491 「第1回全国自動車競走大会(2)」
「自動車作ってる鳳が、オートレースに出ないわけにはいかんだろ。今までも出られるだけ出てきたんだしな。そして出るんだから、全力出さなきゃあ相手に失礼だろ」
「じゃあ、せめて自社開発の車にすればいいじゃん?」
「自社開発もあるぞ。大型車を一から製作したのは、実質うちだけだ。まああれだ、デュースは花を持たせてやりたいだけだから、趣味みたいなもんだ」
「そんなに好きなの?」
「ああ、良い車だ。それになあ、製造元の会社が危ないらしい。だから、ちょっとした応援だ。一時的な改造の許可も取ったし、このレースが終われば元に戻す。取り替えた外装とかは全部置いてあるしな」
「会社が危ない?」
「会社というより、出資者の資金繰りが不味いらしい。フォードさんが知らせてくれた」
虎三郎に兄と姉妹が順番に問いただしていく。
けど、私には少し疑問がある。
「デューセンバーグって小さい会社よね。けど車は、金持ちに大人気。支えようって人はいないの? それが無理なら、吸収合併すればいいじゃない」
「商売するには小さすぎるとか、儲けが少なすぎるとか、個人が抱えるには金がかかり過ぎるとか、色々あるんだよ。俺も多少の出資くらいは考えたが、日本からじゃあ遠すぎる。それに主力のタイプJも、年産5、60台じゃあなあ」
「そっちは了解。趣味以上にはしないでね。けど、よく3台もエントリーできたわね」
「そりゃあ鳳自動車で、このサーキットに出資したからな」
「……常識は守ってくれているわよね」
「玲子に言われたくないが、東京横浜電鉄が7万出資したというので、控えて3万出した。それに三菱の誰かも、同じ3万出している奴がいる。それとうちの試験走行場の情報の一部も提供して、サーキット建設に役立ってもらった。あとは」
「まだあるの?」
「いや、路面の舗装が簡易式だというから、うちの建設会社に協力させてアメリカに負けないコースにさせてもらった」
「……出資より、そっちの方がお金かかってない?」
「金をかけないで、良いレースができるか!」
ドヤ顔で断言されてしまった。
まあ、数万円程度の出費なら笑っていられる身分だし、日本の産業振興の為の出資と思えば気にもならない。
「まあ、ほどほどにね。悪目立ちはしたくないから」
「それはそうだな。だから鳳の杯も用意したし、見込みのある個人か小さい会社には声をかける積りだ」
「パトロンになるの? それとも雇うの?」
「そいつ次第だな」
そう言って少し遠い目をする。
今や日本の自動車界のボスとすら言える虎三郎だから、このくらいの我儘は許してあげるべきだろう。
「あ、そうだ。お前らも来るっていうから、金持ち用の席も作らせておいたぞ。競馬にあってオートレース場に貴賓席がないのも、さみしいしな」
(この我儘、許して良いのかなあ?)
技術バカの趣味人だけに、どこかで釘を刺す必要がありそうだ。
そして虎三郎の案内で、貴賓席とやらにやってきた。21世紀のようにガラス張りの空調完備といったものではなく、他と少し間が空いていて、屋根が付いている程度。必要以上に、お金をかけたりはしていない。あとは、高い位置にあるので見晴らしも良いくらいだろう。
そうして全景を見てみるけど、私の想像したサーキット場とは随分違っていた。
私が想像するサーキット場は、前世のテレビなどで見たものか、一度だけ行った遊園地とセットの鈴鹿にあるサーキット場だ。
コースは陸上競技のトラックみたいで、複雑なカーブ、急カーブとかはなし。そもそも、1周がかなり短い。遮蔽物がないのもあって、普通に全周を見渡せてしまえる。
手元のパンフには、道幅20メートル、1周1200メートルとある。設備も、コースと堤防に毛が生えた程度の観覧席でほぼ全て。ピットやパドックはあるけど、決して立派とは言えない。
けど、観客席は満員御礼。大盛況だ。
「「こんにちは」」
そして貴賓席の一角には、既に鳳の他の見物人達も来ていた。殆どが鳳の子供達だけど、勝次郎くんもいる。その脇には、数年ぶりの勝次郎くんの従兄弟さんもいた。
逆に大人はいない。こういう人の多い場では、お父様な祖父と私は滅多に同席しない。善吉さんもだ。お兄様は馬好きだけど、車は仕事に関わる以外に関心が薄いから来ていない。
玄二叔父さんは、日曜日こそ美術館などは忙しいから、日曜イベントは滅多に見かけないし、今日もいない。紅家の人も見かけない。
私達ドライブデート組の方が、別の車でセバスチャンと時田が同行してきているので、大人の数は多いくらいだ。
「玲子、遅かったな。何かあったか?」
「駐車場で群衆に囲まれてね。みんな車が珍しいみたい」
「あー、そっか。3組ともデューセンバーグだもんな。俺も後で観に行こう」
「散々見ているでしょうに」
私の苦笑混じりな言葉にも、龍一くんは破顔して「良いものは何度見ても良い」とか返す。
そしてその言葉に、男子達は頷いている。虎士郎くんも例外じゃない。だから瑤子ちゃんの笑顔は苦笑気味だ。
「朝から勝次郎さんも、お兄ちゃんと似た感じよ」
「ハルトさんなんて、そういうの通り越えている感じね。けど、一番はしゃいでいるのが虎三郎だから、ここに来てからは少し落ち着いたかも」
「いや、まあ、車のお祭りだからね」
「まあ」
ハルトさんの誤魔化し&照れ笑いに、瑤子ちゃんも上品に笑い返す。お祭りだから、虎三郎みたいにやりすぎない限り、自然と笑顔が出てくるものだ。
一人ちょっと浮いているのが、虎士郎くん。独特の雰囲気の中で、目を閉じて音を聞いている。虎士郎くんには、複数のレーシングカーが出すけたたましい音も音楽に聞こえているのかもしれない。
なお、一般席には非番の私の側近達も連れて来ている。当番もシズと共に私の側にいるから、全員参加状態だ。そしてその中には、姫乃ちゃんも招待していた。輝男くんも行くのに連れて行かないのもあれだし、書生になると屋敷の中と学校だけの生活になりがちだからだ。
そちらの方に目をやって見ると、直ぐに輝男くんと目があった。休日だけど私が居るから、レースより私の身辺が気になるんだろう。真面目で従順すぎるのも考えものだ。
その隣には、護衛される側のお芳ちゃんがいて、さらに隣に姫乃ちゃんがいた。けど他の子は、それなりに距離もあるせいか別に私達の方を見ていたりはしない。
まあ、順当にレースを楽しんでくれればと思う。
そうして観戦している中、順にレースが行われていった。
杯の数が結構あるから、レース数もそれなりに多い。大会運営側が3万と発表した大群衆も、レースのたびに大きな歓声を挙げていた。
その中で私が注目している人がいた。
パンフレットにその名前を見て、心拍数が跳ね上がったほどのネームドがエントリーしていたからだ。
「ねえ、虎三郎。あの事故でリタイアした人、どう思う?」
「車でなくて人か?」
「うん。本田宗一郎って人」
「あの車を改造した本人だが、人は知らんな。運転技術は、舞にでも聞いてくれ。だが、あの車は面白いな。他車と衝突してなかったら、優勝してたんじゃないか。気になるか」
「うん。凄く」
「凄く、ねえ。だがなあ、技術者ってのは色々だ。目的の為に手段を選ばんやつ。理想の高いやつ。好きな事が出来るなら他には無頓着なやつ。金の為に技術を手段としているやつ。
だから、玲子が何をするにしても、まずは当人に会って話してみないとな。だが事故しちまったから、怪我が治ってからだろ」
「そうよね。それじゃあ怪我が治ったら、会ってみてくれる。必要なら私も一緒に行くけど」
「いや、俺だけの方が良いだろ。それでどうしたい?」
「条件は青天井。当人の望む条件でいいわよ」
「そんな凄い奴なのか?」
「私の夢に出て来た人。歴史に名を残すのよ」
「ハーッ! 今は面白そうなやつの一人って程度だが、大器晩成なのかもな」
「多分ね。だから提携、出資、合弁、系列化、まる抱え、何でも良いわ。条件を整えてあげる形で良いと思うけど、煩わしい事から解放してあげるだけでも構わないから」
「何でもありね。それで、何をする。いや違うか。何をして欲しい?」
「して欲しいわけじゃないけど、私の見た夢の中ではオートバイや車を作るの」
「歴史に名が残るほどのやつをか」
「うん。最初は、自転車にエンジン付けるやつから始めた筈」
「原動機付自転車か。今の日本には安くて便利そうだが、そんなもんで世界に名が残るってのは余程の物を発明するんだな。よし、分かった。取り敢えず、じっくり話してみよう」
「うん。お願いね」
車やレースにそれほど興味のない私にとって、それが一番のイベントだった。他は、男子どもが楽しそうにしていたというくらいの印象しかなかった。
肝心のレースの方は、サラさんが「大人気ない」と言った通り、レーシング仕様のデューセンバーグが圧倒的パワーを見せつけて優勝杯をかっさらった。
けど自作の方は、海外車には十分に太刀打ちできず。日本の車の技術力が、まだまだ世界水準に達していないのを痛感させられただけだった。
その国産小型レース杯の方は、今の国産車は日産のダットサンか鳳のフェニックスしかないので、一から作る以外では選択肢はこの二つしかない。そしてレース参加はアマチュアが多く、どちらかを選んでいた。
そうした中で、鳳自動車のワークスが作った車と、オオタ・レーサーという所のワークスが作った車の一騎打ちとなった。
日産は、参加した車に不思議と何の改造もしていなかったけど、ダットサンに自信があったんじゃないかというのが、虎三郎の寸評だった。
そして一騎打ちでも、鳳の自作車は敗北。
レース後、虎三郎は自社の二つのワークスに、次は勝てる車を作れとハッパをかける事になる。
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本田宗一郎:
史実でも第1回全国自動車競走大会に出場して、事故でリタイアしている。
この頃は小さな自動車修理工場の社長で、藤沢武夫とも出会っていない(出会いは戦後)。
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