第5話 追憶と忘却のあいだ

 あれから1か月。しょうちゃんに呼ばれることはなかった。私から連絡することもなかった。


 私にとって普通の日常を、ただ繰り返していた。


 寂しさを打ち消すように、待機中に女の子同士で雑談する時間が自然と多くなった。彼氏に給料持っていかれた。持って行ったと思ったら新しい刺青を入れてきて、シートの交換とか全部やらされてる。あれって臭いから嫌なんだよねぇ。痒いって言っていきなり殴ってきたりするから、何とか痒みを消してあげられたらいいんだけど上手くいかないからまた殴られた、とかいうぶっ飛んだ話もあれば、あのテレビ見た?あの曲良いよねとかいう非常に軽い話題まで。


 基本的に、女の子たちは病んでいる。それは間違ってはいない。けれど、メディアに社会問題として取り上げられるのは「後天的な病み」の方で、育った環境の中で「先天的な病み」を作り上げている子の方が多いのはきっと、表には出したくないのだろう。


 よく考えれば簡単なことで、夜の街にいる女の子に話を聞いてきましたと言ったっても、そのインタビューに答えてくれるのは自分の過去を曲りなりにも消化できた子だけであって、多くの子はトラウマという名の消化不良を起こしている。思い出すだけで情緒がおかしくなる。言葉に出すのも汚らわしい過去を持っている。私もその一人だった。


 立派な人々は、自分の価値観で理解できないことの表面だけ撫でて、自分には理解できない世界があると宣言する。続けてこう言うのだ。「彼女たちには理解者が必要なんです!」


 可哀想な生い立ちを持った大勢の中の一人として片付けられることが怖いから、無駄に話して誰かに理解してもらおうなんて思わない。だって、自分を殺して一生懸命生きてきたんだもの。そうしなきゃ、生きてこれなかったんだもの。大勢の中の一人で片付けられるほど、ライトに世を渡ってこれた訳じゃないんだもの。


 誰にも愛してもらえなかった子は見せかけの愛の仕草に舞い上がり、誰にも褒めてもらえなかった子は、通り一遍の社交辞令を本気にして「自分の輝ける場所はここだ」と勘違いする。とんでもない生育環境の中で培った価値観に沿った、自分なりの幸せを作り上げる。例えそれが、外野から見てクソみたいな世界の中だったとしても。


 本当の幸せや愛情なんて見たことも聞いたことも、触れたこともない。そもそも知らないものを、追い求めていくHPなんて残っていない。解毒できない毒を持って、宿屋で回復しながら生きているだけ。一生懸命戦おうと思っても消えない毒が邪魔をし続ける。雑魚敵しか相手にできないからレベルも上がらない。そんな感覚に近い気がしていた。


 地震が来た時に「俺が守る」と言ったしょうちゃん。連絡先をもらえて嬉しかったけど、これ以上深入りしちゃいけないと漠然と思ったのはこういう理由。


 ここから、抜け出すのが怖かった。

 

 私の名前は「詩織」。昔の私はもう捨てた。それを受け入れてくれたのは、優しい優しいこのアンダーグラウンドな世界だけ。


 ここには、私の事をゴミだとかばい菌だとか、いらない子だと言う人は誰もいない。お外は怖いところ。私をめちゃくちゃにした怖いところ。辛いことは、忘れてしまえと人は言う。忘れてしまえば、本当に楽になれる?忘れてしまったら私には何も残らないのに。


 


 

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