339 「国連脱退」

「ヨッシャー! キタっキタっ!」


「……何を仰りたいのか今ひとつ分かりませんが、喜ばしいのでしょうか?」


 鳳総研の小さな部屋で、貪狼指令が私を怪訝な目で見る。けど、その気持ちも分かる。国際的な平和体制に大きなヒビが入ったからだ。

 だけど、前世の歴史を知る私としては、望んでも得られないと思っていた状況に喜びしかない。私の前世だと、この春に日本も国連脱退して、ドイツとはボッチ仲間となる。

 けどこの世界の日本の現状は、ボッチどころか国連常任理事国という国際社会のカースト上位だ。


「最高でしょ! 日本は国連常任理事国だから、ドイツを叩き放題よ!」


「では、ドイツを叩くのですか?」


「叩かなくても、日本とドイツの関係が悪くなればなるだけ良し!」


「お嬢は、本当にナチス政権嫌いだね」


 一緒にいるお芳ちゃんが、いつもの呆れ顔。私はそれに、ドヤ顔ばりの表情を返してあげる。


「エエ、大嫌いよ。公言しても良いくらい。一党独裁、秘密警察、人種差別、代金後払いの偽装国債、秘密裏の軍備拡張、それに今回の国際協調体制からの離脱に国連脱退。数え役満でしょ。その上ドイツは、蒋介石に武器を売って軍事顧問まで派遣しているのよ。これを叩かないでどうするの? 礼讃(らいさん)するとかあり得ないでしょ!」


「アカ叩きに統制経済、それに全体主義だから、右翼、国家主義者、陸軍の一部には大好評だけどね」


「日本は平和で好景気なんだから、そんな連中少数意見じゃない。貪狼司令、頼むわよ!」


「お任せを。言葉で叩くのは得意分野です」


 私の言葉に、貪狼司令が極薄い笑みを浮かべつつ恭しく一礼した。

 そんな私が歓喜した10月14日、今年の豊作対策で動いている頃、ドイツが「ジュネーブ軍縮会議」と「国際連盟」からの脱退を声明した。世界的には、ドイツによって国際的な集団安全保障が拒否された事になる。


 この件でイタリアは、欧州諸国で会議を開いてドイツを何とかしようと話を持ちかけていたけど、ドイツへの妥協とか軍備拡大とか絶対に認めないフランスが断固拒絶。

 それも、この日のドイツの決断につながっていた。


 世界大戦後のフランスは政治が全然一貫していないのに、ドイツが力を付ける話になる時だけ一致団結して拒絶するのでたちが悪い。

 それに、前の大戦後の縛りが強すぎるから、フランスが押さえつけようとする動きにドイツが反発するのも仕方ないと同情はする。


 なお「ジュネーブ軍縮会議」は、1932年から33年の第1回と、34年の第2回の2度開催されていた。

 この会議は陸海空軍全ての軍縮について話し合う会議で、国連主催だから日本も常任理事国として参加していた。しかも国連に加盟してないアメリカやソ連も会議に参加しており、世界64カ国、この時代のほぼ全ての国が会議に参加すると言う大規模なものだった。


 それを、何だかんだあって、ドイツが蹴ったと言うのが実質的な結末だった。

 戦争を避けるための話し合いなのに、結局亀裂を深めるところに業の深さを感じてしまう。


 そして日本は、私の前世の歴史とは違って、ドイツに迷惑を受けた側となった。

 満州事変は最低限の穏便さで収まり、上海に手を出してないので列強というかイギリスは大人しく、日本の国際連盟脱退もない。

 アメリカ政府は満州市場を開けと文句を言っているけど、アメリカ以外の列強はアメリカ空気読めなさすぎと思って、日本に同情的なほど。


 中華民国は、満州だけでなく各地に臨時政府が立って分裂しているし、そもそも日本が後ろ盾になっている張作霖の政府が正当な中央政府だから、満州の件で文句は言ってこない。

 それどころか、日本中心に列強が輪になって張作霖を支援して、軍事と経済を建て直し中。


 そしてここでも、ドイツが空気読めない行動に出ていたので、日本のドイツへのヘイトが溜まりつつある。

 ドイツとしては、列強からハブられたので、以前の取引相手の国民党に武器生産と売買をしているけど、ドイツ以外から見ればチャイナの平和を乱している動きになる。


 そもそもドイツは、日本を見下しているから気にすらしていない。

 それなのにドイツは、日本が満州でしている事と同じだと反論し、チャイナでは他の列強も五十歩百歩なのもあって、一旦は黙認という形になった。

 けど、今回の一件で全部ご破算。ドイツは、自分から鎖を引きちぎる事で勝手に動けるようになってしまった。

 当然、世界中から不審の目で見られるようになる。


 けど、今回の件で困るのは、蒋介石の南京臨時政府だ。何しろ勝手に自治を言っているだけで、世界の誰も認めてはいない。この点が、日本が全面的に後ろ盾をしている満州臨時政府との決定的な違いだ。

 列強は蒋介石の事を、大陸中央の共産主義者を叩くための道具程度にしか思っていない。

 そしてその道具は、自分たちの輪から外れたドイツとの関係が深い。


 蒋介石は、張作霖の下に戻ってドイツとの縁を切るか、ドイツと仲良くして張作霖、つまり列強に歯向かうかの決断を迫られる形になってしまった。

 ただ、私には気になることがある。私の前世の歴史が、頭の片隅でチラついた。


「ねえ、南京臨時政府の動きに注意して」


「何かご懸念が? むしろ窮地に陥ったと考えられますが」


 貪狼司令が、口では楽観論を言っているけど、眼鏡の奥の細い目が警戒を放っている。


「窮鼠猫を噛むよ。蒋介石が、誰かに大陸民衆の憎しみを集めるよう、動く向きが強まるかもしれない。それにアメリカとか向けに、反日ロビー活動とかプロパガンダをするかもしれない。多分、もうしてる」


「共産党を放ってですか?」


「共産主義者を叩けって言う列強は、ドイツと対立状態に入ったから、蒋介石が言うこと聞く必要もないでしょう。最近はドイツと仲良くなったせいで、お駄賃もくれないし」


「共産主義者を叩くのは、中央政府の張作霖の役目って責任転嫁して、大陸民衆の支持を集めやすい列強叩きと言うわけですか。さらに外からは、アメリカに叩かせる。その哀れなどなたさんの目星は?」


「分かってて聞かない」


「日本に決まっているよね」


 黙って聞いていたお芳ちゃんが、私の言葉に頷き返す。貪狼司令も小さく首肯。

 そして貪狼司令が、少し思考した上で口を開いた。


「まずは、自らの勢力圏内での日貨排斥の強化。次に張作霖政府を、列強の言いなりだと非難。並行して周辺軍閥の取り込み。場合によっては、広州臨時政府との和解か共同戦線、と言ったところでしょうか」


「広州には、共産党も近づこうとしているけどね」


「広州は周辺軍閥の支配力も弱いし、今は考えなくていいでしょう。日本としては、列強との連携強化と中華民国政府への支援強化、それに蒋介石の政府への圧力強化くらいかな?」


「いっそ、大陸の陣営同士で戦わせても一興でしょうな。軍需が増えて、ドイツですら喜ぶでしょう」


 貪狼司令が悪党すぎる提案。半分は冗談だけど、その可能性も出てきたと言う事だ。

 けど私は、首を横に振る。


「それで共産党が漁夫の利とか最悪だから、張作霖主導での共産党叩きに話を持って行かせるのが良いでしょう。お父様にも話しておくわ」


「そちらはお願いします。こちらも新聞など、打てる手を打ちます。それと、連中の海外でのロビー活動、プロパガンダの方も」


「うん。早い方がいいからお願いね」


「大陸はそれでいいとして、ドイツは今後どうなるかな?」


「欧州諸国が、何とか協調路線に戻そうとするでしょうね。前の大戦のトラウマがあるから、戦争はもちろん軍備拡張競争すら忌避しているし」


「けど、お嬢は否定的なんだ」


 そう言って、私を見ていた赤い目が私に注がれる。

 だから私は軽く溜息をつく。


「何度も話したでしょ。そろそろ例の手形がドイツで動き出すから、ドイツは行くところまで行くわよ」


「既に『MEFO』の名は、ドイツ国内に出てきているようです」


「ついに出てきたか。情報収集だけしておいて」


「他に漏らさないので?」


 探るような視線。けど、期待はしてない視線だ。


「私の与太話の証拠は? 多少は噂を流してもいいけど、うちが出どころって気取られないでね。ナチスは陰湿だから」


「勿論です。その手の事はお任せ下さい」


 そしてごく薄い笑み。本当にこの人は、こう言うことが大好きだ。お父様な祖父が重用するわけである。

 そして性格はともかくする事がダークサイドだから、ここにはマイさんを連れて来れない。あの人はお日様の下を歩く人だから。一方で、陽の下でこうして私達と悪巧みをするお芳ちゃんには、諦めてもらうより他はない。ただ、当人がかなり楽しそうに仕事しているのが、ちょっと救い難い。

 だから私は、私と同じくらいどうしようもない人達に、苦笑いでもため息でもなく、悪い笑みを向ける。


「お願いね。それとくれぐれも気をつけて事に当たってね」



__________________


1933年10月14日

ドイツ、ジュネーブ軍縮会議と国際連盟からの脱退声明。



『MEFO』:

メフォ手形。ドイツは、国債を出すと通貨を増やさないとダメだが、そうなるとインフレが進む。インフレを避ける為の代替手段。

名前は手形だが、国立銀行が保証した実質的な偽装国債。大半が軍備増強に当てられた。1933年夏くらいから開始。


償還期限が5年あり、ペーパーカンパニーを介したので誰もが実態に気づくのが遅れた。

しかもナチスは、最初から踏み倒すき満々。そして38年にはほぼ破綻状態。


ハイパーインフレ覚悟で返すために国債を出すか、別のところから金を持ってくるか、つまり他の国から金をぶんどってくるかの二者択一となる。


1933年から1937年までの、国家予算枠での軍事費120億ライヒスマルクに対して、メフォ手形によって捻出された額は204億ライヒスマルクに及ぶ。

たった数年で、機甲軍団や巨大な空軍が湧いてくるわけである。

(当時の日本円に換算すると、約280億円。ドイツのGDPは日本の約5倍。)

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