672 「日ソ国境紛争(9)」
膨大な数の戦闘機どうしが空の各所で空中戦を展開する中で、もう一つの日本陸軍の新型機が猛威を振るっていた。
「これで2つ! 2番機、交代だ!」
「了解! 2番機、交代します!」
金星エンジンを搭載した今までの日本軍機に比べると太めの胴体を持つ見るからに丈夫そうな戦闘機は、『九八式戦闘機』。
元は水上戦闘機だったものを陸上機に仕立て直したものだが、性能は十分以上に強力だった。
相手となる『I-16』を100キロ以上も上回る最高時速560キロ以上の速度は、少なくとも1939年時点の実用戦闘機としては世界最速クラスだった。
先に試した海軍のパイロットは真っ直ぐしか飛ばないと文句を言ったが、欧州諸国の同世代の新型機と比べると十分な水準の格闘戦能力も有していた。
そして頑丈な機体なので急降下速度も速く、世代が違うので上昇速度など他の点でも『I-16』を圧倒していた。
火力も7ミリとブローニングM2の12・7ミリ機関銃をそれぞれ2丁という、この頃の機体としては重武装なので、次々に『I-16』を撃破していった。
そしてこの『九八式戦闘機』も、整備兵が入念に整備をしたおかげで、持ち込んだ16機全てが今回空を舞っていた。
それを2つの編隊に分けて、約3倍の数を相手取り続け、そして一方的展開に持ち込んでいる。
また一方、少し南の空では主に海軍航空隊がソ連空軍と激闘を展開していた。
現主力の『九六式艦上戦闘機』だけでは数で圧倒されただろうが、ここでも新型の『九九式艦上戦闘機』が猛威を振るっていた。
1個中隊9機ずつに分かれてソ連空軍機を迎撃していたが、1個中隊が1個大隊を相手に圧倒していた。
そしてそれぞれ新型機が空にいる間は、数に劣る日本側が圧倒的優位で戦う事が出来た。
だが、数の面、物量面でソ連側は2対1の優位にあった。
そしてソ連側が、空での飽和攻撃によって日本の航空戦力を抑えつけ、中洲に有効な爆撃を実施しようとした。この為、特に早朝の最初の戦闘で互いに多くの航空機を投入しあう事となる。
この為、早朝の最盛時には、両軍合わせて最大で700機が同時に空にあったとも言われる。
列強どうしの大規模国境紛争とはいえ、局地的な国境紛争とは思えない規模の大空中戦だった。
実際、日本軍が用意したレーダー網は、まだ性能・能力が十分ではない事もあって、空が航空機の反応ばかりとなって途中からは状況を把握出来なくなり、機能を大幅に制限されるという状況になっている。
この為、日本軍の迎撃網も途中からは不完全となり、統制のとれた空中戦は最初だけとなった。
「どっちを見ても敵ばかりだな」
この戦場で最も「ごつい」戦闘機『九八式戦闘機』を駆る中隊長が、そんな独白をする。
8機1組とはいえ常に3倍以上の敵を相手取っていれば、実際が違っていたとしてもそう感じるのは無理なかった。
しかし周囲を見ると、未だに自らが率いる8機に欠けるところはなかった。また既に平均して2機は落とした筈だが、どの機体も十分な残弾を残していた。
そしてその彼の元に、地上からの無線連絡。そして地上とのやりとりを手早く済ませると、新たな指示を部下に命じた。
「次の火消しに向かう。全機我に続け!」
日本の新型機はどれも非常に優秀だったが、全力出撃しても現地の日本軍全体の6分の1程度。しかもソ連軍機は、中洲、各飛行場の途中と戦場が分散している。さらに戦闘機隊のみの場合と、爆撃機部隊の場合で高度も分散していた。
ソ連軍が数で圧倒している為、新型機が十分に活躍しても尚、戦場は容易ではなかった。
ソ連軍司令官ジューコフ将軍が狙った通りの展開だった。
「陸軍さんは、爆撃機と戦闘機相手に新型を分けて投入したそうだ」
一旦地上に戻ってきた『九九式艦上戦闘機』のとある中隊が、補給と整備の合間に飛行場の脇でタバコを吹かしつつ状況を話し合っていた。
「陸軍は新型を2種類持ち込んだからでしょう。我々のように1機種じゃないから連携が難しいのでは?」
「かもな。液冷と空冷だから、用途が違うんだろ。でないと、短期間で2種類の機体を採用する筈がない」
「どうでしょうか。最近は陸軍も羽振りが良いので、装備を随分と揃えていると聞きますよ」
「いつもは、俺たち海軍を目の敵にするくせにな。あ、そういえば、陸軍の新型機の片方は、元々は川西が海軍用に試作したのを、陸軍が横取りしたらしい」
「横取りは言い過ぎだ。俺はその時少し関わったが、一度試験をして不採用にしたんだよ。だから陸軍は当て付けで『九八』式と、海軍が採用試験をした年号を採用したって話だ」
「へーっ、そうなんですね。まあ、川西なら海軍の機体を開発しますよね。でも何で海軍は採用しなかったものを、陸軍は採用したんでしょうかね?」
「頑丈で速度はこの『九九式』より出るが、実際飛ばしたやつの言葉だが真っ直ぐしか飛ばんそうだ」
「爆撃機の迎撃には向いてそうですね」
「ああ。だが陸軍は、迎撃用に川崎の液冷機も採用した。正直、陸軍が何をしたいのか首を傾げるね」
「新型の開発が失敗した時の保険じゃないんですかね?」
「実際は両方成功作でした、ってか?」
「もしそうなら、海軍はいい面の皮ですな」
「一度は不採用にしたんだから、使える機体だったとしても気にする必要はないだろう」
「そうだな。俺達にはこの『九九式艦戦』がある!」
と話が一巡した感じの時、近づいてきた中隊長が手をパンと叩く。
「さあ、雑談はそこまでだ。そろそろ次の準備をしておけ」
「「よう候!」」
そう返し、全員がピシリと敬礼を決める。
空の一大決戦は、まだ始まったばかりだった。
なお、この8月1日の空での戦いは、ソ連軍が約500機の戦闘機を用意したのに対して、日本軍は陸海軍合わせて約300機の戦闘機を用意した。
またソ連軍は、約200機の爆撃機を準備していた。この上、主に日本軍は偵察専用の機体を幾らか準備している。
次の世界大戦が始まっていないこの時期に、総数1000機もの軍用機が集結するのは、この戦いが唯一であり、当然最大規模の戦闘であり、多くの教訓をもたらす事になった。
空中戦全体は、ソ連側は制空戦闘と爆撃機の護衛の二つを、日本側は爆撃の阻止を行おうとしたので、戦闘機だけでの空中戦は全体での6割から7割程度となった。
8月全体の撃墜率は、日本が1に対してソ連が5程度。1日の戦闘も大きな違いはない。それ以前が1対10かそれ以上だったので、ソ連軍は大きく善戦したとも言える。
しかし損失した総数で見ると、日本軍が紛争全期間で約100機失ったのに対して、ソ連軍は8月までの損害の250機を足すと、実に650機もの機体を失っていた。
8月だけで、用意した700機のうち半数以上の400機を失った計算になる。
そして全体の70パーセント近い損害は、軍事上では全滅や壊滅以上の損害という事になる。
もっとも、空中戦で誤認は付き物。互いに実際よりもずっと大きな戦果を挙げたと考えていた。ソ連軍は、日本軍が500機以上の戦闘機を投入し、それを半数以上撃墜、撃破したと判定していた。
対する日本軍は、相手の総数に不明点があるが、パイロット達の報告を総合すると2000機以上を撃墜、撃破したと集計した。
これは、軍中央が地上から戦果確認する方式も併用しても、8月初旬の戦闘に関してはあまり変化がなかった。8月初旬の戦闘の規模が大きすぎ、それに対して狭い空で高い密度で戦ったので、誤認が多かったのが原因していた。
その後も墜落した機体を数えたり、綿密な報告の照らし合わせなどをしたが、それでも1000機に達すると判定された。
この1000という数字は、極東に配備されたソ連空軍の3分の2にも及ぶので疑問があるとも考えられたが、随分とヨーロッパから持ち込まれたのだろうと考えられた。
実際ソ連空軍は、200機ほどの精鋭部隊をこの時極東に送りこんでいる。
ただし、互いに本当の事を知るのは、半世紀以上経ってからの事だった。
なお、損失が全て撃墜ではない。どちらも損害を受けて、帰投してから破棄した機体が半数程度含まれていた。
また、日本側は空中で撃墜されても自陣営の上空の場合が殆どなので、パラシュートで脱出して助かった場合も少なくなかった。この為、パイロットの損失は30名程度で済んでいる。
これに対してソ連側は、全体の2割が爆撃機の損害な事、敵勢力圏での墜落が多い事から、500名を越える搭乗員が戦死している。助かって捕虜になった者も、脱出用パラシュート装備率の低さもあって数は限られていた。
これがソ連以外の列強の平時の空軍だったら、壊滅という状況すら越える致命的な大損害になっただろう。
勿論ソ連軍にとっても決して小さくはない損害だったが、とにかく質より数を重視する軍隊であり、航空機の生産数も桁外れに多い事から、「多少は大きな損害を受けた」に過ぎなかった。
むしろ、当時の日本陸海軍全体の1割程度の損害(人的損失)で済んだ日本の方が、損害を深刻に受け止めていたほどだった。
何しろ当時の日本では、パイロットは職人芸的に教育するのが一般的で、育成自体に非常に手間と時間がかかっていたからだ。
この為日本陸海軍では、この戦いを本格的な契機として、パイロットの大量育成システムが構築されていくようになる。
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1割程度の損害:
史実のノモンハン事変での日本陸軍航空隊は深刻な人的損害を受け、その後の第二次世界大戦になっても中堅以上の人材不足に悩まされる事になる。
第二次世界大戦で、日本陸軍航空隊があまり振るわなかった大きな遠因とも言われる。
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