447 「事件の傾向と対策(5)」

 私が少し事件現場の一つになるであろう鳳ツインビルの事を思っていると、善吉大叔父さんが、私の書いた『二・二六事件』を再び手に取る。


「これを読んだ限り、現状と随分違っているけど、その違いについての検証、そこから導き出される新たな可能性については、総研で分析しているのかい?」


「時田」


「ハイ、分析をしてあります。ですが、玲子お嬢様の夢で起きる事件の多くが、実際には近い状況にこそなっても、事件そのものが起きていない場合が殆どです。ですので、比較はあまり意味をなさないというのが、正直なところですな」


「だが善吉が気になると言っている。何か漏れがあるかもしれん。時間もあるし、この場でも少し見ておくか」


「畏まりました」


 少し前に概要説明はしたけど、確かに細々とした事件については触れていない。

 そしてこの手の話は私がしないと意味がないから、全員の視線が私に向く。


「一番の分岐点、違う点は、張作霖が殺害されなかった事。私の夢では、事件を起こした軍人が独断専行して、政府、軍中央の命令に従わなかったのに、重い処罰を受けなかった。これが全ての発端になります」


「皇道派という派閥が出現してないのもか?」


「はい、お父様。張作霖が南征をしていますが、私の夢では逆に蒋介石が国民党をまとめ、北伐をして中華民国を統一。そして蒋介石の政府は、徐々に日本敵視を強め、日本陸軍の中では意見が二つに分裂。

 日本陸軍内ではソ連への対抗を優先するか、その前に中華民国に一撃を加えて後顧の憂いを断ち、その上で、ソ連だけでなくもっと広い視野での日本の総力戦体制構築を図ろうという意見に分裂します」


「北進論と南進論だね。その情勢なら、どちらの意見も一理あるのは間違いない。だが、青年将校の政治化は、変わりないで問題ないんだね」


「はい、お兄様。日本陸軍の将校が、陸軍士官学校止まりと陸軍大学校進学組で、大きく分かれるのが根本的な原因です。

 ですが、私の夢と比べると日本経済は好調で、庶民の困窮は抑えられています。庶民の困窮を大きな要因とした将校の不満、政治化は、私の夢より抑えられている筈です」


「うん。まとまりがないとはいえ、全員集めても100人には到底届かないからね」


 そう、何割かは不満分子を抑え込めた筈だ。しかも、私の前世の歴史の惨状よりマシな状況しか見ていないから、憂慮が浅い可能性もある。

 だから私は強めに頷く。


「はい。そしてまとめ役の西田様が、あちら側にはいません。資金源も、私の夢より不足している筈です」


「まあ、そこはいい。それでその後は、何が起きて何が起きなかった?」


「満州事変で、陸軍は政府ならびに軍中央に指示を仰ぎました。これにより軍の独断専行は、再び起きなかった事になります。

 それに満州事変は、一部急進派が望んだ満州独立ではなく自治政府止まり。これを張作霖政府も認めた為、国際問題化しませんでした。その結果、日本は、事件前とほぼ変わりのない、諸外国との関係が維持されています」


「されていなければ、どうなっていたんだい?」


「国際連盟を脱退して、国際的に孤立します。そして数年後、国際連盟を脱退したドイツ、イタリアとの関係を深め、日本の軍国主義化が強まる大きな要因になります」


「犬養毅が襲われたのが、軍国化の引き金じゃないのか?」


「勿論そうです。海軍将校を中心とした犯人による犬養毅暗殺で、人々は軍人の凶行に怯えるようになり、日本の政党政治が事実上崩壊。軍国主義に大きく舵を切り、軍人、特に陸軍の発言権が大きくなります」


「それで、大きくなった発言権の奪い合いで、二つの勢力が内部抗争を始めるわけか」


「陛下からお預かりした軍事力で脅せば、何でも自分たちの思い通りになるのではと、考えた人が多く出たのは間違い無いでしょうね」


「現状でも、程度の差こそあれ近い状況だからな。永田さんも苦労されているよ」


「だが龍也よ、玲子が口すっぱく言っている軍人の独断専行の先例がないから、今までまともなクーデター計画すら立ち上がってないだろ。去年春の関東軍での一件を除けば、今回はほぼ初めてじゃないか?」


「はい。桜会もクーデターを辞さずという者もいましたが、目的は陸軍予算を大幅に削られた事への不満が形になっただけで、実際何もしませんでしたからね」


「まあ、桜会の急進派も、調べてみれば俗な連中ばかりだからな。とはいえ今回の連中は、ある意味最悪だな。連中から見ての奸臣と財閥を排除したら、自分達は責任を取って自害し、天皇親政の政府を民主選挙で作ってもらおうだったか?

 もう30も近いのに、連中は中坊か何かか? 玲子の言葉じゃないが、本当に善玉気取りだよな。気楽なもんだぜ」


 お父様な祖父が、ついに呆れ始めた。

 まあ、今回の青年将校みたいな人達は、お父様な祖父とウマが合うとは思えない。私も同様だ。

 ただ、お兄様の表情は少し苦い。


「その件なのですが、連中は『君側の奸を倒し、天皇陛下を中心とした国家とする』という考えが基本ですが、軍国主義路線は求めていないのです」


「で、お前の親玉の永田らは、合法的な形で列強に対抗し得る『高度国防国家』の建設を目指す、だったか? お前がさらに漸進的にするべきだと言っていたのは、もう無理なのか?」


「そんな事はありません。去年から始まった計画を始め、目的に向けて大きく動いています。ただ、急進的な考えの者も皆無ではなく、青年将校達の行動を利用して、自分達の都合良い方向に持って行こうという考えがあります」


「その一派が小畑らか?」


「はい。一夕会は、玲子の夢と違い今も一つのままですが、内部で対立が見られます。また、精神主義の者達、青年将校達の勢力が、陸軍全体で見れば脅威と言えるほど大きくならないので、なお一層内部での勢力争いに向かっているのが現状です」


「それだと、青年将校じゃなくて皇道派だったか、それがあった方が良かったのか?」


「そんなわけないでしょ。一夕会が割れていないお陰で、事件は幾つも起きていないのよ。青年将校の中核メンバーの村中、磯部も陥れられて軍を追われてないから、もしかしたら心理的に追い詰められていない、かもしれないじゃない」


「現状から考えて、それはないだろ。ああいう手合いは、多少の事で動きは変えん。まあ、一人で心の袋小路に進んだ奴は真崎さんを叩斬ったわけだが、玲子の夢だと斬られたのは永田だったか?」


「うん。統制派の中心人物として、永田さんが斬られるわね。けど全体的に見ると、政党政治が維持されているから、軍国主義、国粋主義の考えが表に出てきていないのよね。だから、酷い精神主義が横行してないだけかもしれないけどね」


「前のロンドン会議の時の『統帥権干犯』だったか。下らん問題を持ち出したもんだよな」


「それだけじゃなくて、『天皇機関説』と『国体』も持ち出して、利用するようになるわよ」


「世も末だな。『統帥権干犯』もそうだが、『天皇機関説』もタチの悪い難癖の類だろ。『国体』は右翼や国粋主義だけか?」


「それも『天皇機関説』とひとくくりね。それで私は、『統帥権干犯』も中途半端でたち消えたし、『天皇機関説』の話は聞きもしないから、今回の件も起きないかもしれないって、思いかけていたくらいなのよ」


「だが、現状より酷い景色を見たのは、玲子一人だ。不満を溜める奴は、状況が良かろうとやっぱり溜める、という何よりの証拠だな」


「けど、真崎大将は教育総監の罷免じゃなくて殺害だから、期待もあったのよ」


「まあ、お前の夢は有益だが、今回に限り現実を見るしかないだろ。第一師団まで、全然違う理由で動くことが決定して、連中は追い詰められた。もう、腹を括るしかないぞ」


「分かってる。それじゃあ、復習はおしまい。どうするのか、もう少し詰めましょう」


 そう、青年将校達が動くと決めた以上、こっちは潰して、こっちの都合にねじ曲げる算段を考える段階だった。

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