風俗嬢が恋をした

古田 いくむ

第1話 見返してやるはずだった

 「詩織ちゃん、目線もうちょっとこっち~!」


 カメラマンが私に呼びかける。目線を少し下へずらす。


 「いいね!そういう感じ!」その言葉の直後に浴びせられる、顔が溶けそうなほどのフラッシュ。衣装という名のランジェリーを取り換える。バスローブを羽織り、メイクと髪を直してもらう。


 「うん。きれいだね、詩織」そう微笑む店長に向かってはにかんだ表情で返す、そこそこ売れてるデリヘル嬢の私。


 撮影した写真を見せてもらう。顔も身体も間違いなく私なんだけど、なんだか自分じゃないような違和感をぬぐうことができなかった。けれどこの写真が「詩織」として情報誌に載り、ホームページで公開され、私に会いたいとご指名が来る。本当の私はこんなに煌びやかじゃないし、心の中はヘドロにまみれた沼のようにどす黒い。だけど、それは誰も知らない。

 

 ずっと「いつか見返してやる」と思ってた。そのためだったら、自分がどのように汚れても構わないと思っていた。


 酒におぼれて山姥のような顔をして暴言や暴力で私の心を抉る母親のことも、自分のことにばっかりにお金を使って貧乏暮らしを強いた父親のことも、私とは逆に蝶よ花よと可愛がられて育った妹のことも、見て見ぬふりをした祖母のことも。


 そして、貧乏で見た目の汚い私を虐めたあの土地の人間も。


 バカにしていた対象が綺麗になって、お金をたくさん持って何年後かにひょっこり帰ってきたら、奴らはどんな顔をするんだろう。人より牛の数が多いこの土地の人間は、羨望のまなざしを向けてくれるだろうか?


 そんなしょうもないことを考えながら、突如として私は奴らの前から消えたのは何年前だったろう。


 「探さないでください」という書置きを残し、リュック一つ分の身の回りの品と、あちこちでかき集めた10万円、そして当時流行っていた「完全失踪マニュアル」をもって。


 「神奈川の知人のところに身を寄せ、日払いしてくれる職を見つける」…決めていたのはそれだけだ。若干20歳だったの私のどこにそんな度胸があったのだろう?今振り返っても自分でも可笑しいと思う。


 そんな博打のような人生を歩むよりも、暴君のような母に耐えながらコツコツ働いて、逃げ出すチャンスを伺った方がいいだろうと思うこともないわけではなかった…けれど、その気持ちが吹き飛んでしまうくらい大きな大きな、ショックな出来事があった。それは「失恋」だった。


 「失恋」と言っても、私は彼氏を振ったのだ。表面上は。でも、本当は別れたくなんてなかった。親の素行の悪さのせいでダメになった。どうやらお堅い職業の親を持つと、子どもの結婚相手の事を調べるらしい。親の素行が悪かったり、過去に悪いことをしたりしていると結婚を許してもらえないと。


 嘘か本当かは知らない。けれど私は怖くてたまらなかった。結婚して「一人前」になる事すら邪魔されるのか。大好きな人と一緒になるという小さな夢さえ見てはいけないのか。高校時代に付き合い始めて約4年。いつかこの人の奥さんになりたいとあれこれ夢を見た。でもそれは叶わないし、彼の将来のためにも叶えてはいけないんだ。そう思って「他に好きな人ができた」と噓をついた。「俺たちの4年間って、そんな簡単に壊れてしまうものなの?君にとって、俺ってその程度の存在だったの?」という彼の叫びにも似た声は、これまで幾度となく聞いた母の恫喝よりも胸を抉った。


私は一言だけ返した。


「そんな薄っぺらい小説みたいなこと言ってないで。あなたはまだ大学生で私は社会人。ついていけないの。わかって。」


電話の向こうで「…わかった」と絞り出すような彼の声が聞こえ、切れる電話。


 受話器を床に叩きつけた。何もかもが憎かった。引き留めてくれなかった彼も、引き留めてほしいと一瞬でも思った甘ったれた私も、元凶を作った親の事も、つまらない決まり事や偏見にあふれている世の中も、何もかもが。泣いて叫ぶ以上の、感情の表出方法があればいいのにと思った。それでも、自分で自らの命を絶つ勇気なんてなかった。


 それで、代わりに思いついたのが「失踪」。一回、私は死んだんだ。そう思って、何もかもから離れて生き直したい。生き直して、私を不幸のどん底に落とした奴らの鼻を明かして、今までの恨みつらみをしつこく聞かせてやるんだ。金に目がくらんで「申し訳なかった」の一言ぐらい言うだろうか、こいつらは。


 「怒り」から来る原動力というのは凄まじい。絶望とセットになれば時にものすごい爆発力と推進力を得る。さながらスペースシャトルだ。


 怒りと絶望のスペースシャトル、という名のフェリーに乗って私は旅立った訳だが…正直甘くはなかったし、流れに流れて私は風俗嬢になっていた。


 いきさつはこうだ。


 私は神奈川に行って少し経ったあと、日払いしてくれるキャバクラで働き始めた。家もない若い女が夜間の身の安全を確保するには夜働くしかないと思ったし、失踪中の身としては履歴書なんて出せるはずもない。そこでコツコツ働いて何とか月に60万ほどの給料が出るようになったのだが、引き換えに身体を壊した。週6日、夕方から明け方まで働いていたのだから今思えば無理もない。


 お金を貯めて保証人の要らないウィークリーマンションに入れたので、今度は手っ取り早く稼げる方に行こうと思った。


 そうしたら、寮を用意してくれるというからこれ幸い(ウィークリーマンションはかなり家賃が高額だった)と、さっさと風俗に鞍替えした。


 ただ、それだけ。


 悩みも何もしない。だって、逃げている身だから選択肢なんてそもそも存在しないのだ。同じ店で働いていた女の子が、恋愛や結婚で退店していくのをしばしば見ていたけれど、私には無理だと思っていた。だって、あの彼以上にいい人と出会えるなんて思えなかったし、出会いたくもなかった。あんなに苦しい別れ方をした彼とのことを「ただの思い出の1ページ」にするなんてとんでもない。長編大スペクタクルのまま墓場まで持っていきたいと本気で思っていたから、その他の男の事は心の中であざ笑う対象にしておきたかった。


 それも、復讐の一つであると。「あんたの娘は、女としての幸せも放棄しちゃったんですよ」と見せつけるために。そのために、とことんまで堕ちてみるのも悪くない。そんな気持ちでいた。


 あの日までは。


 


 


 













 

 

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