16・1 帰路ですが
夕暮れに染まる野の道を屋敷に向かって、エドと手を繋ぎ歩く。彼は『せっかくだからリリアナとデート気分になりたい』と言って、カトラリーたちだけ魔法で帰宅させた。
だけどそれは縦前で、本当は気持ちを整理したいのではないかと思う。
「エド。期待をさせてしまって、ごめんなさい」
「……まあ、期待しなかったと言ったら、嘘になるからな」エドはそう答えると、足を止めてわたくしを見る。普段どおりの表情だ。「だけど落ち込んではいないぞ。呪われた当初ならいざ知らず、この体になって千年だ。新しくわかったこともあったし、有意義だった」
「エドは優しいわ」
「リリアナとカトラリーたち限定だぞ。そして今はリリアナ優先時間」
エドに抱き寄せられる。壊れ物でも扱うかのような、丁寧さで。
「こんな見た目で、愚かだった俺で構わないだなんて、信じられない。夢でも見ているかのようだ」
彼の背中に手をまわす。
「あなたが好きよ、エド」
「俺もリリアナが好きだ」
見つめ合って気持ちを伝えあう。エドはわたくしの肩に擦り寄るかのようにして額を乗せた。
「そういえば『もう少し甘えたい』とねだったエドは可愛かったわ」
「ならば沢山ねだろう」
「まあ」
「屋敷に戻ったらカトラリーたちに声をかけてすぐ、バフェット邸に行くからな」
そうだ。すっかり忘れていた。わたくしが竜に乗って出発してから、一週間も経っている。お父様はさぞかし心配しているだろう。
「公爵を安心させて」とエド。「それからリリアナをもらい受けたいと頼むんだ」
「まあ」
それって求婚ということかしら。
「俺みたいな半分人間ではないような輩に愛娘を渡したくはないだろうが」エドが肩にすりすりとする。猫みたい。「第二王子より役に立つと説得をしてーー」
第二王子? どうして急にマッフェオ殿下が出てくるのかしら。そういえば、わたくしが告白したときにも彼のことを言っていたような。
「どうしてエドがマッフェオ殿下を知っているの?」
「んん?」
「もしかして、都に戻ったわたくしを見ていたの?」
「……そう。覗いて悪かった」
「覗きもしたが、王宮にも行っただろうに」
突然クヴェレ様の声がした。
エドもわたくしも飛び上がり、慌てて離れる。探すまでもなく、手を伸ばせば届く距離にクヴェレ様が立っていた。足元はもちろん泉ではない。
「……陸地でも平気なのですか?」
どきまぎする胸を押さえながら尋ねる。
「当然ではないか。それぞれの属性から離れられなかったやどうやって全精霊王が集うのだ」
「確かに……」
「力を最大限に使えるのが清水のもとというだけぞ」
「そうなのですね……」
「ゆえに我を呼ぶならば、なるたけ澄んだ水のもとで頼む」
「承知しました」
満足気にうなずくクヴェレ様。やっぱり気さくな方なのかもしれない。
「人の恋路を邪魔しないのではなかったですか」
エドが不満そうに言う。
「せぬとも。愛し子の疑問が聞こえたから答えただけぞ」
そうだ。クヴェレ様はエドが王宮に行ったと言っていた。
「よ、余計なことはいいんで!」と慌てた様子のエド。
「そうはいかぬ」クヴェレ様は笑みを浮かべているけれど、どことなく楽しそうに見える。気のせいかしら?
「それでクヴェレ様。エドが王宮へ行ったのですか?」
「そうよ。交渉をするためにな」
「ああ、もうっ」エドが叫ぶ。「来し方行く末は語らないんじゃないのかよっ」
「それは語らぬぞ。我は精霊から聞いたことを話しておるだけぞ」にこりとクヴェレ様。「そこの魔術師は王とその家臣に、疫病を自分が収めるからその代わりにリリアナの婚約者を罰するよう、求めたのだよ。その折に第二王子にも会ったのだよのう」
エドは口をへの字にして、あらぬほうを見ていた。だけど――
「悪い。勝手なことをした。でも、あいつがまたリリアナを殴ったらと思うと心配だったんだ」
と言った。
「あの王ならばそんな交換条件をつけなくとも、王子を罰しただろうに」とクヴェレ様が言う。
「多分そうでしょう」とエド。敬語に戻っている。「でも、どのみち疫病の収束が必要だったから、いいんです」
エドがわたくしの手を取り、
「怒ったか」と訊く。
「いいえ。でも、無謀なことはもうしないでね」
「ああ、約束をする」
「今回以上に無謀なことなぞ、そうそうない」クヴェレ様がそう言って笑う。「我はこれから地の精霊王テッラに会うてくる。久方ぶりに愛し子を持った自慢をしなければならぬからな」
自慢……。精霊の王でもそんなことをするらしい。
「わたくしがクヴェレ様のお役に立つなら、良かったです」
ちょっと微妙な役立ち方ではあるけれど。
「ふふふ、そなたは
エドが大きくうなずく。「リリアナはちょっとズレているんですよ」
「そんなことはないわ」
「それとな、魔術師」
クヴェレ様がエドを見る。
「兵士らを《
「なんの罪もないか弱き女を槍で小突くような奴らです」
「まったく。だとしても、だ。今回だけは特別に、リリアナとの
「できるのですか?」
「テッラがの。相談してくる」
エドは丁寧に礼を言う。だけれどわたくしはなんの話なのか、よくわからない。恐らくわたくしを護送した兵士たちのことのようだけど――。
「ではな、リリアナ」とクヴェレ様。「また会おうぞ」
言い終えたかどうかという早さで、姿が消える。
「エド。兵士たちは生きているの?」
「そのようだな」
エドまでも意外そうだ。
彼が言うには、炭化して粉々にしたというのは嘘だったそうだ。わたくしに自分の力をわかりやすく見せつけるためについたらしい。実際は、《狭間》と呼ばれる場所に送りこんだという。
「《狭間》は目に見えるこの世界とは違う場所でな。魔術師の間でもどういうところなのかはわかっていないんだが、しょっちゅう通り過ぎてはいる。リリアナもな」
「どういうこと?」
「移動魔法だよ」
一瞬にして別の場所に移動する魔法。あのとき通っているのが《狭間》なんだ、とエドは説明した。
「地に属する魔術師の最高峰は、《狭間》にものを保管したり取り出したりを自在にできるらしい。移動魔法で事足りるから、長いこと習得しなかったんだがな。最近覚えたから兵士を送ったんだ。あんなヤツらは《狭間》で亡者になればいいと思ったんだが、まさかまだ生きているとは思わなかった」
『不思議だなあ』なんてエドは感心している。
「わたくしとしては、生きていてくれて良かったわ」
「そうか? リリアナは優しいな」
確かに彼らの感じは悪かったし、乱暴だったけれど。そもそもはガエターノ様が命じたことなのだ。彼らはもう十分、罰を受けた。
「さあ、帰りましょう、エド。カトラリーたちが待っているわ」
「まだ全然甘えていないんだが」
「そうだったわ」
背伸びをしてエドの頭をなでなでする。
「いや、そうじゃなくて!」
首をかしげてエドを見る。わたくしだって、これではないような気はしている。でももしクヴェレ様が戻ってきたら、恥ずかしい。だから今はこれだけ。
「……まあ、これはこれで、いいかもしれない」とエド。
「でしょう?」
「初キスをクヴェレ陛下に邪魔されたくもないしな」
ニヤリとしたエドはわたくしの手の甲に、ちゅっと口づけた。
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