第35話 朱浩宇の十八番

 ひゅん、ひゅんと空気をきる聞きなれない音がした。同時に夏子墨のあやつっていた剣が、くるくるとまわりながら巨大モモンガから離れていく。どうやら、ついに巨大モモンガが、夏子墨の剣をはじいたらしい。

 朱浩宇とモモンガ団子は、まわりながら落ちてくる剣のゆくえを目で追う。


 ――おや? この軌道って……


 朱浩宇が剣の行くさきをあやしんだときだった。

 ざくりとするどい音がして、夏子墨の剣が朱浩宇のかたわらの地面に深々と突き刺さった。


「ひえッ!」


「きゃあ!」


 命の危険を感じた朱浩宇とモモンガ団子は、一緒になって悲鳴をあげた。


 ――運が悪ければ、直撃だったかも。


 背筋が凍る思いの朱浩宇の心臓は、どくどくとはげしく脈打つ。すると、おびえあがる朱浩宇の耳に、あきれまじりの女性の声が飛びこんできた。


「浩浩ったら、モモンガたちと遊んでる場合じゃないでしょ?」


 老婆を避難させて帰ってきたのだろう。声の主は姚春燕だった。

 朱浩宇の隣に、姚春燕が立つ。


「師父。みなさん、無事に避難できたようですね」


 言いながら、地面に突き刺さった剣を夏子墨が抜いた。


 朱浩宇は「遊んでなんて……」と、姚春燕に異をとなえかける。しかし、最後まで話せない事態が起こった。


 ぶおっと、聞きおぼえのある大きな風きり音がする。

 朱浩宇たちは反射的に、音のするほうを見た。すると、剣による妨害から逃れた巨大モモンガが、こちらにむかって滑空してくるのが目にはいる。


「逃げるわよ!」


 指示をだすと同時に、姚春燕が軽く地面を蹴り、軽功をつかって飛びあがった。


 ――これだけ距離があれば、逃げられそうだ。


 今度こそ自分で軽功をつかい、朱浩宇も姚春燕のあとにつづく。

 もちろん夏子墨も姚春燕につづくのだろうと、朱浩宇は思っていた。しかし、なにを思ったのか、彼は朱浩宇たちとは反対の方向へ飛びだす。


「!」


 ――馬鹿なのか? なんで、モモンガの化け物のほうへ突っこんで行くんだ?


 朱浩宇は、起こった出来事が信じられなかった。自分の目を疑いつつ、民家の屋根のうえに降りたつ。

 朱浩宇が屋根に降りたつのとほぼ同じくして、巨大モモンガにむかっていった夏子墨が、巨大モモンガを勢いよく蹴りあげた。

 にぶく重い打撃音がして、巨大モモンガが進行方向とは真逆にふっ飛んだ。

 軽功をうまくつかっているのだろう。夏子墨のほうは、よろめきもぜすに軽々と地面に着地した。そして、またすぐに飛びあがると、朱浩宇と姚春燕のいる民家の屋根のうえに難なく移動してきた。


「きれいなお兄さんは、腕っぷしも相当だなッ!」


 朱浩宇の手のなかで、モモンガ団子がまたもや夏子墨をほめる。そして、彼らは「逃げてばかりの小童こわっぱとは、雲泥の差だ!」と、朱浩宇を下げるのも忘れなかった。

 モモンガ団子の話を聞いて、さきほど剣をあやつるのを失敗した朱浩宇は、やるせない気持ちになった。しかし、ゆっくりと辛酸をなめる余裕さえ朱浩宇にはない。


 絶妙の間で、また大きな風きり音が聞こえてきたのだ。

 どうやら、巨大モモンガは早くも夏子墨の攻撃から立ちなおり、また襲ってこようとしているらしい。

 モモンガ団子に馬鹿にされたばかりだったからだろうか。再度むかってくる巨大モモンガを見るうち、朱浩宇の頭にある考えがよぎる。


 ――大妖怪なんかと戦いたくはない。だが、いけ好かない夏子墨にたすけられ、剣もあやつれず、モモンガには笑われた。なにもせず、このまま泣き寝いりしていいのか?


 これまでの屈辱を思いだしてしまった朱浩宇は、自分自身の考えに闘争本能をかきたてられてしまう。


 ――腕力、体力、それに法器をあやつるのも、夏子墨より見劣りするのは認めざるおえない。しかし、わたしにだって得意分野はあるんだッ!


 突進してくる巨大モモンガを睨みつけると、朱浩宇は懐から破邪の呪符と呼ばれる呪符を取りだす。彼は「急急如律令」とまじない言葉をとなえ、手にした呪符に霊力をこめた。そして、巨大モモンガにむかい、その呪符を飛ばす。すると、朱浩宇が飛ばした呪符は青い光をおびて巨大モモンガにはりついた。


 ――破邪の呪符をはりつければ、どんな化け物でも苦しみのたうちまわるはず!


 しかし、朱浩宇の期待ははずれてしまう。

 巨大モモンガは破邪の呪符を歯牙にもかけずに滑空をつづけ、朱浩宇たちになおも襲いかかってきたのだ。


「そんな……私の呪符は完ぺきなはずだ! 効かないなんて、ありえない!」


 夏子墨にたすけられ、法器をつかいこなせなかったときよりも、朱浩宇はひどく動揺する。

 なぜなら呪符をつかった仙術は、ほんとうに朱浩宇の得意分野だったからだ。


 必要な場所に必要な呪文を書く。学べば学んだだけ、書けば書くだけ、朱浩宇の呪符づくりの腕はあがった。彼は呪符を書く技術においては、夏子墨より優秀だ。もちろん同世代の弟子のなかでも抜きんでていたし、なんなら師匠格の門人にも劣らない自信があった。


「師弟、あぶないッ!」


 失望し、ぼうぜんとする朱浩宇の耳に、夏子墨のするどい声がとどく。われにかえって前方に目をむけると、巨大モモンガが間近までせまっていた。


 ――よけられないッ!


 朱浩宇はなすすべもなく立ちつくす。すると、彼の頭上にすっと影がさした。朱浩宇は思わず見あげる。見あげた朱浩宇の視界に、巨大モモンガにむかって飛びかかる夏子墨がうつった。

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