565 「小さな豪華客船?」
「船の上は良いですね」
「風が気持ち良いね」
「何より、世のしがらみも何もかも断ち切れてサイコー!」
「独身も終わりって時に、その言葉はどうかと思うよ」
「気持ちは分からなくもないけどね」
一緒にプロムナードデッキで寝椅子に転がる、お芳ちゃんとマイさんの言葉は、今の私には効かなかった。
こんにちは玲子です。私達は今、鳳グループが保有する大型貨客船「さざんくろす丸」に乗って、北太平洋東部を平均速力26ノット、時速約47キロメートルの快速で、日本列島を目指してひたすら西に進んでいます。
途中の寄港地は、ハワイ諸島のオワフ島。あの真珠湾に寄港予定です。
「さざんくろす丸」は、全長約172メートル、排水量約1万3200総トン。
鳳重工謹製の大馬力のディーゼルエンジンを搭載。貨客船としては破格、高速の大型豪華客船並の巡行速力26ノット、最高速力29ノットが発揮できる。
その気になれば、最高速力の29ノットでも長時間航行可能だし、短時間なら30ノットも超える事も可能だそうで、軍艦にも負けないと建造関係者の鼻息も荒い。
もっとも完成当初は、限界に挑戦しすぎてエンジンが故障したとも聞いている。
船の上甲板より上が客室になった貨客船で、船室は1等とレベル高めな3等のみ。中途半端な客が乗らないかららしい。
そして1等100名、3等150名程度が乗ることができる。今回私が占領している、『鳳凰の間』という貴賓用特別室なんてものもある。
そして、貨客船だけど豪華客船寄りなので、客室も豪華だし船内設備も空間の許す限り充実している。
大食堂だけでなく、一等公室(社交室、読書室、喫煙室)、カフェ&バー、ダンシングルーム、映写室、大浴場、それに医療室や理髪室なんてものもある。
私達がゴロゴロしているお洒落なプロムナード・デッキも、豪華客船の設備に当たるだろう。
そして今回限りだけど、客を退屈させないように豪華客船のような趣向を色々と凝らし、料理を充実させる為にシェフも腕利きを増員してあった。
そんな船の特徴としては、異常に速いこと。そして赤道を行き来するので、冷房完備な点が挙げられる。
欠点は、速さの代償として機関室が大きく貨物の積載量がかなり少ない事。その上、速いから燃料も食うので経済性が悪い。
けど、鳳のフラッグシップに近い船なので、経済性の悪さは気にしていなかった。
姉妹船には「おーすとらりあ丸」「おせあにあ丸」があるけど、姉妹達はまだ建造中だ。
時速47キロが生み出す潮風に吹かれながら、思わずモノローグが頭の中を巡ってしまう。それくらい何も考えなくて良い船旅というのは最高だ。
同乗者に、私の結婚式に参加する人達がかなり乗っているけど、基本的にアメリカの王様達の代理人、上流階級の代理人、取引先の代理人であり、当人達は乗っていない。
だから、船旅の途中で行う予定のビジネスの話以外、余程のことがない限り近寄ることすらない。
それにアメリカから私の結婚式に来る人達のかなりは、定期運行の他の豪華客船で少し遅れてアメリカを出発する。
そしてこの船が北太平洋を走るのは今回限り。
デモンストレーションを兼ねて、鳳グループが自前で借り上げた貸切船だ。一応、貨客船なので貨物も積載しているけど、それも半ばついででしかない。
基本的に本格運用前だし、慣らし運転に近い。
そしてこの帰りは、まさに私の為の船。羽根も伸ばせようというものだ。
「私は、世のしがらみには含まれないのですか?」
のんびりとしているところに、中年男性のイケメンボイス。
そういえば、一人だけ無視できない同行者がいた。
アメリカの王様達の私向けの代理人、ロバート・スミスさんだ。
「小さな頃から、数年に一度お会いしてますもの。気持ちとしては、遠くに住んでいるおじさんくらいの感覚ですわ」
「これは光栄な事です。私もエンプレスの成長を見てまいりましたので、とても親しく感じております」
そう言って破顔するので、私も笑みを返す。
このスミスさん、1929年からの付き合いだから、かれこれ8年になる。言葉通り、何度も会ってよく話しているから、縁遠い親族よりも親しみを感じる。
それにミスタ・スミスにとっては自分自身の出世や成果の為だろうけど、鳳とアメリカの王様達の関係をとり持つべく、色々と頑張っている事を私は知っていた。
また、情報として聞く限り、この8年でかなり出世もしているらしい。
それでも私が海外に行くと、必ず率先して代理人の役回りを演じるのだから、親しくしないとバチが当たるというものだ。
こちらも相応に報いた積りだけど、そんな関係だから少なくとも運命共同体とか戦友じみた感覚はかなり強い。
そんなスミスさんが、いつも通り演技がかって船を軽く見渡す。
「それにしても素晴らしい船ですね。ステイツにも、これだけ足の速い貨客船はないでしょう」
「貨客船では、世界最速級だそうですよ。見栄を張った甲斐がありました。けど、それでも北大西洋航路の豪華客船には及ばないのですから、自分達の限界も痛感させられました」
「我々から見ても、豪華客船は少しばかり常軌を逸していると思えるので、気にされる必要はないでしょう。ですが、豪州航路にこれだけの船が必要なのでしょうか?」
「半分以上は見栄ですね。それと、万が一を考えました」
「万が一? 確かに海賊では、この船には追いつけないでしょう」
「ええ。鉤十字を掲げた、奇妙な巡洋艦でも」
少しカマをかけて見たけど、この程度で何かを見せるミスタ・スミスじゃない。
「なるほど、例のポケット戦艦対策ですか。確かにあれの足の速さは、巡洋艦というより戦艦でしたな。彼らがいずれ太平洋に現れると?」
「インド洋くらいには、姿を見せても不思議はないでしょう。それに、この船が北大西洋に赴く可能性も十分にありますから」
「既にそこまで見ておいでなのですね」
やっと軽く感心してくれた。
「杞憂に終わればと思います。それにこんな贅沢な商船、有事には建造する余裕はありませんから」
「それは確かに。しかし逆に、有事になれば国に徴用されてしまうのでは?」
「そうですね。有事になれば、他に使い道のないうちの超大型船達以外は、全て国に徴用されてしまうでしょう。だから今更です。ただこの船達は、有事には完全買い上げられて、航空母艦に改装されるそうです」
ミスタ・スミスが相手なので、日本海軍が有事に商船を空母に改装するという話は、ちょっとしたリップサービスだ。
そしてついでだから、もう少し話してあげる事にした。
「航空母艦(エアクラフトキャリアー)?」
「はい。せっかく豪華な船を作ったのに、無粋な話でしょう」
「確かに無粋な話ですね。ですが、良い案だと思います。ただ、どういう用途で使うのでしょうか?」
「海軍は、小型の航空機の輸送と、なんでも潜水艦狩りに使いたいようです」
「潜水艦狩り? 飛行機で海中を爆撃でもするのですか?」
「うちの戦略研の分析では、現在の潜水艦は常時潜る能力がないので、空から飛行機で海を監視するだけでも、大きな制圧効果というものがあるそうです。もちろん、爆雷などを空からバラマキもするそうですが」
私の前世の記憶の戦争映画か何かの情報を軽く教えたら、知らない間にそういったところまで研究していた。
同じ情報は海軍にも伝えたけど、海軍の方はいつもの秘密主義からか、何か動きがあったという話は殆ど漏れてこないのに、アイデアはちゃんと活用していたらしい。
「それは大変興味深い話を聞きました。エンプレスは、軍事にも精通されているのですな」
「私、戦争は大嫌いです。けど、嫌いとばかり言ってもいられない時代になりそうですから」
「確かに、おっしゃる通りですね」
「はい。ただ、この船を空母に改装するのは忍びないので、今鳳では有事にそうならないよう、海軍の関心を別の方向に向けさせられないか検討中です」
「なるほど。各国の海軍での研究では、大型客船を改装するというアイデアが出ているという話を聞きますが、鳳も本格的な客船を?」
「豪華客船を空母なんて、貨客船を改装するよりもっと無粋でしょう。ですから、有事に空母に改装しやすい高速で簡便な商船の研究開発、と言ったところでしょうか」
「空母にできるサイズとなると、大型の高速タンカーや貨物船辺りが必要になりますね」
「はい。ですが、それでも速度が豪華客船ほど速くはないので、商船の上に簡易の格納庫と飛行甲板を設置しただけでは、あまり役に立たないと結論が出ました」
「それでは、まだ研究中ですか?」
「はい。日本海軍が研究開発をしています。それ以上は、私も存じ上げません」
「そうですか。それでしたら、連合王国のチャーチル様にお聞きしてみると良いかもしれません」
「確かにあの方は、軍事には詳しいですものね」
「はい。国王陛下の海軍は特に」
「良い事をお聞きしました。今度ご相談してみようと思います」
カタパルトってやつの話だろうけど、私とチャーチルが話を付けようが、政府同士の話が付かないと無理だろう。
日本国内でも開発しているというけど、あんまり良い話は聞かない。海軍が隠している可能性もあるけど、正直なところこの場での話のネタ、ただの雑談だ。
何せ今は、旅行から帰る途中の太平洋の上だ。
__________________
「さざんくろす丸」:
速力以外は、この時代に日本で建造された大型の貨客船と豪華客船の中間くらいの大きさや設備、旅客数。
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