16・2 再び帰ってきましたが
エドの魔法で都のバフェット邸に帰ってきた。庭に立って空を見上げる。夜になりかけの空はほの暗い。雲が多く、月も星も見えなくて重苦しい。窓越しに見える建物内の灯りにほっとする。
今日は長い一日だ。泉から出てエドに治癒魔法をかけ、カトラリーたちと事情を説明し、クヴェレ様にもお会いした。さすがに少し疲れている。だけれどお父様に元気な姿を早く見せて、安心してもらわなければ。
「リリアナ」とエド。「平気か? 崩れていないか?」
彼が心配そうな声で尋ねるのは、自分の装いのことだ。エドは品の良い、落ち着いたデザインの外出着を着て、その上に薄手のコートを羽織っている。上着についたフードをかぶり髪色を隠し、顔には仮面をつけている。
つまりは彼は、『人と違うところが見えてしまっていないか』と尋ねているのだ。お父様はともかく、屋敷の人たちはエドを知らないから。
いずれはなにも隠す必要がなくなってほしい。でも今日は初日で、エドだっていくら慣れているとはいえ自分の姿に恐慌されるのは嫌みたいだから、この格好での訪問となった。
「ええ、大丈夫よ」
「緊張するな」とエド。「だが絶対に説得する。魔法も脅しも使わないぞ」
「それを言うのは何度目かしら」
エドはお父様に結婚の許しを求めることに、かなり緊張しているらしい。そのせいなのか、わたくしにはまだなにも言っていないということに、気づいていない。もしわたくしが結婚は嫌と突っぱねたら、どうするつもりなのかしら。もちろんのこと、そんなことを言うつもりはないけれど。
ふたりで誰にも見咎められることなく玄関にたどり着き、少し迷ってから自分で扉を開けた。
ちょうど通りかかったメイドが目を丸くして足を止める。
「ただいま。お父様はいるかしら」
「おっ、お嬢様!」メイドが叫ぶ。
「お客様もいるの」とエドを示す。
奥から駆けてくる複数の足音がして、執事や従者たちが現れる。
「お嬢様!」
「ご無事で!」
「ああっ!」
みんなが大仰に出迎えてくれる。
「長く留守にしたわね。心配させてしまったかしら。お父様は――」
「大変なのでございます」
執事が、珍しく焦りを滲ませた顔でわたくしの言葉を遮った。こんなことは初めてだ。
「なにかあったの?」
不安が胸に広がる。
「ガエターノ殿下なのですが――」
それを聞いたエドがずいっと前に出る。
「続けてちょうだい」
うなずく執事。「ガエターノ殿下が離宮を脱走し、支援者と共に都に戻ってきたのです」
「あんな男に支援者なんているのか」エドが不満げな声を出す。
「第二王子に今更鞍替えできない一派です。彼らとガエターノ殿下は、お嬢様がマッフェオ殿下と結婚したくなったために、ガエターノ殿下を罠に嵌めたのだと主張しているのです」
そんな与太話は、わたくしも耳にしたことがある。だけれど誰も取り合わないだろうと、気にしていなかったのだけど……。
「ただ、貴族の中にはそれを信じる者はほぼいませんでした。ガエターノ殿下が男爵令嬢を贔屓にしていることは周知の事実でしたから」と執事。「ですが竜が都に現れて――」
「竜?」
「はい。ちょうどお嬢様が旅立った晩のことのようです。都の空を咆哮しながら飛ぶ姿を、多くの人間が目撃したようで――」
それはわたくしを迎えに来た竜だ! あのとき確かに鳴いていた。
「それでガエターノ殿下が」と執事が続ける。「疫病の流行は災厄の竜を使ってお嬢様が起こしたのだと主張しているのです。それを支援者が城下で喧伝したようで、今、都ではその噂でもちきりです。昨日殿下は支援者と共に城に乗り込み、旦那様は帰宅してはおりません」
「疫病は収束していないのか」エドが尋ねる。
「収まってきているといえるでしょう。新たな罹患者はしばらく出ていないと聞いていおりますゆえ。しかしガエターノ殿下は、自分が神に祈った結果だと吹聴しているようです」
「図々しい男めっ」
「この虚言、事情を知らない民の間で信じる者たちがいるようなのです」
「わかったわ。すぐに王宮に行く。馬車を用意してちょうだい」
はいと答えた従者が足早に屋敷の奥に向かう。
「大丈夫か、リリアナ」
「ええ。さすがに自分に呆れるわ」
「自分に?」
「どうしてわたくし、あの人がいつか優しさを取り戻してくれると信じていたのかしら」
「お嬢様……お目が覚めて、ようございました」
そう執事が言うと、まわりの使用人たちも一斉にうなずいた。
そして彼らの目がエドに向けられる。
「こちらはエド。お父様に結婚の許可をもらいに来てくれたのよ。わたくしの大切な方だから、よろしくね」
「エドだ。見目は悪いが、誰よりもリリアナを幸せにする自信はある。よろしく」
「それ、わたくしはまだ聞いていないわ」
「わわっ、そうかっ」エドが慌てる。「失敗した、記憶を消すか」
「ずるいわ、それはなしよ」
すまんすまんと謝るエドが可愛くて、顔がほころぶ。
「お嬢様を笑顔にしてくださるなら」と執事が言った。「我々一同にとって外見など、些細なことでございます」
「……ありがとう。気が楽になったよ」
エドがわたくしを見る。仮面で表情は見えないけれど多分、ほっとしているのだろう。
「それと」とエドが執事に顔を向け直して続けた。「リリアナは俺が守る。あんなろくでなし王子の好きにはさせない。安心して待っているがいい」
力強い声に、みんなが頭を下げる。
エドはなんて頼もしい人なのかしら。
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