474 「第二次ロンドン海軍軍縮条約締結(3)」
「でも実際は、違っていたのよね」
「実はアメリカは、最初から織り込み済みだったみたいだけどねー」
「お嬢様のお陰ですな」
私を見つつ、マイさんの言葉に貪狼司令が強く頷く。この部屋に居る時点で、マイさんも涼太さんも諸々は既に知っている。けど、アメリカが妥協したのは別の理由があった。
そして貪狼司令の言葉は、間違いではなかった。
「私? 何もしてないけど?」
「ハハハ。まあ、そういう事にしておきましょうか」
珍しい貪狼司令の声付きの笑い声。
アメリカは、日本の近年の経済発展、特に重工業、さらに言えば造船能力の拡大を警戒したのだ。野放しにしたら、ほんの5年程前までの3倍の規模で戦艦や空母を作りかねない、と。
そして私は、常日頃からハーストさんに日本の現状の経済状況と今後の予測、日本重工業の実情を正確に伝えていた。
ハーストさんは、それをいつものイエロージャーナリズム路線ではなく、真面目な統計資料や経済情報としてアメリカ国内に伝えた。
なお、アメリカが一般情報として公開する経済や工業に関する情報は、日本では軍事機密扱いされかねない。
それを一部伝えているに等しいので、鳳としては慎重を期さないといけないけど、その辺りは私以外の人達がしてくれている。
そして逆に、アメリカの支社とハーストさんからは、日本では軍事機密扱いされるようなアメリカでの『一般情報』を集められるだけ集めて、分かりやすくまとめた上で日本の各所に差し上げている。
新聞、雑誌などで公表もしている。
そうしてアメリカにも、日本の正確な情報を伝えたわけだけど、その情報にアメリカが少しばかり慌てた。
何より、流石のアメリカ様も、単年度で経済成長率20%には軽く驚いたらしい。そしてそれ以上に日本に脅威を感じたのが、短期間での重工業力、特に造船能力の飛躍的な向上だ。
何せ鳳は、載貨重量7万トン、10万トンの、世界でまだ鳳しか保有していない超大型船を続々と就役させている。それ以外も、日本の商船会社が若干数を建造中という状態。日本以外は、当然ゼロだ。
しかも建造技術は、日本海軍の技術も加わっている事から、日本の軍事機密として海外には一部しか公表されず。
そもそも大型の建造ドックがないと、規格外とすら言われている巨大な船は作れない。頑張れば船台の上でも作れなくはないけど、ドックでの建造の方がずっと有利だ。
そんな技術やお値段の事はともかく、日本は短期間の間に超大型艦建造施設を鳳の播磨造船が現状4つ保有し、さらに2つを建設中。他に、三菱、川崎も1つずつ新規で保有して、さらに増やす勢いだ。
鳳グループが主導する臨海工業地帯には、幾らでも巨大な商船が必要だからだ。
私としては、単純に重工業力による日本経済の発展を目指しているだけだけど、海軍軍人や一部政治家の目には、戦艦や大型空母を作る大型建造施設にしか見えていなかった。
そんな大型建造施設が、従来は日本全体で4つだったのが一気に3倍に膨れ上がったので、アメリカは何としても日本を条約に参加させる事にした、というわけだ。
貪狼司令の話だと、現状での戦艦や空母など大型の軍艦が建造可能な施設は、今後の建設計画込みでアメリカは16箇所、イギリスは13箇所ある。ただしアメリカは、大規模な艦艇建造計画が動いた場合で、実働数は少ない。
日本同様に軍艦建造をせず、しかも日本以上に民間船も作っていないのだから、アメリカといえども寂しいのが現状なのだそうだ。
一方、1930年頃までの日本は4箇所だった。それが、10年と経たずに三倍の12箇所になるとか、アメリカの一部にとっては悪夢でしかなかった。
だから、現状で日本との関係が良好な英米としては、日本を何としても軍縮条約の枠にはめる必要があった。
そしてその為ならば、多少譲歩するくらい安いものだった。
何故安いかと言えば、枷のなくなった日本に対抗して、自分達も法外な数の戦艦や空母を作ったりしないといけないから。実に経済的な理由だ。
そして安全保障より経済に頭が行く時点で、日本と英米の関係が私の前世の歴史の中よりも、随分と良好だと雄弁に教えてくれていた。
「それで、結果がこれか。まあ、面白みはないけど、こんなものでしょうね」
「ご不満ですか?」
「いいえ。けど、イタリアが離脱した時点で、エスカレーター条項発動がほぼ確定じゃない。これって意味あったのかしら?」
「会議参加各国の面子は保てます」
「下らない。と言ったら駄目なんでしょうね」
「誰も聞いていないところで愚痴るくらいは構わないでしょう。それで、鳳としての方針は?」
「お父様達と一応相談だけど、これまでと何も変わらないわ。うちの得意な重工業を、市場を引っ張る形で伸ばすだけ。鳳グループの出来る事と言ったらそれだけでしょ」
「造船に関しては?」
「そうね、単に建造施設を増やすだけじゃなくて、有事の際の建造速度の向上ね。もともと設備は有事に備えて合わせてあるし、そろそろ3交代24時間操業の計画や研究を本格的に始めさせましょうか」
「お嬢、何する気? 本当にモンスターでも召喚するの?」
貪狼司令との優雅な傲慢ご令嬢トークに、お芳ちゃんが少し面白がるように聞いてくる。残念ながら、マイさんと涼太さんはドン引き気味だ。
「リヴァイアサンもかくやのモンスターを召喚するのは、エスカレーター条項が適用された後の日米の海軍になるでしょうね。うちは商船を作って作って、作りまくるだけよ」
「載貨重量10万トンの船の群れがモンスターじゃないとしたら、なんなんだろうね」
「海洋国家にとって必要な道具。それだけよ。それを守ってくれる牧羊犬たる海軍も、大切な道具ね」
「そしてこちらが、牧羊犬たる海軍に課せられた、新たな海軍軍縮条約になります」
そう言って貪狼司令が差し出した紙面には、こう書かれていた。
・海軍兵力の制限に関する条約
調印日時:1936年3月25日
調印国 :アメリカ、イギリス、日本、フランス
基本事項:
・ワシントン条約、ロンドン条約の維持
(量的制限の維持)
・潜水艦の濫用防止の協定の締結
・近代改装条件の変更の条項
・艦種の定義、基準排水量、艦齢に関する条項
(質的制限の設定)
・建艦案の通告、及び情報交換に関する条項
(通知義務)
・エスカレーター条項の設定
・条約有効期間:1942年12月31日
詳細:
・近代改装条件の変更の条項:
新造時の排水量のプラス20%分の増加を、量的制限の対象外とする。ただし、新造時から10年以内の艦艇は除く。
・質的制限の設定:
戦艦 :基準排水量3万5000トン以下、主砲14インチ以下
空母 :基準排水量2万3000トン以下
重巡洋艦:基準排水量1万トン以下、備砲8インチ以下
軽巡洋艦:基準排水量8000トン以下、備砲6・1インチ以下
駆逐艦 :基準排水量1850トン以下
潜水艦 :基準排水量2000トン以下
※戦艦の主砲に関して、日本案は軍縮の理念に反すると考えられ通らず。
・補足:量的制限の維持:
日本は戦艦31万5000トン、航空母艦8万1000トン、重巡洋艦10万8400トン、軽巡洋艦10万1200トン、駆逐艦10万5500トン、潜水艦5万2700トン
・補足:艦齢超過(代替艦が建造可能となる)
戦艦:26年、空母:20年、潜水艦:13年、他:16年
(※日本の場合、1941年就役にすれば、1937年度計画で最大で5隻の戦艦を計画可能)
・エスカレーター条項:
条件:
ワシントン海軍軍縮条約を批准した国のうち、1937年4月1日までに第二次ロンドン軍縮条約を調印しない国(イタリアを指す)があった場合、諸々の制限を緩和する。
1938年1月1日より発動。
(秘密条項:ドイツが英独海軍協定を違反した場合も含む。)
内容:
・戦艦、空母の規定を緩和
(戦艦は基準排水量4万5000トン以下、主砲16インチ(40・6センチ)以下に変更)
・戦艦、空母等の保有枠の増大
(条約参加各国に通知の必要はあるが、実質的には量的制限解除)
・補助艦艇の質的、量的制限解除
・秘密条項:
各国の仮想敵国が戦争を開始した場合、自国が戦争状態になった場合は、自動的にエスカレーター条項を適用できる。
2カ国以上が参戦した大規模な戦争が発生した場合、各国の合意によりエスカレーター条項を適用する。
ただし、通知義務は伴う。
※イタリア政府は、軍縮条約の理念は尊重すると各国に通知。
・日本、アメリカ、イギリス、フランスの間での相互不可侵条約の締結
(1936年4月1日発効。5年ごとに更新)
(これで、アメリカとの戦争フラグがまた一歩遠のいたのは、間違いないよね。あとは、ドイツをディスりまくって防共協定とか軍事同盟を結ばなければ、少なくとも日本本土侵攻なんて即死フラグは、誰も立てられない筈。よしっ、あと一歩!)
見た後で思ったのは、小難しい内容よりもそんな事だった。
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第二次ロンドン海軍軍縮条約:
史実のものとは一部違います。そもそも史実は、日本が参加していません。
これで、なんとか『赤城』『加賀』の近代改装、『蒼龍』『飛龍』の建造ができる筈。もっとも、史実と同じだと4隻全て軍縮条約違反だから、どう誤魔化すのやら。
『大和型』戦艦は、建造されたとしても第二次世界大戦が勃発してからとなり、全ての軍縮条約が事実上無くなって以後からの建造となります。(史実のアメリカの『モンタナ級』戦艦と同じ流れ。)
また、旧式の軽巡洋艦、駆逐艦、潜水艦は、代替艦の完成に伴い退役させないとダメになります。
日本が良い子で第二次ロンドン海軍軍縮条約を結ぶと、史実と同じ艦艇構成ってまず無理なんですよね。
架空戦記のネックの一つですが、このあたりの事を忠実に守った例って見た事ありません。(私も守った事ないですけど(笑))
相互不可侵条約の締結:
史実でも、イギリスが日本を条約に引き込み、アメリカを日本も受け入れる緩めの案で納得させる手段として温めていた。
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