19・2 呪いの源ですが
《狭間》は夕闇の中にいるかのようだった。藍色の世界だけどわずかに橙を感じる。どこまでもほの暗く、天と地の境目がわからない。足裏に地面を感じるけれど、本当に立っているのか自信がなくなってしまう。しかもここは、時間と空間が元の世界とは違うという。不思議な感覚がする。
そんなわたくしの背中にカトラリーたちがしがみついている。かなり怯えているみたい。彼らだけで来させなくてよかった。
わたくしの先にはぼんやりとした白い光がある。エドの一部という光だ。テッラ様は少し離れた場所にわたくしたちを送った。うっかり失敗して、近すぎてしまうと危ないからだそう。
ただ、人の形をしているはずの光がいくつにも分かれている。
精霊王たちが間違えたとも思えないけれど――。
慎重に足を進める。わたくしの手には短剣がある。エドが造りクヴェレ様が祝福をしてくれた。祝福によって悪しきものを浄化する力が込められているらしい。とはいえクヴェレ様は水の精霊王だから、泉の中のときよりも弱い力なのだそう。これは本来の剣として、使わなければならない。
わたくしは、エドに呪いを掛けたあの青年を――。
足が止まる。
光は複数あるのではない。
「ひぃっ!」
「なにあれ!」
「お、落ち着くのですぞっ!」
フォーク、スプーン、ナイフが声を上げる。
エドの光。それは確かにヒト型だった。複数に見えたのは、絡みついていたものがよく見えなかったから。
「リリアナ、大丈夫?」
震える声でスプーンが気遣ってくれる。
「平気よ」
そう答えてそれを見る。
エドの光には胴がひと抱えもありそうな巨大な蛇が巻き付いていた。しかも頭部だけ人で、それは紛れもなく泉の底で見た、あの青年だった。口からは長く二股に割れた下がちろちろと出ていて、ヒト型の頭部、たぶん耳に向けて呪文らしき言葉を唱え続けている。その顔に浮かぶのは狂気の表情。
怖さよりも、やるせない悲しみに苦しくなる。
彼はこの真っ暗な空間でたったひとり、千年を超すときを恨みだけを糧に過ごしてきたのだ。
エドを呪ったことへの怒りはあるけれど、あまりに彼は哀れすぎる。
「マロウさん」
《狭間》に来る前に、エドに教えてもらった青年の名前を呼ぶ。反応はない。
背中にカトラリーたちを庇いながら、近寄る。
もう一度。大きな声で。
「マロウさん」
呪文が止まった。ゆっくりと彼がこちらを見る。
「……誰だ、お前は?」
「彼の呪いを解く者です」
クヴェレ様たちに名前などの詳しいことを教えてはならないと言われている。呪いがわたくしたちに向けられるのを防止するためらしい。
「はっ!」青年の顔に嘲りの笑みが浮かぶ。「小娘風情に俺の呪いが解けるはずがない。去れ!」
「そのようなわけには参りません。わたくしは、どうしても呪いを解かねばならないのです」
青年の蛇の体が伸び上がる。
「その小さき剣で俺を殺す気か。愚かだ。俺が誰か知らないようだな。当代一の魔術師マロウ・マーベルだぞ!」
誇らしげな声。わたくしたちが驚き恐れるのを確信している。
「そのように伝え聞いてはいます」慎重に答える。
「わかったのなら邪魔をするな。俺は忙しい」
青年は元のようにエドに巻き付き、呪文を唱え始めた。
くいくいと袖を引っ張られる。ナイフだった。
「今のうちですぞ」
フォークもしきりにうなずいている。
「背後から近寄って頭部を刺すのがよいと思いますぞ」
「できそう?」心配そうなスプーン。
短剣を見る。
エドの呪いを解くためには、彼を離さなければならない。殺してしまうのが一番。だけど――。
蛇身の青年を見る。彼は千年ものときが過ぎているとわかっているのだろうか。彼に端を発した魔術師狩りすら人々の記憶には残っていない。ましてや彼や彼が愛した人の存在を覚えている人なんて皆無だろう。彼女の墓所が残っているかだって怪しい。
それなのに、恨みを抱えてたったひとりで千年も。妄執としか言い様がない。
少し前まで、ガエターノ殿下を盲目的に愛していた自分と重なる。かつて抱いた想いに固執して、現実が見えていなかったわたくし。
青年とわたくしは同じ。違いは、わたくしには目を覚まさせてくれたエドがいたということ。
「リリアナ。私がやる。剣を貸して」
そう言って固い表情のスプーンが手を差し出した。
「ありがとう。でもわたくしは彼も救いたい」
顔を見合わせるカトラリーたち。彼らはエドが大好きだ。きっとすぐにでも青年をエドの光から離したいはず。
救いたい、というのは間違った考えだろうか。
わたくしは、次こそは情に流されずに毅然と、厳正に対処すると決めたばかり。それを守るなら今、わたくしがすべきことはエドを苦しめる根源を、哀れんだりせずに一思いに殺すことだ。
でも。彼とわたくしは同じ、愚か者。殺して終わりではなく、救いたい。
どうすればいい。
考えるのよ!
今まで教わったことが頭を巡る。
エドの呪いは特殊で強力。解く方法はないかもしれない。
呪いは闇魔法に属する。
だから闇の精霊王は解ける。
闇を払う光の精霊王も、恐らくは解ける。
――わたくしは光属性だわ。
蛇身の青年を見る。わたくしたちの存在を忘れたのか、狂気を宿した顔つきで一心不乱に呪文を唱えている。
生きているとはいえない、人とはいえない存在。
呪いが形になっているだけ。
闇を払う光。
――彼は呪いであり闇である、と考えていいのではないかしら。
わたくしはカトラリーたちに、『試してみたいことがあるの』と断り、ひとり、青年の元に近づいた。
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