ココロネ

酉未 すゑ

第1話 先生の頼み事

 秋が近づいてくる。

枝羽根町えだばねまちの町中にある枝羽根小学校にもその足音が目に見えて現れ始めていた。学校の敷地内に植えられていた樹々の葉が枯れてアスファルトの地面に舞い落ちる。

 普段は先生の誰かが掃除しているのだろうけれど、運よく紅葉した葉が残っている時には生徒たちが葉っぱを蹴散らしながら登下校する。

 小学6年生の峯川みねかわ虎白こはくも密かにそれを楽しみにしていた。1番乗りに校舎を出てしまえば誰にも踏み荒らされていない紅葉の道を独り占めできるかもしれない。

 さようならの挨拶をした後、虎白はランドセルの肩の部分を握りしめて教室をかけ出そうとした。

 けど。

 「虎白君、ちょっといいかな」

 担任の大里おおさと先生から声をかけられた虎白は内心ゲッと思った。何でよりによって今なんだろう。

 「何ですか? 先生」

 今日は廊下を走ってないし、宿題もちゃんと出した。怒られる理由はないはず。心の中で確認しながら先生の言葉を待つ。

 大里先生は茶色の封筒を持って眉を八の字に下げながら口を開いた。

 「虎白君って、葉月はづき君と仲がいいのかな?」

 「たまに遊ぶ事もありますよ。今は全然あってないけど」

 鏡水葉月は虎白と同じ男の子のクラスメートだ。小学1年生から一緒に居るし、学校でも休み時間に遊ぶ仲だった。

 「じゃあ、葉月君のお家は知ってる?」

 続けざまに質問されてちょっと歯がゆさを覚えたけれど虎白は素直に頷いた。

 「知ってます。俺の家と近いし」

 「そっか。じゃあ、申し訳ないんだけどこの配布物を葉月君に届けてくれる?」

 「えっ。お、俺がですか?」

 「うん。先生だと葉月君も緊張するだろうし、お友だちの方が話しやすいんじゃないかと思ってね。あ、もちろん予定があるなら無理しなくていいよ」

 予定といえば校舎に散らばる枯れ葉を蹴散らす事くらい。断る理由としてはちょっと弱い。

 「別にいいですよ。葉月に渡せばいいんですね?」

 「うん。できれば話をしてあげてほしい。葉月君、最近ふさぎ込んでるみたいだから」

 葉月は小学6年生にあがった頃からあまり学校に来なくなっていた。6年生教室で飼っているメダカたちも保険委員長の葉月がかいがいしく世話していたから、葉月が居なくなると誰かが代わりに世話をする事になる。

 「先生、それ私も行っていいですか?」

 ちょうどメダカの餌やりを終えた児童会会長、日向ひなた萩香しゅうかが声をかけてくる。青い眼鏡にポニーテールにした髪。何もしなくても頭が良さそうな雰囲気の少女だった。

 「萩香ちゃんも?」

 「はい。私も葉月君と話をしたいです。葉月君が来なくなってから、メダカたちも元気がないですから」

 3匹のメダカは水槽の中で萩香から貰った餌をパクパクと食べている。一見いつも通りに見えるメダカでも、毎日観察していれば違うものなのだろうか。虎白にはその違いがちっともわからない。

 「虎白君、萩香ちゃんも一緒に行ってもいい?」

 「はい、いいですよ」

 「ありがとう。あんまり遅くなり過ぎないようにね。親御さんも心配するから」

 「はーい」

 「わかりました」

 配布物の入った茶封筒は萩香が受け取り、2人は校舎を後にした。もう何人もの生徒が下校し、枯れ葉はあちらこちらに散らばっている。

 「よー虎白! サッカーしていこうぜ!」

 校舎を出て校庭を横切る時、クラスメートの男子たちがわらわらと虎白の元へやってきてサッカーに誘ってきた。

 「悪い。今日は葉月の家まで行くから遊べねえわ」

 「何だよ。葉月の家に何しに行くんだ?」

 「これを届けに行くの」

 萩香が手に持っていた茶封筒を見せると男子生徒はニヤニヤとした笑みを虎白に向ける。

 「そうかそうか。児童会会長と副会長は仲がいいんだなあ」

 「ただ葉月の家に配布物を届けるだけで何でそうなるんだよ!」

 「顔赤いんじゃないの~? 虎白くーん」

 「うるさい!」

 ギャーギャーともみ合いながら騒ぎ始めた男子たち。

 萩香はため息をついて眼鏡の位置を直した。

 「ねえ、早く届けに行きたいんだけど」

 「あ、はい」

棘のあるその言葉に男子たちはビクッと肩を強張らせ虎白を開放する。

 「また明日な」

 虎白はわずかに申し訳なさを感じながら友だちに軽く手を挙げて歩き始めた。

 「虎白君って葉月君とどれくらい仲がいいの?」

 校門を出てから萩香が聞いてくる。

 萩香は特別虎白と仲が良かったわけでも葉月と仲が良かったわけでもない。

 「休みの日にたまに遊んでたな。家の前にも行った事あるけど家の中までは入ったことない」

 「ふうん」

 「そういう萩香はなんで今日ついてくるなんて言い出したんだよ。葉月と話してるとこなんて見たことないぜ、俺」

 「だって、私が世話してもメダカたちは喜んでくれないんだもの」

 「いつもと変わらないと思うんだけどなあ。メダカだって人の区別ついてなさそうだし」

 虎白は水槽の中で泳ぐ3匹を思い起こした。うん。いつも通りだ。それでも萩香は不満があるようで眉間にしわを寄せて頬をふくらませる。

 「違うよ。見てればわかる。それに、葉月君もメダカたちをかわいがっていたでしょう? たまには様子を伝えにいきたいんだよね」

 確かにかわいがってはいたが、わざわざ教える必要があるんだろうか。虎白は内心首をかしげていた。

 「でも、私葉月君の家がどこにあるかわからないからどうしようもなかったんだよね」

 「まあ、葉月の家まで行くのは任せとけよ。あいつの家ってモミジ通りの近くにあるんだぜ」

 「モミジ通りってコンビニがある方だよね?」

 「そうそう。俺の家からだとコンビニはもう少し離れてるんだけどコンビニ行こうとすると虎白の家のすぐ近く通るんだ」

 枝羽根町は街路樹が沢山ある事で有名だった。モミジ通りの他にもイチョウやケヤキなんかが植えられている。

 葉月の家へ向かう間、2人は意外にも会話を弾ませていた。普段勉強しかしていなさそうな萩香は見た目に反してマンガやアニメの話にも乗ってくる。

 「萩香って結構いろんな話知ってるんだな」

 「そう?」

 「俺勉強しか興味ないのかと思ってた。家でも難しい本読んでそう」

 「さすがに学校の勉強ばっかりしてられないよ」

 萩香は気まずそうににしながらも笑って見せた。

 「あっ。ついたぞ」

 虎白はふっと家が並ぶ道の先を指さした。住宅街の中で家と家に挟まれたグレーの屋根。

 指をさすや走り出す虎白に続いて萩香も大里先生から渡された茶封筒にくしゃくしゃにならないよう気を付けて駆ける。

 葉月の家は1階建てだ。

 近くに行ってみると筆で描いたような字で【鏡水かがみず】の表札が石の塀にくっついている。葉月の家の敷地は家庭菜園もしているようで、敷地に入って左手側に小さくスペースが確保されていた。他にも、石畳の上に鉢やプランターがある。

 2人は敷地に入るとシンッと黙ってしまった。先生から頼まれているし、別に悪い事をしているわけではない。それでも悪い事をしているようでドキドキする。

 虎白も葉月の家に来たのはほんの数える程度だった。家の前で待ち合わせる事はあっても敷地内に入って待つことは無い。

 遠くでブウンと車が走る音が交差する。虎白は玄関扉の前まで来て急に不安になってしまった。そう言えば、家から誰かが出てきたらなんて言えばいいんだろう? 最近葉月とは会ってないし、葉月が出てきても何を話せばいいんだろう。

 「虎白君?」

 いつまでもインターホンを押さない虎白に首をかしげながら萩香が視線を投げかける。

 「私がやろうか?」

 虎白は慌てて首を振った。

 ええい! どうにかなるだろ! 虎白は半ばやけになって緊張を振り払った。

 ピンポーン

 家の中でインターホンが響く音が聞こえる。そして、女性の声で「はーい」と返事がした。

 「あら! 虎白君?」

 いそいそと扉を開けて登場した女性に虎白は見覚えがある。葉月のお母さんだ。

 「こんにちは」

 「こんにちは。どうしたの? 葉月に何か用事?」

 「は、はい。先生からプリント渡してほしいって言われて。葉月のやつ、今日居ますか?」

 すると、母親は複雑そうに笑顔を半分ひっこめた。直後には再び笑って答える。

「居るわ。せっかくだし、家の中でお話してって。あなたも葉月のお友だち?」

「はい。私日向萩香といいます」

「萩香ちゃんね。貴女もぜひあがっていってちょうだい」

「ささ、入って入って。」葉月の母親は急かすように虎白と萩香を招き入れる。学校に行かなくなった息子のもとに友だちが訪れたのがよほど嬉しいらしい。軽い足取りで2人を客間に招いた。

6畳の和室には座卓があり、葉月の母親は座布団を3つ取り出して座卓の前に置く。さらに手早く準備したメロンソーダとクッキーを持ってきてくれた。

「遠慮しないで食べていいからね! 葉月も呼んでくるから3人で仲良く食べてちょうだい!」

そう言って葉月の母親は客間を出ていく。

残された虎白と萩香はお互い顔を見合わせた。2人ともぽかんとして間抜けな顔をしている。

「びっくりしたね」

「だな。前ちょっと話したときはもっと落ち着いていた感じだったのに」

それきり沈黙が客間を包んだ。壁にかけてある時計だけがカチコチカチコチ鳴っている。

他の人の家。というだけあって2人とも座布団の上で正座したままおとなしくしていた。自分たちだけがこの家の中で浮いている。そんな感じがぬぐい切れない。

 カチコチカチコチ。

 家の中は誰かが動く音もしない。待つこと5分で虎白はすでに正座を崩してあぐらをかいた。その時だけ布の擦れる音が部屋に響く。

でも、それだけ。

 「……なあ、何かおかしくね?」

 さらに10分経っても客間には誰も来なかった。それどころか耳を澄ましても聞こえてくるのは時計の音だけ。

 カチコチ。

 どれだけ息を殺しても部屋の外で葉月や葉月の母親の声が聞こえてくる事もなかった。

 おかしいな。どうして何の音も聞こえないんだろう?

 途端に不安が沸き上がってきた。

 座ってなんかいられない。そんな様子で虎白が立ち上がって萩香を見下ろした。

 「ちょっと様子見に行こうぜ」

 「えっ⁉ 勝手に歩き回っていいの?」

 「そ、それは」

 もし見ちゃいけない秘密の書類を発見しちゃったら? もしうっかり高価な物に触って壊しちゃったら? 嫌な想像が頭をよぎった。

 ここまで来て怒られたくはない。

 「あとちょっと待ってみようよ」

 「わかった。あとちょっとだけな。あの時計が5時になったらここから出てみようぜ」

 今は4時43分。あと17分待つことになる。

 萩香はコクンと頷いた。

 「うん。そうしよう」

 虎白は落ち着かない様子で座り直してメロンソーダを飲んだりクッキーを口に運ぶ。萩香もちらちら時計を見ながら耳を澄ませていた。

 カチコチカチコチ。

 カチコチカチコチ。

 やっぱり誰も来ない。時計以外何の音もしない。

 時計の長針と短針が1つずつ動いて時刻は5時になった。2人は立ち上がる。

 忍者みたいに足音を忍ばせて虎白と萩香は客間の戸を引いた。そろりそろりと人1人分開けてその隙間から静かに抜け出す。

 時計の音は部屋から出てもついてきた。まるで心臓の音と重なるように鳴っている。

 「あっ!」

 突然萩香が声をあげたから、虎白は肩をビクッと跳ね上げた。

 「な、なんだよ。ビックリさせるなよ」

 「あそこ!」

 萩香は虎白の肩越しを指さして目を丸くする。その様子に首を傾げながら指をさされた方を向いた虎白もぽかんと口を開けた。

 「メダカ?」

 そう。メダカが3匹、虎白の家の中を泳いでいるのだ。水槽ではなく、空中を。

 メダカは虎白たちが見ている事に気が付くとヒレをせわしなく動かして身をひるがえした。そのまま家の廊下をチロチロ泳いでいく。

 「捕まえるぞ!」

 「ええ⁉」

 大発見だと言わんばかりに虎白は目を輝かせてメダカを追い始める。人の家の中だという事はもう眼中にないみたいだ。

 「待って!」

 私も行く! と萩香も後を続いた。1人で残されるのはごめんだ。

 メダカが泳いでいったのは1つの部屋の中だった。

 本棚には所せましと並べられた本や青色の敷物。ロケットや宇宙のポスターが壁に貼られている。どうやら葉月の部屋らしい。

 空飛ぶメダカは葉月の部屋に来ると天井からぶら下がる電気の下で辺りを見回す。

 「空飛ぶメダカゲット!」

 そう言って虎白が飛びかかったけれどメダカはパッと散って再び1か所にまとまる。水中を泳いでいる時と変わらない素早さだった。その勢いのまま、集ったメダカは葉月の部屋の押し入れへと泳いでいく。

 2人は顔を見合わせてから後を追った。押し入れ何て狭いし、幾分捕まえやすいだろう。捕まえたらどうしよう? クラスメートにでも見せようか、と虎白は先の事を考えて胸を躍らせた。

 押し入れに入ると電気の明かりも届かず薄暗い。

四つん這いになって中に入ると、おもちゃ箱や洋服を詰め込んだ入れ物が積まれていた。虎白たちはそれを乗り越えたり避けたりして進むんだ。一方、メダカは小さな体のため、細い隙間も次々潜り込んでいく。

 まっすぐ進んだと思えば隣にある段ボール箱から姿を現す。

 「ねえ! おかしくない?」

 萩香の声が後ろから聞こえてくる。虎白も薄々感じ始めた。押し入れが広すぎる。もう自分たちがどこから入ってきたのかもわからないし、振り返っても押し入れの入り口すら見えない。それなのに、前にも横にも物が積まれ、奥へ続いている。その先にチラッと鮮やかなオレンジ色のメダカが姿を現して、消えた。

 「こうなったらメダカを追うしかないだろ」

 自分に言い聞かせるように言ってから虎白は進み始める。段ボール箱に足を乗せるとベコッとへこみ、おもちゃ箱に手を突っ込むとブロックが手に食い込んでくる。

 それでも2人はメダカが出口に向かってる事を信じて後を追った。夜みたいに暗い押し入れを進んでいくと、ついにメダカたちは光の差し込む場所へと飛び出した。

 「外だ!」

 2人は同時に叫んでメダカに習って飛び出した。

 けれど。

 「な、なんじゃこりゃーっ!」

 2人がたどり着いたのは見慣れたアスファルトや車が行き来する外じゃなかった。虎白はまだ短パンを履いていたから、ふくらはぎの辺りにサワサワした感触を感じた。見ると絵筆の毛先が地面から突き出して虎白の足をくすぐっている。ジャングルの伸び放題な雑草みたいに辺り一面を埋め尽くす絵筆の穂。よく見ると、地面も白い布のようなもので踏み出した足に妙な感覚が伝わってくる。

 絵具のチューブが地面から顔をのぞかせていた。倒木みたいにそこら辺に転がっている物もあった。樹のように天へ向かう筆もある。そのどれもが虎白たちよりずっと大きい。そびえたつ何本もの筆は見上げなければ先が見えない。

 図工で使う絵具セットでできた森だ。

 3匹のメダカは筆の樹を横切って進んでいく。

 「虎白君、メダカどこか行っちゃうよ!」

 ハッとした萩香が虎白の腕を引っ張った。メダカは目的地があるように迷いなく進む。

 その目的地には案外早くたどり着いた。筆の毛先をかき分けてメダカを追っていくと、メダカの登場に驚いている少年の姿が見えてきたのだ。

 虎白は見知らぬ世界で唯一知っている人物を発見して泣きそうなになってしまった。

 「葉月!」

 叫ぶと名前を呼ばれた少年の瞳も2人を捉える。不安そうな顔でこちらを見たのは、6年間一緒に学校生活を送っていた、鏡水葉月だった。

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