ヨルがヒルを染める時
イシナギ_コウ
第1話 オウマガトキ
世界を色付ける空の光は永久であった。光で満たされているがゆえにヨルを知らなかった、知る由も無かったそんな人々の住む世界の物語。
「マガトぉ〜、ヘルプ〜!」
「今、畑!ちょっと待って!」
大声の返答、若い男の声。生い茂る色鮮やかな草花をかき分けて1人の少年が姿を見せた。
マガトと呼ばれたその少年は、土で真っ黒になった手袋を外し、額の汗をぬぐった。空は一様に輝いていて、彼を、世界を、強く照らしていた。
マガトは畑を出てすぐ隣の石造りの家を通り過ぎ、その家と小さな廊下で繋がっている離れへ向かう。変色した木の扉を開けると優しい甘い香りが鼻腔をくすぐる。8畳ほどの部屋の中には大きな長机が3つ、背の高い椅子を囲むようにU字に並べられ、いずれも上には試験管などの科学実験に用いられる器具が所狭しと並べられていた。
背の高い椅子の上、透明な液体の入った試験管を片手に懸命に机の下に手をのばす小さな背中があった。手の伸ばす先には紙袋が積まれいて、マガト側からは"種"と可愛らしい丸い字で書かれているのが確認できる。
「今動かせない!種とってぇ!」
情け無い女性の声。彼女は片手をまるで子供が駄々をこねるように上下に振ってみせる。
マガトはため息混じりに、
「ハカセ…少しは考えてよ…今週何回目よ…」
「う、うるさい!あー手が痺れてきてた。あー実験が失敗する!準備大変だったのになあ!」
「わかったよ、わかったから、はい!」
ハカセの我儘に呆れながらもマガトは紙袋の中身、炭の様に黒い楕円型の種を1つ持たせてあげた。
「助かったわぁ!ありがとう!!」
彼女は体を左右に振って感謝を伝えた。
ハカセは親指と人差し指で摘んだ種をそっと試験管の中に入れた。液面を揺らし、種はゆらゆらと沈んでいく。そして、試験管の底に達した時、小さな泡ぶくに包まれ、まるで手品のように炭のような黒から鮮やかで濃い赤紫に色を変えた。
「よし!成功ぉ!」
博士は片手でガッツポーズをとりその試験管を台の上に立てると、くるりとマガトの方を向いた。ハカセは髪の毛は闇で染めた様に黒く、黒いレンズのメガネをかけていた。上機嫌な彼女はマガトへステップを踏みながら側に来て、
「お茶しよっか」
離れのウッドデッキで2人はお茶を飲みながら色々話をしていた。他愛もない内容、2人の間ではゆっくりとした時間が流れていた。
その中でマガトがふと思い出したように、
「そういえば、あのくれた小さな種、大切に育ててるんだ。最近つぼみをつけた」
自慢げにマガトが話す。それを聞いてハカセは目を見開いて驚いた。そして腕を組んでフフーンと関心した様子で、
「へえやるじゃん、うちじゃあうまく蕾つけてくれなかったんだよね」
「また今度見せてあげるよ。コツがあるんだ」
「ほうほう、楽しみだなあ」
その後も2人は会話を続けた。そして時計が一日のちょうど半ばを知らせる声を響かせ2人の会話は中断される。
「マガト、今日もありがとうね。今日はもう大丈夫だよ」
「早いね、いつもはまだやるのに。何か用事?」
彼女は目線をマガトからどこか遠くに向けて、
「まあね、今日はゆっくり休みな」
マガトはやや不服だったが2人は、その後すぐに手を振って別れた。
ハカセの目に映るマガトが丘に消えていく。
「…また今度…ね…」
マガトは農耕地を突き抜ける一本道を1人歩いていた。その歩みに力はなく、その表情は曇っていた。
(ハカセの言ってた用事ってなんだろう...いつもは割と教えてくれるのにな)
彼はハカセの言った用事とやらに何故か引っかかっていた。
(まさか男とか!!)
自身の思いついた発想を頭を振ってすぐに打ち消す。
(あのハカセが彼氏できるわけない!...よな?)
マガトは今答え合わせのできない問題に頭を悩ませる。小さくため息をつき空を仰いだ
(それはそうと、何か別の違和感があったんだよな)
「マガトちゃんお帰り」
「マガトお帰り」
声をかけられた方を見ると村の人が家の縁側で休んでいた。どうやらあれこれ考えているうちに村についたようだ。
「ただいま」
マガトは笑顔で返し歩みを進める。
まばらに家が建っている村を進んでいき、ちょうど村の中心辺りで足を留めた。独りで住むには大きすぎる家、それがマガトの家だった。
マガトは家に入り貯め水で畑仕事の汗を流し、寝室のベットに身をなげた。仰向けで脱力しながら部屋の角を見る。外の光が当たるそこには植物が鉢に植えてあった。昆布状に平たい茎には葉もこれまた昆布のようで波打っている。その中にぽつんと一つ、楕円形の白を中心にその周りに糸状のものが絡みついた大きな蕾があった。
「いっぱい光浴びろよ」
蕾がマガトに反応して少し揺れた気がした。
「フフ、なんだか今日咲きそうな気がするな。ふぁー眠い」
大きな欠伸。体に若干の倦怠感を覚えた。
(普段こんな時間に眠くなる事なんて無いんだけど。まあいつもはまだハカセのところで作業してるしな)
とはいえ、今日は別に用事があるわけでは無い為そのまま睡魔がいざなうまま身を委ねた。時計が傾く、光は衰えず照らし続けている。
ホーホー、笛を鳴らしたような音、
「なんの声だ?」
マガトはその音に起こされた。これまで聞いたことない鳴き声だった。
窓から見える空は薄暗かった。
「空がこんなに暗いなんて」
外に出てみると、村人達が家から出てきてざわめいていた。空は光を照らし続けるもの、その普通が揺らぎ、みな動揺や困惑していた。
「おい!あれを見ろ!」
誰かが指を指してそう叫ぶ。その方角に目向けると見えたのは村の外から迫り来る闇だった。黒い絨毯は静かにその領域を広げていた。
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