脱兎〜ヤリ逃げて幾星霜

寺澤ななお

第1話

 昼過ぎ、依頼を求める冒険者の喧騒がすっかり落ち着いた頃、ギルドの扉がゆっくりと開いた。


 見ない顔だ。流れの冒険者だろうか。かなり若い。そして小さい。冒険者の規定である15歳ギリギリ、それ以下にも見える。


 ただ、彼から感じる雰囲気は初心者ルーキーのそれではなく、一定の修羅場を生き抜いてきた熟練者のものだ。


「拠点登録をお願いできますか?」


 冒険者にしてはやや長い前髪からくりっとした黒い瞳が現れた。顔をよく見るとさらに若い印象を受ける。


 拠点登録はその名の通り、活動の拠点となる支部を登録するものだ。モンスターの大量発生スタンピードに伴う緊急招集や指名依頼に対応するため、決まった居住場所を持たない冒険者は拠点の申請が常に義務付けられている。


「アターブル地方ギルドへようこそ。喜んで対応させていただきます」


「ありがとう。クエスト受注があったらそちらを優先してください」


 私が笑顔で対応したあとも、彼は紳士的な態度を崩さない。それでいて少年らしくもあり、嫌味を一切感じない。


 やはりルーキーとは思えない。厳しい試験を突破した新米冒険者はたいてい自信家である。もしくは舐められないよう虚勢を張る。自然体でかつ穏やかでいるのは難しい。


 私達のように、戦うすべを持たない受付嬢相手であればなおさら高圧的になりやすい。


 彼は首から下げていた冒険者タグを差し出した。私はそれを受け取り、魔力を使った簡易鑑定で偽造の有無を確認する。


「それでは、所有者の証を」


 彼は頷くと親指を口で嚙んだ後、タグプレートに自らの血を垂らした。


 木製のタグは柔らかな光を放ち、銀色の光沢を纏った。


 シルバープレート。


 D級以上の上級冒険者である証だ。


 冒険者の階級はS、A、B、C、D、Eの6段階。D階級は下から2番目の階級ではあるのだが、E級冒険者とは一線を画す実力を持つ。


 冒険者は命がけの職業だ。明日、命を落とそうがなんら不思議のない仕事である。だからこそ、冒険者になるためには試験で実力を示す必要があり、E級冒険者も一定の戦闘能力があるとされる。生計を立てるだけであれば、生涯Eランクであってもなんら支障はない。事実として冒険者の8割はE級である。


 だからこそ、彼らD級以上の上級冒険者の存在は特別だ。


 私はシルバープレートに浮かび上がった情報を確認する。


『逃げ足のピーター、ランクD』


 二つ名、真名まな、冒険者ランクが記されている。貴族であればファミリーネームがあるが、冒険者になる貴族はほぼいない。多くの冒険者は真名と二つ名で識別されることになる。

 二つ名は自分で申請するのだが、周囲に認識される名称である必要があるため、他人が決めたあだ名がそのまま二つ名となることが多い。しかし、D級の上級冒険者にが付くのも珍しい。


「確認しました。Dランク冒険者、ピーター様。アターブル地方で活動いただけるとのこと、誠にありがとうございます。」


「笑わないんですね?」


 二つ名のことを言っているのだろう。


「逃げて生き延びることは冒険者に最も必要なことですから」


 私は本心を伝えた。


「ありがとう。僕もそう思います。実は自分も気に入っているんです」


 彼はニカッと笑って答えた。少年らしい笑顔だった。


「続けて、『伝達』に移りますか?」


 一旦後ろを振り返ってから彼は頷いた。受付の空きを待っている冒険者がいないことを確認したのだろう。


「伝達」とはモンスターの発生状況をメインとした情報共有のことだ。どこにどのようなモンスターが多いか、状態異常を引き起こす要注意種はいるか、スタンピードの予兆が確認されているかなどの情報を冒険者に伝える。


「実際にいけばわかる」と言われればそれまでだが、彼は熱心に私の言葉に耳を傾けた。その後の質問も実に的確だった。きっとすでに下見を済ませているに違いない。そうでなければ彼の着眼点のするどさは説明がつかない。


 質疑応答は30分ほど続いた。彼が受付の混雑状況を気にしていたことにも納得がいく。


「冒険者の鏡ですね」


「ごめんなさい」


 何故、謝るのか。本心から出た誉め言葉なのだが皮肉として受け取ってしまったのかもしれない。私が弁明しても彼は苦笑いを続けながらペコペコと頭を下げた。


「依頼を受注していかれますか?」


「はい。お願いします。「間際まぎわ」の案件があれば、それを」


「間際」の依頼とはその日に受注期限を迎えるものを指す。成功報酬が2割増しになるが、間際となる理由もあるわけで、そのまま受注者なしとして処理されることがとても多い。従って、これを受けてくれる冒険者の存在はとてもありがたい。


 だが、既に日は傾き始めている。


「3件ありますが、すべて日の入りまでが期限です。内容的にも厳しいかと」


 私が依頼書を提示すると、彼は真剣な表情で要件を確認していく。


「大丈夫です。全部、受注でお願いします」


「全部!?さすがに無理ですよ」


 先ほどの「伝達」をちゃんと聞ききたくなるほどの無謀な決断だ。

 異なる薬草の採集案件が2件、群れを作らないホーンウルフ10個体の討伐。すべてエリアも異なるため、周辺環境を熟知した冒険者でも2日がかりの作業になる。あと3時間ほどでは1件の達成さえも難しい。


「大丈夫です。足には自信があるので」


「でも・・・」


「誰か受けますか?」


「えっ?」


 彼から笑みは消えており、まっすぐに私の目を見つめている。


「この後に誰か受けるのであれば、構いません。でも、その可能性はほとんどない。でしょ?」


 口調は荒くないが、強い圧を感じ、私は受注処理に移った。


「ありがとう。行ってきます」


「気を付けて」と返そうと顔を上げた時には彼は既に駆け出していた。




 ーー結果、私の心配は杞憂に終わる。


 一日で最も綺麗な黄昏時に彼は戻ってきた。

 私と目が合うと、ニカッと笑い小さなピースを腰辺りで作ってみせた。


「ただいま」


「お帰りなさい。すぐに納品確認しますね」


 私は数量確認をしたあと、納品物の事後処理を夜勤の担当者に引き継いだ。


「お見事です。未達成案件の報告をしなくて良い日はかなり久しぶりです」


「お姉さんの役に立てましたか?」


「はい。とても」


 私が笑うと彼も笑った。


ーー「今夜、空いてますか?」


 あまりに自然なタイミングで聞くものだから私は一瞬動揺してしまった。冒険者から誘われるのはギルドの受付嬢にとっては日常茶飯事で断わるのが当たり前なのだが、この流れではかなり断りにくい。


 確信犯だとしたら、彼はかなりの手慣れである。だが、私は彼に惹かれつつあった。もっと彼が知りたいと思っていた。そもそも、冒険者の誘いを受けることは規定違反ではない。仕事終わりならなおさらだ。


「良いですよ。ご飯でも行きましょうか」


 私が快諾すると、バサバサっと書類が落ちる音が後方から聞こえた。他の職員が聞き耳を立てていたのかもしれない。少し心外だ。私だって異性に興味がないわけではない。


「少し歩きますが美味しいシチューを出してくれる食堂があるんです。ご案内しますよ」


 彼は街に詳しくないだろうし、知らない店に行くのは怖いから、自分から提案した。自分が頑張った時のご褒美に行く店だ。誰にでも教える訳ではない。


 だが彼は苦笑いである。


「やっぱり、そうなりますよね」


 食事処では不満なのだろうか。


「大丈夫。お酒もありますよ。この地方は麦の栽培が盛んなのでエールが美味しいんです」


 重労働の後はアルコールで喉を潤したいのかと考えたのだがどうやら違うらしい。


「うん…やっぱり……、はっきりいわないと、うん……」


 彼は考えるようにぶつぶつと小さくつぶいた。そして、何かを決心したような表情で私に迫り言った。


ーー「僕とヤりませんか?」



「ごめんなさい。もう一度言ってくれませんか?」


「今夜、ベッドで男女のをしましょう!」


 彼は正確に伝わるようにとゆっくりと強く言い直した。

 どうやら、勘違いではなかったらしい。



 ーー「娼館で抜いてこい。色ボケクソ野郎」


 こんな言葉を言えたことに自分でも驚いた。

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