略歴年表2(転生から最初の湘南海岸)
1923年(大正12年)(3歳)
9月1日
主人公転生
関東大震災(玲子の父、大叔父が死去)
日本の景気悪化。銀行が多数倒産。鳳財閥も、急速に経営状況が悪化。
関東大震災により、首都圏に勢力を広げていた鳳財閥は大打撃を受ける。
秋頃
鳳一族の中枢の大人達が、玲子の特異性に気づく。
(玲子自身が、色々と書いたものを故意に放置した為。)
11月
ドイツ、ハイパーインフレーションが頂点に達する。
(1ドル4兆2000億マルク。以後低下、安定へ)
12月26日
玲子、叔父の龍也に翌日起きる悲劇を伝える。
12月27日
「虎ノ門事件」
この時期、皇太子だった摂政宮裕仁親王を襲おうとした難波大助を、鳳龍也が取り押さえる大手柄。
その後、重鎮など様々な人より賞される。
(史実ではこの事件で車が銃撃され、当時の山本内閣が総辞職)
1924年(大正13年)(4歳)
年始
新年に鳳一族が集合。
正月明け
玲子、一族中枢の大人達に呼ばれる。
そこで「夢見の巫女」と認められる。
そして鳳一族は、かつて手に入れた隠し財産を担保に、アメリカのダウ・インデックス株への大規模な投資を決定。
2月から7月
筆頭執事の時田、渡欧及び渡米。
巨大なマネーゲーム開始。5000万ドル相当の金地金を担保にダウ・インデックス株への大規模な投資。
さらに同額のレバレッジをかける。
4月4日
玲子、4歳の誕生日。
同世代の親族とささやかな誕生日会をする。
5月頃
アメリカで、『鳳投資資金 Phoenix Fund Investment(フェニックス・ファンド・インヴェスティメント = PFI)』設立。
6月11日
山本内閣が護憲運動で辞職し、初の政党内閣の加藤内閣(憲政会内閣)が成立。
9月1日
玲子、夢の中で本来の鳳玲子と対面。
転生の経緯などを知る。
秋口(9月後半)
鳳紅龍、玲子に接触。未来の薬の知識を共有。
以後、鳳紅龍は、新薬開発を熱心に進めるようになる。
10月初旬
鳳紅龍、『経口補水液』の初期的な治験、論文を完成。
10月下旬
鳳紅龍、脚気予防のビタミンB1の、米糠の乾燥酵母による単離・結晶化、にんにく(アリアチミン)による吸収効果アップを実現。
理化学研究所に全て伝え、その後の研究を任せる。
12月中旬
鳳紅龍、ペニシリンを発見。
北里研究所、慶應と協力して開発を進める。
世紀の大発見だが、帝大医学部などは事実上黙殺。
晩秋くらいから、鳳病院で使っている経口補水液の噂が、まずは東京から関東一縁に少しずつ広がりつつある。
当人もさらに詳細なレポートを学会などに提出。
1925年(大正14年)(5歳)
2月
鳳紅龍、ペニシリンの論文を欧米各国に送付。しかし、日本からの論文なので、欧米ではあまり注目されず。
しかし国内だけでなく海外特許の取得は進める。
論文も再度、さらに広い範囲に送付。
3月
鳳紅龍、次は抗生剤(サルファ薬)の開発。
ペニシリンの研究結果をヒントにサルファ剤を合成。
4月4日
玲子、5歳の誕生日。
5月
軍人の西田税、鳳の本邸を訪問。
ペニシリンで病(肋膜炎=肺炎と合併症)を治療したお礼を述べる為。
また、新薬普及の啓蒙活動を依頼する為に来訪。
夏:
蒼一郎が夏風邪を拗らせ、ペニシリンを使って治療。
残暑:
鳳蒼家の一族会議。
玲子が「夢見の巫女」だと知らされる。
同じ会議で、今後の財閥としての計画も発表。
既に株で成功しつつあるので、それを担保として資金を調達し、借金を返済すると同時に拡大を図る。
残暑:
鳳紅龍、ストレプトマイシンの開発開始。
秋から冬:
フェニックス・ファンド、史実通り推移するアメリカ株(ダウ・インデックス)の拡大で、時価総額が大幅に増加。
それを担保に資金調達して活発に活動。
日本、アメリカの双方で注目され始める。
晩秋:
鳳玲子、鹿児島の菱刈金鉱山を訪れる。
不思議な力で、有望な金鉱を発見。
この時期、玲子に護衛を兼ねた専属のメイド(シズ)が付く。
12月:
鳳紅龍、ストレプトマイシンの開発成功。
北里研究所の協力を借りて欧米に論文送付。
並行して特許申請、鳳製薬での生産準備なども実施。
麒一郎の結核罹患が判明し、早速新薬を用いて治療。
1926年(大正15年/昭和元年)(6歳)
1月
加藤高明首相がペニシリンのお世話になった事などで、少なくとも日本では鳳紅龍の名が知られるようになる。(史実では死去)
また欧米でも、ペニシリンの論文が欧米各国で注目され始める。(関連して他の新薬も。)
それらを今まで無視して隠しすらしていた帝大医学部が、民衆に包囲される事件が起きる。
4月
鳳玲子と玲子と同世代の子供達は、一年繰り上げで鳳学園もしくは学習院に入学。(1年飛び級入学)
5月
春の鳳財閥の園遊会
鳳玲子、山崎家(岩崎家)の勝次郎と出会う。また、涼宮輝男を拾う。
7月
『松島遊廓疑獄』(汚職事件)発生。(まだ水面下)
7月9日
蒋介石が『北伐』を開始。
夏頃
鳳玲子、遼河油田開発地域を視察。
鳳石油の社長出光佐三と歓談。
(約半年後に試掘成功。以後、急速に産油を拡大。)
11月
憲政会の加藤内閣、内相の若槻礼次郎が松島疑獄で告発された事で窮地。
鳳財閥、それまでの憲政会支持から政友会に乗り換え。
12月初旬
第16回衆議院議員選挙。
日本初の(男子)普通選挙実施。
(1925年3月に「普通選挙法」制定。)
選挙戦では、震災手形が特定財閥の支援も兼ねていると噂が広がる。
政友会勝利。犬養毅率いる革新倶楽部と連立し、田中義一を内閣総理大臣とした新内閣発足。
(史実のように革新倶楽部は合流しない。原敬が暗躍)
12月25日
大正天皇崩御。裕仁親王が践祚。昭和と改元。
1927年(昭和2年)(7歳)
3月中旬
鳳財閥と鈴木財閥が密会を重ねる。
鳳は鳳銀行からの鈴木への緊急融資を含めて同意。その後、政府からも了承を受けて、友好的企業買収で鈴木系列の企業の多くを実質的に買収。
鳳財閥が鈴木財閥を実質的に合併。
(鈴木商店の機関銀行(メインバンク)が台湾銀行から鳳銀行に変更。)
3月23日
震災手形の処理から特定財閥分を外すことで予算通過。
(史実の「昭和金融恐慌」発生は3月14日。)
元は台湾銀行にあった鈴木の不良債権(7000万円)が表面化。
しかし不良債権は、鳳銀行が引き受け。
3月24日
「南京事件」。大規模な暴動発生。
田中内閣、列強と連動して国民党に最後通牒。
日本は、列強の要請を受ける形で緊急派兵。海軍陸戦隊を上海、南京、特に暴動が発生している南京に派遣。
(日本軍は26日に到着。それは蒋介石が南京入りした日。史実では、日本は宥和外交の若槻内閣の為、出兵せず)
蒋介石が大きく動く前に決着。しかも事件を起こした当事者として、列強の矢面に立たされる。
列強に媚びた為、中華内からは蒋介石の人気急落。蒋介石失権して下野。国民党(含む共産勢力)は汪兆銘(汪精衛)が率いる。
(史実での蒋介石の「上海クーデター」は未発。国民党分裂せず。北伐、張作霖敗北、張作霖爆殺なし。田中内閣での「東方会議」も未発となる)
3月26日
「鳳金融持株会社」設立。同時に「鳳グループ(鳳企業集団)」設立。
財閥自体も持ち株会社の鳳会社を解体し、鳳金融持株会社(鳳銀行)を機関銀行として合併、再編。
実質破綻した鈴木商店を飲み込み、鳳財閥の実質的な巨大化。一気に大財閥(五大財閥)の一角に躍り出る。
ただし、しばらくは合併と再編、整理が続く。
その中で全体の親睦会を行う「鳳凰会」を設置。
三井などからは強い反発。
(台湾銀行などは特に問題なし。昭和金融恐慌未発。銀行の統廃合、大財閥の強化は史実より鈍化。)
4月
鳳の年少組が学校に入学。瑤子は主人公の後輩になる。
同月
鳳玲子、「家臣団」の形成開始。
他の親族の子供達共々、将来の側近候補が鳳の小学校に入学。
また屋敷にも下働き、女中などで一部の者が入ってくる。
多くは鳳一族、中でも子供達に忠誠を尽くすしか生きる道がない子供達。
主人公、将来の最側近となる女の子と顔合わせ。
同月
「北京ソ連大使館襲撃事件」
張作霖、国民党の容共姿勢を見て反共姿勢を強める。(列強から援助を受ける為。)
反共が基本の欧米諸国も張作霖を支持。
5月
張作霖、「南伐」実施。
日本政府、張作霖支援の動きを強める。
張作霖(北京政府)が勢力を拡大。
張作霖を日本が支援している為、華北、華中軍閥の多くが張作霖に付く。
5月吉日
鳳家の園遊会
夏
鳳一族、江ノ島に避暑
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