第23話 頭上を舞う影

 朱浩宇と夏子墨は、声の主を見るべく視線をさげた。いつの間にちかづいたのだろう。視線をむけたさきには周燈実がいて、朱浩宇の袖をひいている。


「朱のお兄ちゃんはいつも遊んでくれて、かっこいいよ。だから、元気だして!」


 周燈実が大まじめな表情で言った。

 思いがけない周燈実からのなぐさめの言葉に、朱浩宇は驚いてしまう。


 ――子供の遊び相手をしたら、かっこいい? さっぱり理くつがわからない。でも……


 本心からのなぐさめなのは、明らかだった。よって周燈実に対し、思ったままの悪態をつくのは良くないと朱浩宇は感じる。朱浩宇は「燈燈」と呼びかけ、幼い師淑に言った。


「今度、飴でも買ってやろうな」


 ――なぐさめたいと思ってくれたのは伝わったしな。


 朱浩宇は、やさしく周燈実の頭をなでた。

 頭をなでてもらえたからか、飴をもらう約束を取りつけたからか。周燈実は、表情をかがやかせる。

 さきほどまで憂い顔をしていた夏子墨も、朱浩宇と周燈実のやり取りを見るうちに表情をゆるめた。

 しかし、姚春燕が「馬鹿ね」と声をあげ、なごやかな雰囲気を打ちこわす。


「夏子墨が女の子に好かれるのは、あたり前じゃない!」


 朱浩宇たちは姚春燕に目をむける。すると、彼らからすこし離れた場所に彼女はいた。腰に手をあてて仁王立ちする姚春燕のすがたが、朱浩宇の目にはいる。

 仁王立ちしたまま、姚春燕は話をつづける。


「背が高くて顔もいい、おまけに門派の練習試合では負けなしだし、いつも機嫌よくおだやか」


 姚春燕は、夏子墨の良い点をあげつらった。そして、いったん言葉をきった彼女はあらためて「それに」と口にし、大きな声で言いはなつ。


「女の子といちゃつくより、師匠の面倒をみるほうを選ぶなんて、夏子墨は完ぺきだわ!」


 姚春燕は大真面目な様子で声高に言った。

 朱浩宇は開いた口がふさがらない。

 夏子墨は「師父。冗談でもうれしいです」と、姚春燕にほほ笑みかけている。

 周燈実は、意味がわからないのだろう。師と弟子ふたりをじっと見つめていた。

 まわりの反応など気にならないらしい姚春燕は「だからね」とつづけ、さらに主張する。


「朱浩宇も、わたしが飲みすぎていても小うるさく言わなければいいのよ!」


 助言をあたえる師匠らしい口ぶりで、姚春燕は言いきった。そして「そうすれば、女の子に好かれるはず!」と、主張をしめくくる。


 ――破門寸前だっていうのに、口をひらけば冗談みたいな話しかしない。


 師匠への不満がつもりにつもっていた朱浩宇は、ついに我慢の限界をむかえた。


「師父って、筋金入りの馬鹿ですね!」


 師匠への敬意も忘れ、朱浩宇がたまらずに悪態をついた直後だった。

 もともと暗くはあるが朱浩宇たちの頭上に一瞬だが影がさし、同時に空気をきる音がする。


「!」


 驚いた朱浩宇は、警戒して押し黙った。

 すると、また風切り音がする。


「こ……これは一体?」


 ようやく疑問の声をもらすと、朱浩宇は周燈実を引きよせた。そして、自らの背後にかばう。

 夏子墨のほうは、腰にさげた剣の鞘に手をかける。


 幽霊さわぎのときは、幽霊の警戒を恐れて帯剣していなかった。しかし、このたびの怪異は幽霊以外の可能性も考えて、剣を準備していたのだった。

 夏子墨が腰の剣に手をかける。とはいえ、彼は剣を抜こうとまではしなかった。ただ、目耳といわず体全体でまわりの様子に集中しているらしい。

 もちろんだが、朱浩宇も帯剣していた。たいまつを左手にもちかえると、彼のほうは剣を抜いてかまえる。

 朱浩宇たちが身がまえる間にも風切り音が何度もして、彼らの頭上や脇を黒い影がすばやくよぎった。


「なにかが、飛んでる?」


 すばやく動く影を必死に目で追いながら、朱浩宇は困惑して声をあげた。


「これが村人たちが訴えていた怪異なのかな?」


 言いながら、夏子墨は空に目をむける。彼が見る上空を、夜空よりもさらに暗い影が数度よぎった。

 朱浩宇のほうは、かたわらをとおりすぎる影を目で追う。速くはあったが、彼は辛うじて影の大きさを把握できた。


 ――握りこぶしの大きさ……いや、もっと小ぶりだ。


「思っていたより、小さいな」


 影の小ささに拍子抜けした朱浩宇は、あざけりまじりの声色で言う。

 朱浩宇がひとつの影を集中して見ている間。夏子墨は目をほそめ、せわしなく眼球を動かして「いち、に、さん……影は三つだけみたいだ」と、影の数を数えた。


 ――すばやく動く小さな影が三つだけ。わたしだけでも、勝てるんじゃないか?


 怪異の情報をざっくりと把握し、朱浩宇はせせら笑う。そして、あらためて剣をかまえると言いはなつ。


「弱そうな怪異だ。わたしが切りすててやる!」


 言うやいなや、朱浩宇はすばやく動く影にめがけて剣をふりおろした。しかし、空気をきる空虚な音だけが響き、剣が影に当たらなかったのだとわかる。朱浩宇は「クッ」と、いまいましいと言わんばかりにうめいた。


 ――影が目の前に来たところで、剣をふりおろしてしまった。今度は、とおりそうな道すじを考えて……


 影が行きつ戻りつするのをしばらく観察した朱浩宇は、また剣をふる。今度は、道すじはほぼ当たっていた。しかし、剣をふる動作と影の動きとをうまく合わせこめない。剣はまた影を逃した。


「むむむ……」


 ――ねらう標的が小さすぎる。もうすこし大きければ、当たるのにッ!


 どうしようもない考えが、朱浩宇の脳裏をよぎった瞬間だ。


「当たらないね」


 悪気のない声色で、夏子墨は朱浩宇に話しかける。話しかけながらも夏子墨の目は、影をせわしなく追っていた。

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