495 「研究員選抜」

 夏休み直前、また世界史が私の前世と同じ動きを見せた。

 7月18日に、スペインで内戦が始まったのだ。


 けど私の前世知識に、スペイン内戦の知識は少ない。

 ゲルニカの絵と有名な戦争写真、それにフランコ将軍の名前くらい。

 新たに学んだ知識や情報でも、人民戦線内閣はアカという事くらいしか関心がない。ただ前世と今の知識の複合で、人民戦線とか言う共産主義者とヨーロッパのファシズム勢揃いの戦争だという程度は理解している。


 なお、スペインでの動きは、1週間くらい前からきな臭い話が舞い込み続けていた。暗殺とその報復だ。

 そしてこの日、モロッコで反乱が起きると、カナリア諸島に左遷されていたフランシス・フランコ将軍が即座に駆けつけて指揮権を掌握した。

 けど、内戦が燃え上がるのはこの後だ。私の前世のおぼろげな知識だと、この内戦は何年も続く。


 もっともスペイン内戦は、日本とは縁遠い事件だった。日本がドイツに近づかないのなら尚更だ。

 そしてイタリアと関係の悪い日本が、イタリアと並んでスペインのファシスト陣営を支持する可能性は極めて低いと、総研でも分析されていた。


 そんな日本は、1931年から続く好景気がさらに熱気を帯びていた。

 都市部での不動産投機に火がついているのは懸念材料だけど、経済は全ての面で豪快な成長を続けているので、一応は些細な問題と言えた。景気の性質が、基本的に物を作る方向に大きく傾いているからだ。

 そもそも今の日本は、一部の大都市を離れると田畑か山林だらけで全然開発されていない。奥地に行けば江戸時代とさして違わない、という事も珍しくない。


 輸出の方は、来年くらいから絹の輸出がさらに死ぬ筈だから油断は出来ない。けど、日本国内の好景気のお陰で絹の国内需要が爆発的な伸びを見せ、世界恐慌前の8割程度の価格水準と生産量に戻っていた。

 一方で、木綿製品は絶好調だ。満州臨時政府、中華民国政府とも水面下で協定を結び、一旦どちらかに輸出された繊維製品は、ほんの少し手を加えて国籍ロンダリングをしてさらに他国に輸出されていた。


 中華民国自身への輸出も、関税を低いまま維持させていたので、順調に輸出が伸びている。さらに加工した上での中華民国による輸出は、関税の件を中華民国に認めさせる飴であるけど、日本に損はないので上手くいっている。

 英米は文句言ったけど、中華民国相手なので暖簾に腕押し状態だ。

 それに、そもそも法外な関税障壁が問題なので、英米も強くは文句が言えなかった。


 そして中華民国に対しては、日本が半分以上ながら英米仏さらにイタリアによる武器輸出がさらに伸びている。

 何しろ蒋介石率いる南京臨時政府が、ドイツとの間に蒋独合作と言う協定を結んでいた。そしてドイツは、武器の輸出、軍事顧問の大量派遣、小銃など小さな武器の製造工場の建設など行っているので、張作霖としては軍備増強は死活問題だった。

 さらに、ソ連までが主に日本に対する行動として、蒋介石の支援を始めていた。


 張作霖の後ろにいる日英米なども、蒋介石が勝ったら大損なので、支援や借款を増やして軍備増強させている。

 そして武器輸出、アフターケア、さらに軍事顧問の派遣という点で、日本は価格と今までの関係、そして近在の優位を生かして優位に進めていた。


 そうした結果、なんだか張作霖の中華民国軍は日本軍っぽさが増し、蒋介石の国民革命軍は見た目がドイツ軍に急速に姿を変えつつあった。

 そのうち代理戦争でも起こしそうな雰囲気だ。


 一方で日本と英米との取引は、日本とアメリカの取引がお互い減って、いまひとつな状態になっている。

 前世の歴史と違って、日本が石油とくず鉄を必要としなくなった影響なのは間違い無いだろう。


 日本はアメリカから綿花と機械類くらいしか輸入品が無くなり、アメリカは高い関税障壁で日本製品が入りにくい上に、主力の絹需要が激減している。

 日本の対米輸出の主力は、関税障壁を超えていける繊維製品と関税の低い玩具だ。最近では、自転車輸出も伸びていた。


 一方でイギリスとは、日本が主にオーストラリア自治領からの輸入を激増させていた。当然、鳳が輸入している鉱産資源が原因している。

 それ以外にも、英連邦各国、東南アジア各地、インドからの輸入する原料品が多い。工業用に必要な岩塩も、イタリア領のソマリア産から、エジプト産などに変更しつつある。


 貿易関係で見れば、アメリカよりもイギリス(英連邦)が日本の生命線となっていた。

 万が一イギリスとの貿易が途絶したら、問答無用で東南アジアとオーストラリアを占領しないと日本経済が死んでしまう。


 一方私の前世の歴史で生命線だったアメリカとの貿易は、生命線とは言い切れなくなった。

 何しろ石油は、北樺太の中規模の油田と満州の二箇所にある油田で全て賄えていた。アメリカからは、工作機械の整備用油など、質はともかく量の面ではごく小規模になっている。

 35年に水島の化学石油コンビナートが稼働してからは、オクタン価の高いガソリンや軽油の輸入も必要なくなった。



(総力戦研究とか言うけど、前世の歴史の一番の戦争原因フラグをへし折ったけど、シミュレーションしたらどういう結果が出るんだろう)


「どうかした?」


「んー。この中の選ばれた人達が、どんなシミュレーションをしてくれるのかなーって」


 お芳ちゃんに適当に言葉を返したけど、意外そうな表情をされた。


「そこには興味あるんだ」


「うん。かなり。夢とは違う景色が見られるかもしれないから」


「なるほどね。それじゃあ、とっておきの候補が応募してくれているよ。この人どうする?」


「誰?」


 そう言い合いつつ、お芳ちゃんからエントリーシートを受け取る。勿論、この時代の日本でエントリーシートなんて言い方はしないけど、要するに応募の履歴書だ。

 場所は鳳ビルの会議室の一つ。そこを借り切って、『(仮称)鳳戦略研究所』の一般公募者の第一次選抜をしている。第一次と付いている通り、2週間前から募集を開始したのに、結構な数が応募してきている。


 鳳グループが、拡張路線を未だ継続中で、業績自体も絶好調なのが一番の原因だろう。その鳳グループが、今後の世界戦略の為の研究所を新たに立ち上げるという噂が応募に繋がっていた。

 報酬もお高く設定したけど、そっちは誰もが二の次って感じなのが、書類の応募の段階でヒシヒシと伝わってくる。応募用紙に添えて、手紙を同封してくる人間の多いこと多いこと。

 けど、今しがたお芳ちゃんから受け取ったのは、応募の履歴書だけ。やっぱりこの時代だから、写真は貼られていない。


「ゲッ! 尾崎秀実じゃん! なんでっ?!」


「さあ? 知りたかったら当人と話してみたら」


「嫌よ。こんな共産主義キメすぎた危険人物」


「暗殺はしてこないと思うけど?」


「私、こういうタイプと絶対合わないから、ダメ。目が綺麗な奴の方がまだマシ。全てを偽れるくらいの、ガチガチの共産主義者よ。なんでこっちに近づいて来んのよ!」


 言いながら、思わず履歴書を手放す。当人直筆だろうから、長い間触れていたら共産主義が移ってしまう。

 共産主義は、私の体の主を2回も殺した天敵だ。そのせいか体が共産主義を強く拒絶している気がする。

 そしてその、私の心象風景的には真っ赤な紙を、今度はマイさんが手に取る。


「マイさん、そんなの見たら共産主義が移りますよ」


「まるで病原菌扱いね。でもこの人、共産主義のスパイなんでしょう。ホント、どうしてかしらね?」


「多分だけど、近衛文麿が政治の表舞台から突然消えたからじゃないかな? 一緒に昭和研究会も消えたし」


「この人も属していたの?」


「いえ、東京朝日新聞勤務です」


 密かにマークさせているから、この辺りは確認済みだ。そしてゾルゲと既に接触しているのも確認済みだ。

 ただ、アカどもの接触場所になっていた太平洋問題調査会は赤狩りが済んでいるし、話している通り近衛文麿の政策研究団体も解散した。


 けど私は知っている。共産主義者に妥協はいけない。懐に呼び込む事もいけない。共産主義者は、どこから浸透してくるか分からない。共産主義に限らないけど、思想をキメてる奴は入れないに越したことはない。

 ゼロ・コミーが最高だ。


「新聞社か。鳳には皇国新聞があるのに、この人も大胆ね。でも、目的は何かしら?」


「共産主義スパイだから、政府の中枢に少しでも近づいて情報を得るのが目的でしょう。鳳一族には貴族院議員が2人。さらに陛下にも近い紅龍先生もいて、研究所に名前を連ねる事を発表している。そして今の内閣は、鳳内閣なんて陰口も叩かれている。スパイするには、十分な理由だと思います」


「で、お嬢の方針は?」


「お父様や時田に相談。けど私的には、書類審査でハネる一択。共産主義者はどこから浸透してくるか油断がならないから、徹底的に排除するに限る」


「鳳グループはアカに厳しいもんね」


「うん。当然。奴らに妥協はありえない。向こうもそう思ってるから、お互い様」


「でもさ、引き込んで利用するって手もあるんじゃないの?」


「そういう考えが危険なのよ」


「じゃあ、懐柔するとかは?」


「こいつにそれは有り得ない。許されるなら、投獄か暗殺したいくらいだし」


「玲子ちゃんがそこまで言うなんて、余程の人なのね」


「お嬢は、口では結構過激ですよ。でもまあ、個人相手にここまで言い切るのは珍しいかな」


「当人の主義や思想にあれこれ言いたくはないけど、日本を破滅させる方向に導くような奴に、かける情は持ち合わせていないわよ」


「あっそ。それでハネればいいの?」


「うん。監視は付けているから、こいつが誰かに接触しようとした時点で分かるし、直接中に入れない限りは大丈夫」


「なるほどね。でも、この人以外にも危険な人については、ちゃんと調べないといけないわね。そっちは貪狼副所長がされているの?」


「はい。そちらは任せています。だからこれは、もう貪狼司令も目を通している筈です」


「司令からお嬢に報告がないのは?」


「私の反応を待っているんでしょうね。人が悪いから」


「そんなとこだろうね。じゃあ、尾崎さんは一時保留。さあ、まだ書類もあるし、どんどん見ていってよ」


「はーい」


 人を集めると、アカが紛れるのはこの時代の特徴とはいえ、最初からとは思いやられる。



__________________


スペイン内戦:

1936年7月から1939年4月まで続く。



絹の輸出がさらに死ぬ筈:

1935年にアメリカのデュポンがナイロンを発明。2、3年後に製品(ストッキング)がアメリカ市場に出回り始め、絹の需要を激減させる。



絹の価格:

大恐慌前の6割以上に回復する年は殆どなく、37年あたりからナイロン登場でさらに輸出が死ぬ。



工作機械の整備用油:

主にペンシルヴァニア産。他と替えが効かない。違う油を使うと、機械が焼き付いて止まる。史実の日本は、備蓄油が無くなって大戦終盤にそうなった。



尾崎 秀実 (おざき ほつみ)

共産主義をキメすぎた人。ゾルゲ事件で逮捕されるまで正体がばれなかったくらい。

当人の思想はともかく、共産主義がどれだけ危険かをよく伝える人物と言えるだろう。

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