第42話 開祖の修行法

 ――なんだろう。なぜか後ろめたさを感じる。


 先ほどまでの朱浩宇は、一連の事件を起こした者をこらしめたい気持ちでいっぱいだった。しかし今、彼のなかに小さな疑問がめばえている。


 ――周辺住民が闇妓楼の存在を無視したのと、わたしが妓女の幽霊に無関心だったのとは、とても似たおこないである気がする。もしも、わたしが闇妓楼の存在を知っていたら、この規則やぶりにたいして、わたしはなにか行動を起こしただろうか?


 同じ状況に行きあたれば、自分もこらしめられるべき対象になりかねない。そう考えた朱浩宇は、ひどくとまどう。

 困惑する朱浩宇の気もちを知ってか知らでか、姚春燕は「朱浩宇」と弟子に呼びかけた。そして「あなたは一体、悪いのはだれだと思う?」と、ほほ笑みをうかべてたずねる。


 ――悪者をひとりだけにしぼるのも、全員だと断じるのも、なんだか違う気がしてきた。


「……」


 ――この事件でとは言わない。でも、もし似た事件がわたしのまわりで起こっていたら、わたし自身が加害者のひとりになっていてもおかしくない気がする。


 考えをめぐらすも、朱浩宇は言うべき言葉が見つからずに黙りこんだ。

 すると、朱浩宇が言葉にできずにいた話を姚春燕が口にした。


「みんな悪く思えるし、いくつかは悪いとは断じきれないとも思わない? だから……」


 姚春燕は話の途中で言葉をきり、ため息をつくと彼女にしては低く疲れた声でつづける。


「人の世が嫌になって、山にこもったのよ。そうしたら、山は山でわずらわしいなんて、悪夢だわ!」


 ――ん? 悪夢って、なんの話だ?


 話の途中からまったく違う話にすりかわった気がして、朱浩宇は呆けてしまった。

 朱浩宇が混乱していると、姚春燕は「とにかく」と言い、結論を口にする。


「どうしてもだれかに責任をとらせたいなら、規則やぶりをした人間には罪状がつくでしょうね。でも、その規則やぶりの罪をさばくのは役所の仕事だわ。そうなると、わたしたち道士の仕事の領域をこえている。よって、わたしたちは怪異が起こった経緯を村の人たちに伝えて手をひくべきよ」


 ――それも、そうかもしれない。


 まだもやもやとしなくもない朱浩宇だったが、怪異に責任を問えないのなら自分たちに出る幕がないのは理解できた。しかたなく、彼は師匠にうなずいてみせる。

 すると、姚春燕は黙って弟子にうなずきかえし、周燈実のほうへむく。そして、深々と頭をさげて拱手の礼をした。


「先輩、お初にお目にかかります。先輩のご友人である王泰然を開祖とする青嵐派の道士、姚春燕と申します」


 姚春燕が礼をつくしたのは、もちろん周燈実にではない。彼の頭のうえで肉形石に頬ずりしているモモンガの大妖怪にだ。このモモンガは同じ門派の門人ではない。しかし開祖の友であり、同じく仙をめざして修行する大先輩。姚春燕が礼をつくすのは当然だった。


「探し物もみつかりましたし、先輩がたは六子山にお帰りになりますか?」


 姚春燕が、うやうやしく兄貴分モモンガにたずねる。

 後輩からあいさつされ、兄貴分モモンガは肉形石に頬ずりするのをやめた。彼は、短い前足を体の前でくんで拱手の礼をすると、姚春燕にあいさつをかえした。


「申しおくれた。わたしは、李桃と申す」


 ――モモンガに人間みたいな名前があった!


 朱浩宇は内心、とても驚いた。

 自己紹介をした兄貴分モモンガである李桃は「そうだな」とつづけ、姚春燕の問いに答える。


「姚道士の言うとおり、探していた宝はみつけた。山に帰ってもいいのだが……」


 なにか考えがあるらしい。すこし言いよどんだ李桃は、さらに話つづけた。


「宝物をみつけてくれた恩をかえしたい」


「お、恩ですか? ですが、わたしたちは……」


 李桃の申し出に驚いた姚春燕は、ちらりと朱浩宇を見る。


 ――そうですね。わたしは大先輩の弟分を殺しかけました。


 なにも言われずとも、朱浩宇は姚春燕の言いぶんを理解できた。しかし、返事はひかえておく。

 雰囲気の悪さを察したのだろう。周燈実の頭のうえで、李桃はこほんと咳ばらいする。それから、威厳たっぷりに話しだした。


「たしかに、ひどい目には遭いかけた。だが、遭いかけただけだ。誤解はとけ、こうして宝物もみつかった。しかも、宝物が引き起こした問題の解決までしてくれたのだろう? かえすべき恩は十分にある!」


 とまどいつつ「はあ」と、姚春燕は短く返事した。

 姚春燕の困惑などものともせず、なおも李桃は話をつづける。


「わたしは知己である王泰然と、長年修行をともにした。恩がえしとして、王泰然がおこなっていた修行法を伝授してしんぜよう」


 ――開祖の修行法の伝授? それって、かなりすごい話なのでは?


 李桃の申し出に、朱浩宇は色めきたった。


「それは願ってもないお話です」


 開祖の修行法と聞いて姚春燕も、李桃の申し出に乗り気になった様子だ。

 申し出がうけいれられたと感じたのだろう。李桃は深くうなずいた。そして「どれどれ」と言って、さっそく朱浩宇たちを順々に観察しはじめる。

 李桃が最初に見たのは姚春燕だった。彼は彼女をまじまじと見た。


「むむむ」


 頭のさきからつま先まで、じっくりと姚春燕をながめた李桃がうなる。しばらく彼女を観察したのち、彼は驚きをふくんだ声で話しだした。


辟穀へきこくの修行も、すでに終えているのだな」


 内心が漏れでるがごとく、李桃はつぶやく。

 李桃の言葉を聞いて、姚春燕の弟子である朱浩宇も驚いた。


 ――辟穀の修行が終わっているだって? ならば師父は、食事の必要がない体なのか?

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