覚悟の代償

 家の扉を力強く叩く音と、友人たちが「レドフィル」と扉の向こうで僕の名前を叫んでいる声で僕はふっと顔を上げた。タミヤさんからの手紙をくしゃりと強く握りしめ、ゆらゆらと立ち上がった。


 玄関扉をゆっくりと開けると、無遠慮に僕の友人たちがぞろぞろと家の中へ押し入って来た。野蛮極まりない行動を止めるよう声をかけても、彼らは気にすることなく僕の家の中を漁り始めた。


「よぉ」


「ブルード……」


 逞しい体つきをした浅黒い肌の男が、気さくな挨拶の言葉をかけながら僕の前に立った。僕を見る目つきは鋭く、胸を軽く張って両腕を組んだ立ち姿からは、巨人のような威圧感が放たれていた。


「今日の朝方に知らせを聞いてな。マーリネイトお嬢様の屋敷に盗人が侵入したらしい。誰がやったのかはまだわからんが、『指輪』が盗まれたってことはわかってる。それで今、町中で大捜索活動が始まってる」


「…………僕は何も知らない。探すなら他の家を当たってくれ。それと、今日は頭が痛いから、そっとしておいてくれ」


「わかった。だが今はとりあえず大人しくじっとしててくれ。部屋の中を漁られるのが気分悪いだろうけど、念のためってやつだ。屋敷から盗まれた物が見つからなけりゃ、すぐに帰るからよ」


 やられた。あのお嬢様、顔と身分に似合わずえげつないことを考える。


 寝室の秘密の場所に隠してあるあの指輪がすぐに見つかることはないはずだ。だがそれも時間の問題。執念深く家中をくまなく探されたら、必ず見つかる。


 なんとかして彼らには諦めて帰ってもらうしかないが、そのなんとかする方法がわからない。「見つかりませんように」と幼稚に祈り続けることしか出来ない。


「台所にはなかった」


 しばらくして、台所を探していた友人の一人が。物足りなさそうな表情で僕らのところへ戻って来た。ブルードは「そうか」と無機質な声色で相槌を打った。彼が安堵しているのか、そうでないのかがさっぱりわからない。


 またひとり、またひとりと捜索を諦めて玄関付近に集合してくる中で、服屋のクローファンだけがなかなか帰ってこない。


「おい。クローファンはどうした」


「あいつなら寝室を探しに行ってたぜ。…………もしかして寝てんじゃねぇか? さっきからずっと眠そうにしてたし、レドフィルのベッド借りてさ」


「ありえる話だな。起こしにいくか。あんの野郎、一番張り切ってたくせにいい度胸してやがるぜ」


 この人数で寝室に足を踏み入れられると指輪の在処がバレてしまう可能性が高い。しかし今はクローファンの様子を見にいくという風に彼らの意識が逸れている。僕の家に指輪はない、という諦めの空気も漂い始めている。どうかこのまま何事もなく終わってくれ────。


「なんかあったぞ!」


 クローファンの叫び声が家に響いた。友人たちがぞろぞろと寝室に向かっていく。


 クローファンを中心にして寝室に集まった男たちは、クローファンの手に握られている二つの箱に熱い視線を送っていた。ひとつは僕の貯金が入っており、もうひとつは早朝にタリスさんから渡されたタミヤさんからの感謝の気持ちという体で贈られた指輪の入っている。そんな裏の事情について一切知らない彼らからしたら、どちらも僕が屋敷から盗んできたものにしか見えないだろう。


 終わりだ。誤魔化しようのない絶望感が、僕の頬に小川を引いた。


「レドフィル」


 ブルードの切なげな声を合図に、全員の視線が僕の顔に移った。


 何を話せばいいのだろうか。顔を手で覆って、皆の刺すような視線の痛みに耐えながら、静かに考える。


 彼らに許しを請うべきか。惨めったらしく地べたに頭を擦り付けて「見逃してくれ」と涙ながらに懇願するか。それとも「自分はマーリネイトお嬢様の罠にかけられたんだ」と言い訳に逃げるか────。


 どれも無意味だな。自分が盗人だと認めているようなものだし、マーリネイト嬢を真の悪役に仕立て上げようにも「マーリネイトお嬢様がそんなことをするはずがない」とたしなめられるだけだ。正直に事実を話したところで、ブルードたちが信じてくれるとは────思いたいが、もう思えない。


 長い思考の末、僕は顔を手で隠したまま、誰にも気づかれないようひっそりと、口角を少し持ち上げてフッと鼻で笑った。


「そっちの箱だけは、置いておいてもらえないかな」


 手を顔の前から退けて、普段通りの態度を装った僕はお金の入っている箱を指差した。


「そのお金は全部、僕が仕事で集めたお金なんだ」


「盗んだ指輪と一緒に隠してあった金がか?」


「うん。将来のためにと思ってずっと貯めてきたんだ。僕にしちゃあ結構な量、集めたと思わない?」


「信用できんな」


「アハハ。そう言うと思った」


 集団の中心に立つクローファンの方に、僕はゆっくりと近寄った。久しぶりに顔を合わせたような気がする彼の様子をまじまじと観察していると、本当に彼の生活習慣が心配でならない。目の下のどす黒いクマ、やせ細った体。お金の入った箱を持つ腕が重たそうに震えている。


 ちゃんと飯を食え。夜になったらちゃんとベッドに入って寝ろ。休む時はしっかり休め。


 クローファンは彼は僕らの意見に耳を貸すことなく服作りに自分の命をかけてきた。幾度となく僕らを心配させた彼の姿に対し、僕は初めて感謝の気持ちを覚えた。


 その箱を持っているのが君で、本当に良かった。


「ごめん」


 お金の入っている箱を素早く大胆に奪い取り、クローファンの胸の辺りを手のひらで突き飛ばし「ぐぇっ」と呼吸の詰まる苦しそうな声を漏らして、大きく吹き飛んだクローファンはベッドの支柱部分に頭を打ち付けた。ゴンと家全体を揺らす鈍い音が響いた。


 全員の視線がクローファンへと移ったそのわずかな隙に、僕は逃げ出した。


「あの野郎、逃げやがった!」


 ブルードの怒号を背中に浴びながら、僕は風のように走った。頬を伝う涙を振り切るために。

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