第2話 家事をする夫

 直哉、翠が初めて顔を合わせたのは高校の入学後。中学校までは別々のところに通っていた。


 翠とクラスは別々だったため、どの時期に好きになったのかはわからない。きっかけについても未解明のままとなっている。事件に例えるなら、お蔵入りになってしまっている。


 翠にとって不幸だったのは、好きな異性に告白する機会を得られなかったこと。直哉は中学校時代のクラスメイトだった、纏と交際していた。二人は高校こそ違ったものの、非常に仲のいいカップルとして有名だった。


 どれくらい親しいのかを知る機会は一度だけ訪れた。パン屋に向かっている途中で、偶然にも、直哉、纏の二人が手をつないでいるところを一度だけ目撃した。絡んでいた指は、永久的にくっついているように感じられた。一〇本の指全てに、赤い糸を巻き付けていたみたいだった。


 一度きりしか見ていないものの、二人は将来のパートナーになると確信を持てるほどだった。全身から発している愛情は、どのカップルよりも強かった。学校内で耳にしたときはデマかなと思ったけど、実物を見ることにより情報は正確だったのを知った。


 翠は実現の可能性の低さを悟ったのか、すぐ近くに住まいを構えていた、裕に告白をしてきた。彼女としては本望ではないものの、つながりを少しでも保とうとする苦肉の策だった。人間はどうしても叶わない場合、他のもので代用する選択肢を取りがちだ。


 裕は当時彼女はおらず、親しい異性もいなかった。彼女の強い想いを巧みに利用することを思いついた。当時はあまり乗り気ではなかったものの、告白を受け入れることにした。

 

 愛情を注いでいないにもかかわらず、交際を開始することにしたのは、同級生だった由香里への恋心を払拭する狙いも含まれていた。裕は狙っていたものの、小学生時代からの幼馴染と交際していたために、機会は訪れなかった。こちらについては破局の可能性もうわさされていただけに、三年生になるまで待ってもよかった。


 直哉にどんなに強い想いを持っていたとしても、挙式をあげたあとは初恋の男性を忘れると思っていた。普通の女性ならば、一〇年、二〇年引きずる確率はかなり低いと踏んでいた。女性は心変わりが早く、気まぐれな生き物である。


 裕の読みはものの見事に外れることとなる。翠の心は一向に変化の兆しを見せることはなかった。子供を出産したあとも、彼女の瞳は直哉の姿を映し出していた。砂漠の中でオアシスを見つけようとする旅人さながらだった。


 直哉、翠の二人が距離を縮めていたなら、展開は変わっていたかもしれない。接近しなかったことにより、翠の中にあるイメージはそのまま残ってしまったのは誤算だった。直哉の欠点を嫌になるほど見ていれば、未来は変わっていたように思われる。長所、短所がはっきりとしているため、好みはくっきりとわかれる。最初は親しくなりたいと思っていても、接近することで嫌いになる確率は低くなかった。直哉自身も多くの人間から好かれないことを自覚していたのか、クラスで会話をすることはほとんどなかった。


 直哉の跡取りを見越していたのだろう。長男である男性は特段の事情がない限り、家を継ぐ第一候補になる。99パーセント以上は、やむにやまれぬ事情で地元に戻るのを選択する。


 直哉は一向に帰ってくる気配を見せなかった。一年に一度くらいは帰省するという情報を耳にするものの、一泊程度でどこかにいなくなってしまう。地域の中で、顔を合わせたという話すら入ってこない。


 直哉の実家には実妹である、心愛が住まいを構えている。彼女は十三年前に結婚し、六人の子供を設けた。出生率の低下しつつある現代社会において、六人も子供を出産するのは珍しいのではなかろうか。出生率は2を切っていることから、裕の家庭も多い部類に入る。


 心愛の出産機会は子供の人数の半分。偶然にも三回連続で、双子を産んでしまった。双子の出産率はわからないものの、天文学的な確率であるといえよう。


 直哉は高校時代に交際していた、纏とそのままゴールイン。二人に絆の強さからして、なんら違和感はなかった。


 直哉の結婚話の情報を耳にしてからは、翠は夢も希望も失ってしまったようだ、自室に引きこもり、パソコンと会話する日常を過ごしている。一パーセントの確率しかないとわかっていても、彼と一緒になることに賭けていたのかな。


 裕がどんな温かい声をかけたとしても、彼女の奥底に届くことはない。翠のやりたいようにさせてやることにしか、彼女の力になってやれない。


 家庭崩壊レベルなので、脳裏に離婚がよぎらない日はない。そんな状態にもかかわらず、婚姻関係を継続している。子供の母親は彼女しかいないということ、一人で子供を育てるのは難しいということ、離婚したら町内で噂されることなどといった要因が離婚を踏みとどまらせている。


 三つの中で一番大きいのは、町内中で噂を広げられること。地方はアットホームな反面、道を外れた人間に対してはとことん厳しい。翠と離婚したら、引っ越しを覚悟しなければならない。一般会社に勤めている男に、家を新築する資金力はない。


 翠はパソコンの電源を切ると、自室で横になった。本日は一切、家事をするつもりはないようだ。裕が代わりに料理をしなくてはならない。


 夫婦だけならインスタントラーメンで済ませればいいけど、子供たちのことを考えると手作りのものを食べさせてあげたいところ。母からの愛情を受けられていないうえに、手抜き料理ではかわいそうすぎる。


 冷蔵庫を開けると、鶏肉、卵、ベーコンが入っていた。野菜室にはネギ、ギャベツ、ピーマン、もやしなどが一通りそろっていた。これで何を作るのか、必死に知恵を絞った。具材は豊富すぎることによって、調理像を描けなくなっていた。

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