16:49

 その後も古着屋を巡り、いつの間にか私たちはそれぞれ三つ四つの袋を抱えていた。流石に疲れが回ってきて、黒ずんだ木の看板に白で綴られた「おいしいコーヒーをどうぞ…」の字に私たちは引き寄せられていった。階段を登り、仄暗い店内に脚を踏み入れる。目を、見開く。


「良すぎ……」


「それな……」


 奥の方から差す外の光と、それに寄り添うような暖色のアンティークな照明。かっこいい以外に言葉がないカウンター。これまたタイムスリップしたかのような椅子。コーヒーを嗜む紳士に、談笑しながら煙をたなびかせるお姉さん方。案内されるままに席につき、彼女はコーヒーを、私はミルクティーを注文する。こんなに素敵な店、初めてだ。コーヒーが飲めないのが悔しい。


「……え、これ私たちが来てもいい店だった?」


「わかんない、なにもかもオシャレすぎて世界間違えたかも」


「これちゃんとメニュー日本円? ドルだったりしない?」


「いや、ちゃんと現代日本」


 横の席でぷかぷかと煙を吐くお姉さまのルージュがギラギラしていて、絶対私では使えないなという色がとても似合っていた。ネイルがこれまた派手なのにキマっていて、その手元のジッポライターでノックアウトされそうになる。


「こちらミルクティーとコロンビアで御座います」


「ひぇ!?」


 急に現れたウェイトレスさんの声にびっくりして変な声が出る。例のお姉さんにずいぶん見とれていたことに気付かされる。焦ってすすったミルクティーが唇と舌の先を焼いて、あやうくカップを落としそうになる。


「なにしてんの」


 耳慣れた声が呆れている。そのじとーっとした目付きに、やっと平常心に戻される。戻されたついでに、ちょっと唇を尖らせてみる。なんでこの女はすぐに順応してるんだ。顔がいいせいで様になっている。悔しい。カップを口に運んで、離して、はう、と息をつく。


「……なんか、やっと落ち着けたな」


「まー東京来てもらってからノンストップだったしね」


「ちょっと気取った言い方だけど、積もる話もあるじゃん?」


「まーねー」


 思えばこうやって直接顔を合わせるのは、引っ越してから初めてだ。素直な言い方をすればこいつの隣は居心地がいいので、あまり久しぶりという気もしなかったが、事実として三月以来になる。もっとも、テキストで会話を交わしたり時には通話もしたりしていたのだが。


「じゃあズバリいくか。友達できた?」


「ズバリすぎるし、流石にできたよ」


「どんな感じ?」


「いい人たち。そこそこ気兼ねなく話せるし、一緒にいて楽しいし」


「いいじゃん。私もそんな感じ」


 当たり前だが、私たちはもう「学校で一緒にいる人」という仲ではない。高校を卒業した時点でそうだったし、大学で別れれば尚の事だ。ただ、それが不思議で仕方ない。


「じゃあいい感じの男は?」


「そーゆー話好きね。何人かちょっぴり仲良くなったけど、別に好きとか気になってるとかはないなー」


「えっ、そーなの? なんだ、恋バナする気マンマンで来たのに」


「え、好きな人できたの? 聞かせてよ」


「いや私はできないからお前からそういう成分を摂取しようと思ってたんだよ」


「うわー他力本願」


 恐る恐るミルクティーに口をつけてみる。そろそろ飲めそうな温度だ。


「じゃあ私から聞こ。授業どんなことしてんのー?」


「んー、鍋で米炊いたりしてるよ」


「なんで? え、なんで??」


「なんでだろうなー、そっちは?」


「え、スルーしなきゃなの? ……国語の強化版みたいな感じ。言語学的なことは高校じゃやらないから新鮮だけど」


「へー?」


「方言とか、音便とか、そういうの」


「音便ね、懐かしい響き」


「あ、国語といえばあの四組の副担だった先生彼氏いるってホント?」


「知らねーよ。国語の教師とか某あの人がカスだった記憶しかないわ」


「あー、某あの人」


「某あの人、今担任やってるらしいよ」


「地獄じゃん、可哀想に」


 つらつらと心地のいい会話。ミルクティーを口に含んで、ゆっくり飲み下す。そして、思う。


「なんで私たち今になって高校の先生の愚痴言ってるわけ?」


「さあ、なんでだろな」


 タイムスリップしたような店内で、そんなことを言いながら笑う。面白いことに、私たちの席だけは一、二年前の地元に戻っていた。あの日ジョイフルでしたような、カラオケまねきねこでしたような話を今でもしている。こうでなきゃ。


 ちみちみ飲んでいたカップの中身ももう残り僅かになり、話題もそれに合わせて切り替わる。


「……下北沢って他になんかある?」


「そーね、古着屋もあらかた回ったし、私が前来たときはライブハウスに用があってだったから……」


 ガタッ。おいおい、乗り気かよ。


「いいじゃん、行こうぜライブハウス」


「えー、今日なんかやってるのかなあ」


 以前行った箱のウェブサイトを覗いて見る。あーあ。あーあと思いつつ、絶対楽しいなとニヤける。


「あるよ、ライブ」


「よしきた」


 空になったカップを残して、席を立つ。財布から五百円玉をひとつと百円玉をひとつ、五十円玉をふたつ握りしめて押し付ける。


「はいはい、やっとくやっとく」


 言わなくても伝わる仲って、あるもんだな。


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