648 「国境紛争勃発?(2)」

 この秋に起きるであろう、第二次世界大戦の入口あたりの話の事を、簡単にだけど話し終えた。


 すでに知っている人が半数以上いるけど、知りたいと聞いてきた玄太郎くんのように知らない人もまだ少なくない。

 だからだろうか、話の途中から少し緊張した雰囲気が部屋を支配していた。


 もっとも、私にとっては前世の記憶で、何度も話した事で、歴史を捻じ曲げても避けられそうにないと達観していたから、特に気にもならない。

 我ながら「話すのが上手くなったなあ」と思う余裕すらある。


「これから、そんな事が起きるのか」


「起きない方が絶対に良いし、もしかしたら起きないかもしれないし、起きたとしても違った形かもしれないけどね」


「だが、ご当主様や父上は、もう起きると考えておられるのでしょう。だから俺たちに、玲子から直接聞かせたのですよね」


 どこか途方に暮れた玄太郎くんと違い、龍一くんは緊張こそしているけど覚悟完了って感じで淡々と話す。当事者意識の差か、やっぱり将校を目指しているから、色々と現状が見えて、推測も出来てしまうからだろう。


「それで玲子、ソ連との国境紛争がその道標の一つなんだな」


「夢見では日本が関わる上での道標だけど、現状でも道標なのは違いないと思う」


「今回はどうするんだ? ソ連が増長しないよう、日本が迎撃した上で毅然とした態度を取るのか?」


 やっと立ち直った玄太郎くんの言葉は、軍事が専門じゃないせいか、どこか抽象的に聞こえてしまう。

 もっとも、質問に答えるのは私じゃない。

 軍事が専門である龍也叔父様へと視線を向ける。そうすると、龍也叔父様の前に善吉大叔父さんが、心配げに会話に入ってきた。


「紛争が、いつものように小競り合いで終わる可能性は? まだ数は少ないんだろ?」


「現時点では未知数です。ですが、国境線のウスリー川の数十キロ東にシベリア鉄道が通っており、ソ連赤軍の増援は容易です。これに対して我が方は、現地の満州軍はともかく、場所が北東部なので関東軍は移動にかなりの手間と時間を要します。ソ連軍が図に乗ってくる可能性は、低くはないでしょう。現に、兵力を増強しつつあります」


 善吉大叔父さんに龍也叔父様が返す。

 そして龍也叔父様が言うように、ソ連軍が「いつものように」越境して周辺住民などを攻撃したり拉致した場所は、黒龍江(アムール川)の支流に当たるウスリー川。満州臨時政府、ではなく中華民国とソ連の国境の川にある。


 その国境線は、国同士の力関係から当時のロシア帝国優位で国境線が引かれた。当然、清朝もしくは中華民国に不利であり、不満も強かった。

 しかもソ連は、頻繁に理由もなく国境紛争を起こした。主に嫌がらせと現地部隊による誘拐や強盗まがいの行動が多い。だから一度に動く兵力も少なく、さらにすぐに引き上げるので武力衝突になる事すら殆どなかった。


 その上ソ連は、中華民国や満州臨時政府が、係争地もしくは本来は自らの領土と考えている場所でわざと騒動を起こした。

 そうした場所といえば、ウスリー川の上にある比較的大きな中州が多かった。


 満州臨時政府も、清朝の時代に定められた国境線を踏襲せざるを得ないけど、勝手をさせ続けるわけにはいかなかった。

 幸い、日本軍の増強、自らの軍備の増強により、この辺りにもまともな国境守備隊を置けるようになった。

 そして今回の事件の発端は、警戒を強めるようになっていた満州臨時政府の国境警備隊が、「いつものような気軽さ」で越境してきたソ連軍を発見した事で起きた。


 発端のそのまた原因は、1939年の1月のソ連の国境警備隊の越境を発見した満州臨時政府の国境警備隊とのやり取り。

 場所は、満州側に近い中洲。双方が領有権を主張しており、基本的には満州側が実効支配している。

 少数の現地の人が出入りもしているし、国境警備隊の見回り用の小屋と、ウスリー川を哨戒する船が立ち寄れる程度の小さな桟橋もある。


 けど、中洲を含めて周囲は原生林や荒れ地ばかりで、見晴らしはそれほど良くはない。

 ソ連側も、中洲のソ連側の川を頻繁に行き来していて、たまに上陸して嫌がらせをする。人がいたら、拉致して揉め事にする場合すらある。他でも似たような事をしているけど、双方が領有権を主張している場所という事もあって、ソ連にとってちょっかいが出しやすい場所だった。


 この時は、双方の国境警備隊が鉢合わせしたのが、国境紛争の発端となった。

 そしてごく少数同士の小競り合いの中で、満州側の国境警備隊の兵士1名が拉致された。そして兵士が戻る事はなく、満州側が警戒を強めて警備体制を強化した。

 先に、それなりにまとまった数の兵士を中洲に送り込んだのは、満州国境警備隊だった。


 そしてその後、事件の起きた中州を中心としたウスリー川で、両者の国境警備隊による小規模な国境紛争が頻発。互いに数を増やすチキンレース状態に入る。

 ただしチキンレースと違って、相手を見つけると散発的な戦闘が付いて回った。


 その後4月下旬に入って、またソ連による越境。

 この時のソ連側は、すでに国境警備隊を超えて軍の正規部隊が加わっていた。その数は、推定で100名から150名。

 ソ連側も満州側の国境警戒強化に対抗した状態だったので、阻止の為にかなりの数を現地に送り込んだ。


 当然だけど、満州側も河川用の武装警備艇(日本製)を増やして警戒を強め、中洲を中心に陸地での警戒も強めていた。そしてソ連軍を発見後すぐに、後方に待機していた軽い火砲などすら装備した部隊が船で中洲に進出して、船で接近してきたソ連軍と対峙する。


 中洲に陣取る満州側は最初は警告の言葉だけだったけど、ソ連側は満州軍を舐めきっているらしく即座に発砲。しかも、威嚇以上の射撃をしてきた。

 この時点で、満州側も断固たる態度に出る。自分達の支配領域での出来事なので、反撃に転じたのだ。


 そして反撃されると思っていなかったソ連側は、逃げるどころか逆ギレして過剰に反応。ウスリー川の国境警備をする船に搭載していた大砲で反撃。

 満州の国境警備隊も、日本軍と同じ装備の軽迫撃砲の擲弾筒などでさらに反撃。銃撃もお互い激しく行った。


 この結果、満州の国境警備隊に十数名の死傷者が出た。ソ連側も、満州国境警備隊の報告によれば武装した哨戒船に擲弾筒という武器による小さな迫撃砲弾が命中して破損。兵士も多数倒したとの事だった。

 そしてここまでが、事件の前座。

 普通の国境紛争ならこれで終わりだった可能性が高いけど、互いに領有権を主張する中洲だった事が問題を大きくしていく。


 大規模な戦闘の頻発を受けて、ソ連軍は増援の派遣を決定。さらには、航空機を用いた越境偵察も実施。国境紛争をエスカレートさせてきた。

 これに対して満州臨時政府は、現地部隊を増強し、他の国境線警備も強化。そしてさらに、日本政府に軍事支援を要請。

 日本政府は直ちに受諾し、関東軍に命令。さらに国内でもすぐに移動できる兵力の準備に入った。


 また日本政府は、一応中華民国政府に満州北部での軍事行動をすると通達すると、張作霖主席はソ連軍を叩くなら何でもオーケーとばかりの快諾。

 かつて長男の張学良を殺されているので、張作霖のソ連嫌いはいまだに強かった。


 けど、満州の日本軍、つまり以前より多少は中央の統制が強くなった関東軍は、中華民国、満州臨時政府、それにソ連との約束もあり、通常では鉄道警備部隊以外は新京より北に駐留できなかった。

 この為、国境紛争は、しばらく満州臨時政府軍とソ連赤軍の間で続いていた。


 5月12日には、互いに呼び寄せた増援部隊同士が、さらに川を挟んで規模を拡大させた戦闘を行う。大砲すら投入される事で、国境警備隊同士の小競り合いの枠を超えてきた。

 他にも、互いの武装した河川用の哨戒艇同士が戦闘したり、それぞれ陸地の相手を攻撃した。

 そして満州軍の報告は「敵が侵入してきたので損害を与えて撃退した」という事なので、現地関東軍が動きを早めている。


 鳳の本邸での話し合いは、大規模な戦闘が起きた2日後の日曜日。

 この時点では、関東軍の先遣隊は現地に到着して、日本の外務省もソ連大使を呼んで抗議を行っていた。

 それでも今まで通りならこれで戦闘終了で、あとは外交で処理される程度の案件になる。

 けど、事件が起きた時期が私たちをそうさせなかった。



「それにしても、笑いそうになる名の島だな」


 色々分かった上で、お爺様がひょうきんな言葉と共に紙面を指先でピンと跳ねる。

 それに対して、「確かに」と他の人たちも小さく笑みを浮かべるなどする。


(確かに、小学生の男子が喜びそうな名称よね)


 資料には紛争が起きた場所の名前もあったが、そこにはこう記されていた。

 『珍宝島』。ロシア語名『ダマンスキー島』と。


(しかもこれって、戦後の中ソ国境紛争の場所よね。確か)


 満州国が満州臨時政府で中華民国になる影響か、ノモンハン辺りで事件が起きなかった代わりとばかりに、ウスリー川にある川の中洲が事件の舞台だった。



__________________


武装警備艇:

日本陸軍の「装甲艇」になると、小さな軍艦と言える。戦車と同じ砲塔、銃塔を備え軽い装甲を施していた。



『珍宝島』。ロシア語名『ダマンスキー島』:

1969年3月に中ソ国境紛争の舞台となった、ウスリー川の中州。

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