第3話 わたしは誰

 「90分間、君の話を聞きたい」


 そう言って、ソファーの隣に腰かけた何もしないと大口をたたく客は、「俺のことはしょうちゃんって呼んで。みんなそう呼ぶから」と言った。


 「私の話の、何が聞きたいの?」

 「そうだな。じゃあ、出身はどこ?」

 「…北海道…」

 「えっ!?そんな遠くから!?どうしてこんな所にいるの?仕事?」

 「まあ、生きていれば色々あるよねー」

 「色々?若いのにそんなに色々あるの?」

 

 会話が始まってすぐ、私は答えられなくなってしまった。


 親から逃げてきました、なんて言えないし。そもそも90分話続けろってどういうことだよ。あんた何しに来たんだよ…身体使ってプレイしてる方が楽だっつーの。


 そんな私の戸惑いを察知したのか、しょうちゃんはゆっくりこう言った。


 「なーんにも、考えなくていいんだよ。俺はただの客だし、今日はただの付き合いで呼んだだけだから。好きなこと言っちゃえよ。こういう仕事はストレスが溜まるでしょ?」


 初めて会って、こんなことを言う人は今まで巡り合ってこなかった。2回目、3回目で自分のものにしたいという下心が出てきた客が言うのと訳が違う。そういう人は、「何でも話して」の後に「今度二人でゆっくり会わない?連絡先交換しよ?」とニヤニヤしながら持ち掛けてくるのが定石。そんなことに応じて危ない橋を渡らなくても、新しい客は沢山いる。私は、そういうことを言ってくる客をいつも「ブラック扱い」していた。


 だけどしょうちゃんは、下心よりも興味で聞いてきているのがわかった。何故なら「私の本質」に関わる部分は一切触れてこない。あくまで、表面を撫でる内容でしかなかった。好きな音楽、テレビ、本。こういう可愛いワンピースは自分で買いに行くの?ネイルは自分でやるの?お風呂はいつ入る派?とか。テレビを見ながら、こういう音楽好き?このCM面白いと思うんだけど変かなぁ?とか。


 …仕事は営業だと言っていただけあって、私の一言からどんどん話題を広げていく。セールストークってこういうものなのか。騙されて物を買ったりする人の気持ちがわかる気がする。くだらないと思うようなことも、どんどん自分の知識にしていく人なんだろうな…すごい。


 素直にそう思った。


 携帯電話が鳴る。終了10分前のコール。


 あと10分だとしょうちゃんに告げると、おもむろに立ち上がってこういった。


 「僕が今日聞いた話は、詩織ちゃんとしての話なのか、それとも本物の君の話なのか、どっちなんだろうね」


 私に近づき、髪と頬を撫でる。さっきは嫌だなと思った湿った掌が、何よりも優しい存在に感じた。私の話を、こんなにニコニコしながら聞いてくれる人に出会ったのは、別れた彼以来かもと思った。更にしょうちゃんは続ける。


 「まぁ、そんなことはどうでもいいんだ。だって楽しかったし。だからまた、何もしなくても呼んでもいいかな。出張してきても、話し相手がいなくて暇なんだ。」


 私が誰なのか、そんなことはどうでもいいと言い切る姿に、少し胸が痛くなった。掘り下げて掘り下げて聞きまくった私の話は、誰の話だとしてもどうでもいいのか。出張の暇がつぶれたら、それでいいのか。


 所詮「そういう対象」にしかなれないことが、悲しくて悔しい。


 こんなに楽しく話したのに。


 頑張って、話したのに。


 そして、髪と頬以外本当に私に触れなかった。

 

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