◆新しい命②◆

◆◆◆◆◆


事務所に引き込もり、パソコンを睨みながら仕事を片付けていた。


その日、事務所には俺と親父とマサトを含め20人程がいた。

土曜日ということでいつもに比べると少ない人数。


ふと時計に目をやると12時少し前った。

この仕事まで終わらせてから昼飯を食いに行くか。


そう考えた時だった。

慌ただしい足音がこっちに向かって来ている事に気付いた。


何事だ?


その音に気付いたのはどうやら俺だけではないらしく、親父やマサトも不思議そうな表情でドアの方を見つめていた。

その足音はドアの前でピタリと止まり、その瞬間、事務所内にいた組員全員の動きが止まるほどのけたたまし音が響きドアが開いた。

「……美桜、どうした?」

そこに立っていたのは、あきらかにいつもと様子が違う美桜だった。


美桜が一人でここに来ることはまずない。

その美桜が呼吸を乱し、引きつった表情で立っていた。


「……さんが……」

「うん?」

「綾さんが!!」

震える声で美桜がそう叫んだ。


その瞬間、親父が立ち上がり事務所を飛び出した。

親父の背中を呆然と眺めていた俺の耳に

「蓮さん!!」

美桜の声が響いた。

ようやく俺の頭と身体は動き始めた。


美桜の焦り具合と飛び出していった親父の様子からして綾さんに何か異変が起きた事は安易に予想できる。

綾さんは今、妊婦で出産予定日間近。

……って事は……。

俺は事務所の入り口で立ちつくしている美桜にゆっくりと近付いた。


「美桜」

美桜の傍で足を止めた俺はその小さな身体が小刻みに震えている事に気が付いた。


「大丈夫だ」

「……うん……」

「落ち着け」

「……うん……」

「綾さんがどうしたんだ?」

「一緒にクッキーを作ってたら……」

「あぁ」

「急にお腹を押さえて……」

「あぁ」

「うずくまったままとても苦しそうで……」


……やっぱりそうだな……

美桜の話を聞いて俺の予想は確信へと変わった。


「美桜、綾さんは大丈夫だ」

「……でも、とても辛そうだったよ」

「まぁ、辛いのは辛いだろうな」

「じゃぁ、やっぱり大丈夫ないかじゃ・・」

「今から一つの命をこの世に送りだそうとしてるんだから辛くて当たり前なんだ」

「え?それって……」

「ん?」

「もう、赤ちやんが生まれそうってこと?」

「あぁ、多分な」

それまで不安そうだった美桜の表情がぱっと輝いた。


「マサト」

「はい」

「すぐに車をまわしてくれ」

「分かりました」

頷いたマサトが足早に事務所を出て行く。


それを確認した俺は

「美桜、綾さんの所に行くぞ」

「うん!!」

綾さんと親父の元へと向かった。



◆◆◆◆◆


綾さんと親父はキッチンの隣りのリビングにいた。

テーブルに手をつきなぜか反省ザルポーズの綾さんと綾さんの腰をさする親父。

親父の視線は時計に向けられている。

その異様とも言える光景を見て俺と美桜は顔を見合わせた。


……これは声を掛けても、いいのか?

多分、美桜も俺と同じ事を思っているに違いない。


その時だった。


「……はぁ~……」

綾さんが力を抜くように息を吐き、それを見た親父が


「10分だな」

意味不明な言葉を呟いた。

「そろそろ連絡をした方がいいんじゃないか?」

「そう?まだ全然、余裕な感じなんだけど」

「でも、10分間隔になったら連絡するように言われてるんだろ?」

「うん」

「だったらすぐに連絡をした方がいい」

そう言って親父は綾さんにケイタイを差し出した。

それを渋々と受け取った綾さんは、どこかに電話を掛け始めた。

生まれそうじゃねぇのか?

親父と綾さんのやり取りはどこかのほほんとしていて、出産間近って感じじゃなかった。


……てか、俺も出産がどういうものなのかいまいち分かんねぇんだけど……。

テレビのドラマとかで見る出産シーンとかって妊婦が絶叫してたり周りにいる人間も大慌てな感じでもっと緊迫感が漂ってるような……。

2人にはそんな緊迫感が全く感じられなかった。


ケイタイで誰かと話していた綾さんが手に持っていたそれを閉じると

「どうだった?行った方がいいのか?」

親父が尋ねた。


「うん、『すぐに来て下さい』だって」

なぜか面倒くさそうに答えた綾さん。


「分かった。すぐに行こう」

そう言った親父がふと俺達に視線を向けた。


「蓮、車をまわして来てくれ」

そう言われたけど俺は首を傾げた。

……車って……。


「一体どこに行くんだ?」

「……どこって病院に決まってるだろ」

「病院?なんの?」

「なんのって綾が看てもらってる産婦人科の病院だ」

「……」

「……?」

「……念の為に聞くけど、まだ産まれねぇよな?」

「は?もうすぐ産まれそうだから病院に連れて行こうとしてるんだ」

「あ?産まれそう?全然そんな感じじゃねぇだろ?」


そう言って俺が鼻で笑った瞬間


「……いっ!!」

綾さんの声にならない悲鳴が聞こえた。


……なんだ?

親父から綾さんに視線を向けると、そこにはさっきまでとはまるで別人のような綾さんがいた。

腹を押さえ、苦痛に顔を歪めた綾さん。

力なくその場にうずくまりそうになった綾さんの身体を親父が支えた。

その光景を俺はただ呆然と眺めていた。


綾さんは、強い人だから絶対に自分の弱い部分を人に見せようとはしない。

どんなに哀しい時だって涙一つ見せないし、どんなに体調が悪い時でもそれを隠し通そうとする。

……多分、綾さんが自分の弱い部分を晒すのは親父だけ……。

“恐怖の女王”

そのあだ名は綾さんのそんな部分からついたモノ。

だから、初めて見る綾さんの苦痛の表情に俺は頭が真白になっていた。


「綾、大丈夫だ。落ち着いて深呼吸をしろ」

動く事はおろか言葉すら発する事のできない俺と美桜。

そんな中、親父だけが冷静にそして穏やかに綾さんに声を掛け、背中を優しくさすっていた。

綾さんは、辛そうながらも親父の言葉通りに深呼吸を何度か繰り返した。


「……ふぅ……」

大きく息を吐き出した綾さんの表情がさっきまでに比べると少し穏やかになっているように感じた。


「綾、痛みが治まっている間に車に行こうな」

「えぇ、そうね」

「蓮、車を」

「……あぁ、マサトがいつでも動けるように準備してる」

「よし、行こう」

親父のその言葉で俺はようやく動き出すことができた。


◆◆◆◆◆


玄関を出るとマサトが車を準備してくれていた。

すでにエンジンが掛かっていて、いつでも出発できる状態。

その車の周りには、その日事務所に来ていた殆どの組員達の姿があった。

心配そうな表情を浮かべているそいつらの表情を見て俺はようやく落ち着きを取り戻す事ができた。


「自分が運転しましょうか?」

マサトがそう申し出てくれた。


一瞬、マサトに運転を頼もうかと思った。

だけど、綾さんの心境を考えるとそれはできなかった。

綾さんは自分の弱っている姿を他人に見せたくない人だから……。

いくら自分が弟のように可愛がっているマサトとは言え例外じゃないはずだ。


もしかしたら、綾さんは俺にも見せたくはなかったかもしれねぇけど……。

残念ながらさっき見ちまったし……。

それに、綾さんの腹の中にいるのは俺の妹か弟だ。

俺が責任を持って病院まで運んでやる。

この瞬間、妹か弟ができるっていう事を初めて実感した。


「俺が運転する」

「分かりました」

マサトは頷くと運転席のドアを開けてくれた。

俺が運転席に座ると、助手席に美桜が乗り込んだ。


「蓮さん!!」

「うん?」

「安全運転でお願します!!」

敬語でそう言い放った美桜。


一見、冷静そうに見えるけど、敬語になっているところを見ると、かなり動揺しているらしい。

多分、本人は自分が動揺している事にすら気付いてねぇと思うけど……。

そんな美桜に俺は少しだけリラックスをさせてもらった。


「安全運転だな。任せとけ」

俺の言葉に美桜は微妙に引き吊った笑顔を浮かべた。


一方、綾さんはさっきまでの辛そうな様子がウソのようにニッコリと笑みを浮かべ、心配そうな組員達に「いってきま~す」といつもと変わらず呑気な口調で手を振っている。

そんな綾さんにマサトをはじめとする組員達はやっぱり心配そうな視線を向けていた。

綾さんと組員達の間にあるのは、かなりの温度差。

そんな中、ニコニコと笑みを浮べる綾さんに、マサトが恐る恐るって感じで声を掛けた。

「……あの、綾姐さん……」

「うん?なぁに?」

「大丈夫ですか?」

その口調は遠慮がちだった。

マサトの言葉に綾さんは一瞬不思議そうに首を傾げたけど、すぐに柔らかい笑みを浮べた。

「マサト」

「はい?」

「ありがとう」

「えっ?」

「私は大丈夫よ」

「……」

「ちょっとだけ頑張って元気な子を産んでくるから」

「……綾姐さん……」

「響さんと蓮を借りちゃうけど、その間の事をお願いね」

「はい、分かりました」

「それじゃ、いってきま~す!!」

綾さんは再び組員に向かって呑気に手を振った。

その姿は、今から出産の為に病院に向かう妊婦にはとてもじゃないけど見えなかった。

そんな綾さんを、組員達は

「いってらっしゃいませ!!」

頭を下げて見送った。

親父に身体を支えられて後部座席に座った綾さん。

俺は、親父が車に乗り込んだのを確認してから車を発進させた。


◆◆◆◆◆


車が家の敷地内を出て、しばらく経った時、呆れたように親父が口を開いた。

「……綾、もういいぞ」

……?

なにがもういいんだ?

親父の言葉を疑問に思った瞬間

「……いたたた……」

綾さんが苦しそうな声を発した。

……!?

助手席に座っている美桜も綾さんの苦しそうな声を聞き、驚いたように後ろを振り返った。

俺もルームミラー越しに後ろに視線を向けると、そこには辛そうな表情の綾さんが腹を押さえていた。

「……我慢のし過ぎはよくないぞ」

苦笑気味の親父。

は?

もしかして、ずっと痛みを我慢してたのか!?

「……だって……みんなの前で……『痛い!!』って大騒ぎしたら……心配して……大騒ぎになっちゃうから……」

痛みに耐えている所為で弱々しく途切れ途切れに紡がれる綾さんの言葉に俺は絶句し、美桜も驚いた表情を浮べた。

そんな中、親父だけが苦笑いを浮べながらも、優しく穏やかな瞳で綾さんを見つめている。

そんな2人を見て俺は溜息を零した。

本当は『無理してんじゃねぇよ』って言葉が喉まで出掛かっていたけど、俺はその言葉を口にする事無く飲み込んだ。

綾さんはそういう女性。

いつもマイペースで

おかまいなしで周りの人間を振り回して

自分が迷惑を掛けても謝りもせず……。

……だけど、こういう心遣いが出来る人でもある。

きっと綾さんのこういう所に人はひきつけられるんだと思う。

「……響さん……」

「うん?」

「なんか無性に何かを殴りたいんだけど……」

「は?」

「……あっ!!……大丈夫……人は殴らないから……安心して……」

「じゃあ、一体何を殴りたいんだ?」

「……ちょっと……シートを……」

「分かった。思う存分殴れ」

……おいおい。

殴れって……。

親父も綾さんも冗談だよな?

「……ありがとう……」

苦しそうな笑みを浮べた綾さんが、次の瞬間、なんの躊躇いもなく無言でシートを殴り始めた。

……!?

その尋常じゃない綾さんの行動は、俺をパニック状態に陥れるには十分だった。

陣痛の痛みに耐え切れず泣き叫ぶ妊婦はドラマや映画で見たことがある。

……でも、俺の背後にいる妊婦は無言でシートを殴りつけている。

……やべぇ。

多分、綾さんは痛みのあまり頭がおかしくなったんだ。

ここは一刻も早く病院に連れて行かなければ……。

「美桜」

「な……なに?」

「ちょっとスピードを出すからしっかり掴まってろよ」

「え?」

美桜がシートベルトを装着している事を確認した俺はアクセルペダルを思いっきり踏んだ。

「れ……蓮さん!?」

「ん?」

「ちょっと飛ばしすぎじゃないですか!?」

「大丈夫だ?」

「は?なにが大丈夫なの?」

「心配しなくても事故なんか起こさねぇよ」

「い・・いや……私が心配してるのはそっちじゃなくて……」

「……?」

その時だった。

後ろからけたたましいサイレン音が聞こえた。

ルームミラーで確認すると、そこには赤灯をまわしているパトカーがいた。

「……さっき通り過ぎたコンビニの駐車場からあのパトカーが車道に出てこようとしてたんだ……」

言い辛そうに美桜がそう言った。

……。

後部座席の綾さんが気になり過ぎて全然気付かなかった。

『前の車、左に寄せて停まりなさい!!』

車外から聞こえてくる声に俺の口からは舌打ちが洩れた。

視線を後続車のパトカーから後部座席に移すとそこには辛そうな表情でシートを叩いている綾さんの姿があった。

そして車外から聞こえてくるのは停車を促す声。

それは俺にとって究極の選択だった。


普段の俺ならここで逃げるようなバカなことはしない。

今、俺が運転しているのは組の車。

後ろにいる警察官にだってナンバーを調べられればそれはすぐにバレる。

……って事は、逃げても無駄以外の何物でもない。

だから、こういう場合は素直に停車するのが一番だって分かってはいるけど……。


今は停車できない。

ハンドルを持つ俺が今すべき事は、┤1秒でも早く綾さんを病院に送り届けること。


俺は、アクセルペダルを再び踏み込んだ。



◆◆◆◆◆


「れ……蓮さん」

「うん?」

「……なんかパトカーが増えてるんですけど……」

「あぁ、そうだな」

「そうだなって……これってかなりヤバイんじゃない?」

助手席に座ったまま、ルームミラーを覗き込み焦った表情の美桜。


さっきまでは1台しかいなかったパトカーがいつの間にか3台に増えていた。


「ヤバイっていうか、お疲れ様って感じだな」

「はい?」

「あ?」

「……蓮さん、そんなに呑気な事を言ってる場合じゃないと思うよ」

「は?」

「このままだと間違いなく蓮さんは逮捕されちゃうよ……」「あぁ、そうだな」

「だから、そんなに呑気な事を言ってる場合じゃ……」

「大丈夫だ」

「は?」

「いつもなら面倒くせぇけど、今日は大丈夫だ。な?親父」

「ん?」

綾さんの身体を支え、背中をさすっていた親父がルームミラー越しに俺に視線を向けた。


「蓮さん、それってどういう意味?」

「これは綾さんの緊急事態で仕方がないんだ。あれの始末は親父が責任を持ってどうにかしてくれるから心配するな」

「そ……そうなの?」

「あぁ」

俺が頷いた瞬間、後部座席からは

「それは困ったな」

親父の苦笑混じりの声が聞こえた。

それから親父はケイタイを取り出すとどこかに発信をした。


◆◆◆◆◆


ようやく辿り着いた病院。

時間にすれば30分も掛かってねぇのに、とてつもなく長く掛かったように感じた道のり。


病院の敷地内に入り親父に指示された通り、俺は建物の入り囗の前で車を停めた。

その後ろに停まったパトカーは、サイレンこそは止められていたが5台に増えていた。


……面倒くせぇな……。


さっきは親父に任せるって言ったものの、親父には、警察の相手をしてる暇なんてない。

これからは綾さんに付きっきりになるだろうし……。

仕方がねぇ。

あいつらの相手は俺がするか。

そう思い、車を降りようとドアに手をかけた瞬間


「蓮」

親父の声に止められた。


「……?」

「お前は行かなくていい」

「は?」

「お前が行くと事が余計に面倒くさくなる」

「あ?」

「ここは、あいつらに任せておけ」

そう言った親父が視線を向けたのは、病院の敷地内に入ってきた2台の車だった。


見覚えのあるその車は、パトカーと俺達が乗る車の間に停車した。

その車から颯爽と降りてきたのはマサトをはじめとする組員が7人。


「……おいおい、人数多すぎじゃねぇか?」

俺は呆れながら親父に視線を向けた。

「……そうだな。俺が呼んだのはマサトを含めた2人だったんだが……」

「は?……いやいや、7人もいるじゃねぇか。しかも、揃いも揃って見ためだけで検挙されそうな奴ばっかじゃねぇか」

「確かにそうだな」

親父は楽しそうに笑い声をあげた。


……おいおい、おっさん……。

笑ってる場合じゃねぇだろ。


その時、マサトが駆け寄って来た。

親父が後部座席のフルスモークの貼ってある窓を開けるとマサトは申し訳なさそうに頭を下げた。


「すみません。親父に言われた通り1人だけ連れて来ようとしたんですが……」

「あぁ」

「みんな綾姐さんの事が心配で堪らなかったようで……」

「あぁ」

「誰が行くかって事でモメまして……」

「あぁ」

「なんとか7人までには絞ったんですが……申し訳ありません」

マサトは再び深々と頭を下げた。


「マサト、大変だったな」

親父が声を掛けると、マサトは「いいえ」と首を振った。


「もう1つ頼まれてくれるか?」

「任せて下さい」

親父の頼みにマサトはたのもしい笑みを浮かべた。


警察と極道。

その関係は犬猿の仲と言っても過言ではない。

一部に例外はあるが、大抵の場合この両者が顔を合わせると一触即発の空気になってしまう。

例に漏れず、車外ではパトカーを降りてきた警察官達と組員達が無言の睨み合いをしていた。


“目はロほどに物を言う”


そんな諺を思い出す程、両者はお互いを視線だけで牽制し合っていた。


「一応、村山さんにも連絡を入れておいたから向こうもすぐに帰ってくれるはずだ」

「分かりました」

マサトは頷くと一礼をして、睨み合う両者の元へと向かった。


“村山さん”は親父と昔から付き合いのある刑事だ。

犬猿の仲と言っても、敵対心だけでは共存していけないのがこのご時世。

お互いに譲れる所は譲り,協力出来る所は協力しなければいけない。

俺も村山さんに何度か会った事があるが、人の良さそうな穏やかな雰囲気を纏った人だった。

村山さんに連絡がいってるなら、ここは丸く収まるな。

……まぁ、後日に罰金とかの請求があるかもしれねぇけど、それは親父がポケットマネーでどうにかしてくれるだろ。

そんな事を考えていると


「蓮、ボサっとしてないで行くぞ」

親父に促され俺は車を降りた。


◆◆◆◆◆


受付を済ませると綾さんは医師に診断してもらう為に診察室へと向かった。

もちろん親父も付き添って……。

待合室に残された俺と美桜。

病院とは思えないホテルのロビーような創り。

白とピンクを基調としていていかにも女が好きそうな感じ。

この病院はこの辺りは評判の一番いい産婦人科。

『初めての出産だからもっと大きな病院で産んだほうがいい』という綾さんの事に関しては心配性の親父の意見を聞かず『絶対にこの病院で産む!!』と断言した綾さんが決めた病院。

なんで綾さんがこの病院をそんなに絶賛しているのかは、俺には全然分からねぇけど……。

どうしても綾さんはこの病院で出産をしたかったらしい。

そんな病院の待合室で俺は微かに居心地の悪さを感じていた。

当たり前だが周りには大きな腹を抱えた妊婦ばかり。

いくら綾さんのデカイ 腹をほぼ毎日見ていて慣れてるとは言ってもたくさんの妊婦に囲まれた俺は複雑な心境だった。

……俺がここにいてもいいんだろうか?

そんな疑問が浮かんでくる。

『神宮様のご家族さまですか?』

突然、看護師に話しかけられた。

「はい」

『陣痛室にご案内いたしますので、そちらでお待ちいただけますか?』

……は?

陣痛室?

……なんかあんまり入りたくねぇ感じの部屋だな……。

俺達が案内されたのは痛そうな名前の部屋だった。


痛そうな名前の割には、シンプルな部屋。

セミダブルのベッドにテーブルとソファの応接セット。

テレビと小さな冷蔵庫。


ピンクのカーテン。


目に見える範囲内には、これといった医療器具もなく病院というよりは、やっぱりホテルのようだった。


「もうすぐしたら看者様もこちらにお戻りになられますのでお待ち下さいね」

看護師はそう言い残して部屋を出ていった。


2人になった瞬間、美桜が口を開いた。

「なんか病院って緊張するよね」


そう言えば、綾さんの事でバタバタしててすっかり忘れてたけど……

美桜は極度の病院嫌いだった。


「そうだな」

「あっ!!でもこの病院は他の病院よりは嫌じゃないかも。なんでだろ?」

美桜は首を傾げた。


「あんまり病院らしくないからじゃねぇか?」

「病院らしくない?それってどういう意味?」

「ん?待ち合い室もこの部屋も造りが病院っていうよりホテルみてぇだと思わないか?」

「……なるほど、そう言われてみたらそうかもしれない」

「だろ?」

「うん!!」

疑問が解けた美桜はスッキリとした表情で頷いた。


それから美桜は、ハッと何かを思い出したように俺に視線を向けた。


「ねぇ、蓮さん」

「ん?」

「待合い室には、妊婦さんがたくさんいたね」

「そうだな」

「みんな幸せそうな表情だったね」

「あぁ」


この時、美桜の中で起きていた小さな変化に俺はまだ気付いていなかった。


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