62.まだ言わない

校舎の中に入ると、人はほとんどいなかった。

真理は静かな廊下をゆっくり歩くと、中庭が目に入った。


ふと、この中庭でお弁当を交換したことを思い出した。


真理は無意識に中庭に足を向けた。

誰もいないと思っていたのに、一組のカップルがベンチに座って幸せそうに寄り添っていた。


真理に気が付くと、気まずそうにお互い体を離し、良いところを邪魔されたとばかりに真理を睨みつけたが、すぐに顔色が変わった。


両膝に痛々しいほどの大きな絆創膏を貼り、涙を流して立ち尽くしている真理をギョッとするように見ると、二人はすぐに立ち上がり、いそいそと立ち去って行った。


カップルが自分の横を奇異な目で見ながら通り過ぎても、真理は何とも思わなかった。


フラフラっと空いたベンチに近寄ると、崩れるように座り込んだ。

ポケットからハンカチを取り出すと、やっと涙を拭った。


涙が止まったと思ったのもつかの間。

すぐに、さっきの高田と花沢の仲良く顔を寄せていた場面が目に浮かぶ。

そして、自分を川田に託し、さっさと行ってしまった高田の後ろ姿も思い出した。


また涙がどんどん溢れ出す。

真理は自分の膝に顔を埋めた。


「何で泣いてるの?」


頭上で声が聞こえた。

真理はそっと顔を上げた。


そこには息を切らせて、真理を見下ろしている高田がいた。





「・・・何で泣いてるの?」


高田はもう一度真理に聞いた。

真理はポロポロと涙を流しながら、高田を見上げた。


「だって・・・、高田君が行っちゃうから・・・」


「・・・」


「高田君が・・・、高田君が手・・・、放すから・・・」


真理はハンカチで目を覆った。


「・・・ふーん。じゃあ、俺がどこにも行かなかったら、中井さんは泣かない?」


「え・・・?」


真理はゆっくり顔を上げた。


「俺が、中井さんの手を放さなかったら、中井さんはもう泣かない?」


真理はパチクリと目を瞬きして、じっと高田を見つめた。

高田は一瞬息を呑んで顔を逸らしたが、すぐに、意を決したようにもう一度真理を見つめた。


「それなら、俺は手を放すのを止めるよ」


そう言って、真理の前に手を差し出した。

真理はその手をじっと見つめた。

微動だにせず、穴が空くほどその手のひらを見つめた。


いつまでも固まって動かない真理に、高田は軽く溜息を付くと、自分から真理の手を取った。


「ほら、立てる?」


高田はゆっくりと真理を立たせた。

その間も真理は目を丸めたまま、高田に握られた自分の手を見ていた。


「それにしても、その足で走るなんて、どんだけ無謀なんだよ」


「だ、だって・・・、だって・・・」


真理はやっと言葉を発したが、すぐ口を噤んで俯いた。

あんなに仲良く顔を寄せ合って、花沢と話をしていたではないか。

それを見たくなかったから走ったのだ。無謀でも・・・。


なのに、今この人は自分の手を取っている。

どういうつもりなのだ?


「・・・言っておくけど、花沢さんとは何にもないよ」


「え・・・?」


真理は顔を上げた。


「さっきだって、何を言ってるか聞こえなかったから、近づいただけだし。それでも聞こえなかったな、そう言えば」


「・・・」


真理はまじまじと高田を見つめた。

そして、もう一度、高田と繋いでいる手を見つめた。


「あの・・・。じゃあ、これはどういうこと?」


真理は恐る恐る高田に聞いた。


「もしかして、言わないと分からないの?」


高田は少し呆れたように真理を見た。

だが、その顔が急に意地悪になり、ニッと口角が上がった。


「まあ、中井さん、頭悪いからな。分からないか」


「はあ?」


「でも、まだ言わないよ」


高田はプイっと顔を背けた。

そして明後日の方向を向きながら、言葉を続けた。


「だって、何だかどうしても納得がいかないんだよね。踊らされたって言うかさ。親の思惑通りになっただけじゃないか。結局、君のことを好きになっちゃって。親の掌の上で転がされた感じで、気に入らないんだよ」


そう文句を言いながらも、そっぽを向いている顔は耳まで赤い。


「だから、まだちゃんとは言わない」


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