で呟いてみるモナさんであった」
さぁ、コール君のとてもとても長い一日が始まるよ。
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