322 「満州再び」

(そう言えば、あの青い機関車ってまだ走ってないのか)


 6月中旬、自前の高速船で横浜から大連に着いた私達は、満鉄の特急にゆられつつ一路北を目指す。

 乗っている特急の愛称は『はと』。日本国鉄の機関車よりでかくて力強そうだけど、日本の特急『燕』よりほんの少し遅いらしい。


 そんな列車に揺られつつ、ロシア人が沢山住む哈爾濱(ハルビン)を目指す。そしてそこから、斉々哈爾(チチハル)へと向かうけど、目的地は二つの都市のほぼ中間点。

 すでにそこでは、出光さんたち鳳石油の人達が油田の試掘を始めている。


 今回の旅のお供は、女子がマイさん、シズ、リズでおしまい。遊びに行くわけでもないし、身軽な方が良いから、いつも身の回りの世話をするメイドはお留守番だ。男の使用人も護衛できる人だけ。

 そして満州の玄関口の大連の港で、現地合流もした。



「これは姫、遠路満州までのお越し、誠に光栄に存じます」


 そう言って慇懃に、しかし豪快に頭を深々と下げるのは、王破軍。私がワンさんと呼ぶ、見た目2メートルに迫るフィジカルモンスターだ。出会ってそれなりの年月が経つけど、全然見た目が変わってない。

 けど今回は、ワンさんを若くした感じの人が一緒だった。


「この者は、王(ワン)武曲(ウーチー)。不肖、わたくしめの息子の一人に御座います。今後、お見知り置きのほどを」


「お初にお目にかかります、鳳玲子様。ご紹介にあずかりました、王武曲と申します。粉骨砕身、鳳に尽くさせて頂く所存です」


 親に似ての、見た目の若々しさに似つかわしくない太い渋めの声。何より、筋肉好きな人なら喜びそうな若々しい筋肉が、スーツの下から強く主張している。見た目の背丈と体格は父親より少し見劣りするけど、数年後には似た感じになると思わせる。年の頃は、ハイティーンってくらいだろう。

 けど、武曲と名乗った。武曲(むごく)は北斗七星の一つだ。まさか親子とは、予想だにしてなかった。けど、それはあくまでゲームの中での話のはず。内心の驚きを押し込めて挨拶する。


「初めまして、鳳伯爵家嫡子の玲子です。こちらこそ、宜しくお願い申し上げます」


 私の言葉にさらに「ハッ!」と元気な返事を聞いてから、ワンさんに疑問を投げかける。


「それでワンさん、殿下の方のお勤めは?」


「気抜けするほど情勢が静かになったので、お役御免となりました。そしてこれよりは、一族を挙げて鳳の新たな土地を守らせて頂く所存。その旨も、殿下より託されて御座います」


「鳳の者として、新油田を守ってくれるのね」


「左様です。殿下も、それが良かろうと」


「川島さんらしいなあ。それで殿下は?」


「退屈しておいでです。そこで、もし叶うのであれば、お時間をいただきたいと。そして奉天にて、執政閣下に御目通りして頂きたいとの言葉を殿下より預かっております」


「溥儀執政閣下と?」


「左様にて」


「新京ではないのね」


「あそこは、日本の援助で町の建設が始まったばかり。執政閣下は、現在奉天の瀋陽故宮にいらっしゃられます」


「そうですか。お言葉承りました。謹んで御目通りさせて頂きます」


(ラストエンペラーかあ。私、会っていいの? けど、断るって選択肢ないパターンよね、これ)


 言葉を返しつつも、心はドン引きだ。



 そうして予定を変更して、まずは奉天へ。進行方向は予定地と同じなのが救いなくらいだけど、スタッフ共々かなり慌てさせられた。

 何しろ予定外の突発事態。しかも御目通りは明日。そして、私には溥儀の前に立つに相応しいだけの服がない。取り寄せる時間もない。

 けれどもワンさんは、心配ご無用と言うばかり。まあ、お膳立ては整っていると思うしかない。何だか、大陸に来たらこんなのばっかりだ。


 奉天駅を降りると、駅前に車列。高級車も止まっているし、私達が何かをする前にワンさんが仕切る。

 そして車の列にドナドナされて、数百メートル進んだ奉天大広場に面した奉天ヤマトホテルへ。ここはかつてはロシアが、そして今は日本が作った新市街の中心部で、広々とした円形の広場に面して主要な建造物が並んでいる。


 滞在する奉天ヤマトホテルは、この時代の満州で最高格式だから文句の言いようもない。

 けど、私は文句の一つも言いたくなった。

 玄関ロビーへと入ると、見覚えのある顔が満面の笑みを浮かべていたからだ。


「アッハッハッハ! 玲子の不意を打てたらしいな。実に痛快だ!」


 川島芳子、愛新覺羅顯㺭殿下だ。

 私の顔を見るなり大笑いして、そのまま向こうから元気そうに歩み寄り、私の肩をバンバンと嬉しげに叩く。以前と違い、背丈はもう私の方が高くなってしまったけど、存在感は川島さんの方がまだまだ上だ。

 その川島さんが、私を少しだけ見上げる形になる。


「2年も経ってないのに、大きくなったな。それに綺麗になった。後ろの美人は、一族の者か?」


 相変わらず、好奇心旺盛らしい。


「お初にお目にかかります。鳳舞に御座います、殿下」


「うん。玲子には、身近に手綱を握る者が必要だから、よく握っておくのが良い。私も以前振り回された」


 私の斜め後ろで、マイさんが深めのお辞儀をする。

 そんなやり取りの間、私は終始半目で見返してやる。けど、この異郷で顔見知りが居るのは安心感もある。


「今現在、私も殿下に振り回されております」


「前回の仕返しだ。だが、全て整えてある。だから今夕は、私に武勇伝でも聞かせてくれ。色々伝わって来ているぞ」


「殿下ほどではないと思いますが?」


「謙遜するな。それに期待している。この満州の大地も、日本のごとく作り変えてくれ」


「殿下、そのお話は……」


 川島さんの側の側近らしい人が、少し慌てている。確かに、高級ホテルのロビーで話すような事じゃない。

 川島さんも、「分かっている」と手で振り払うような仕草付き。ただ、側近に返す表情はあまり良くはない。窮屈な思いをしているくらいなら良いのだけれど、と思えてしまう。


 そうして休憩後に夕食を共にして、用意された話すための部屋に落ち着く。

 夕食では、秘書として同行したマイさんも、川島さんが鳳の一族の者として扱ったので同席しての会食。私の秘書とはいえ、男と同じように働くマイさんを、川島さんは羨ましさ半分で気に入られた。



「さて、ようやく本題に入れるな」


「明日の予定ですか?」


「それは余興だ。まあ、陛下はお会いになるのを楽しみにしておられたし、多少は政治的な意味も認めはするがな」


 いきなり、色々本音を言われてしまった。

 そしてロビーでの会話から、鳳グループの満州進出を巡る話も知っていると伝えられたわけだから、本題についての予測も付く。とはいえ、こちらからは切り出せない。


「執政殿下に御目通りするのが余興なのですか」


「少なくとも、関東軍の者共はそう見るだろう。連中にとっての満州自治政府など、仮の姿、軽い神輿、いつでも捻り殺せる赤子のようなものだ」


「そこまで圧力が強まってきているのですか? 日本にいると、関東軍は攻めあぐねているように見えたのですが」


「そうだ。だから、脅し以上はない。連中も、命令違反はしたくないらしい。乱世を自分たちで作りつつあるのに、何とも官吏のような連中だ」


 その言葉で、今の関東軍の人事の資料を思い浮かべる。

 満州事変から2年近く経っているから、人事が少し変わっている。石原莞爾も満州を離れて、去年の夏は軍縮会議でジュネーブへ。さらにこの夏には、郷里の連隊長をするらしい。そして今は、少し前まで入院中だったそうだ。

 私は石原莞爾に、あんたが北満州油田見つけると言ったけど、満州にいないんじゃあお誘いするのも難しそうだ。


「土肥原少将は、少し違う気がしますが」


「土肥原は確かに例外だ。だが、油断ならん。あれがいなければ、関東軍などただの暴力集団だから、もう少し対処も出来るんだがな」


「今回の件も、土肥原少将ですか?」


「そうだ。どこかの旅団長をしているというが、アレを満州に留め置く為の日本陸軍の人事の都合に過ぎん」


「それで殿下は、鳳の今の満州での立ち位置と方針はご存知と考えて宜しいのでしょうか?」


「宜しいぞ。鳳財閥の満州引っ越しはなし。石油利権で日本の有象無象と対立中。土肥原が苦笑いしておったよ」


 そこまで言って軽く笑う。

 そしてその笑みが、凄みが加わる。


「それで鳳は、いや玲子はどう決着を付ける?」


「まだ始まったばかりなのに、先は見えていませんよ」


「そうなのか? 関東軍の短気な連中は、鳳が裏切ったとお冠らしいぞ」


「裏切るも何も、うちは商人なんですから、利のない事はしないし、お得意様には良い顔するに決まっているじゃないですか」


 半ば演技の呆れ顔をしてやると、川島さんが豪傑笑いをする。


「同じ事を、あの頭の固く視野の狭い連中に言ってやると面白そうだな。どんな顔をするか目に浮かぶ」


「私、自殺願望はないので、軽口を言う相手は選びます」


「それが良かろう。本当に、あいつらは冗談が通じない。狸の土肥原が、真人間に見えるほどだ」


 そう言ってまた笑う。

 そもそも関東軍は、司令部の一部を除いては日本陸軍内でエリートとは言えないから、人材が一流とは言い難い。日本にとって重要度が高いとは言え、日本本土から遠く離れた植民地警備軍だ。本当に優秀な人材は、陸軍省と参謀本部にいる。関東軍内の優秀な人材も、中央からあえて派遣されたか、土肥原少将のように無くてはならない人くらいだ。

 満州事変以後は、駐留軍の数も増えて重要度が格段に増したから少し変化しつつあるけど、あまり褒められない人は常に一定数いるらしい。


「その狸さんとも、私は会うのでしょうか?」


「いや、それは無い。流石に任地を簡単には離れられんようだ。玲子たちの護衛諸々も、満州自治政府の兵が付く。それと王を返したが、あれの下にかなりの兵を付けてある。好きに使え。元々は、玲子からもらった金で作った軍隊の一部だ」


「確か、旧ソ連利権の地域には、関東軍じゃなくて、日本陸軍は少数の鉄道警備隊以外は駐留できないんですよね」


「そうだ。そこが我々の狙い目でもある。この点は、自治政府の効果がよく活きている。それにだ、鬼より怖い関東軍も赤いロシア人は怖いらしい」


 そう言ってまた豪傑笑い。そして笑いを収めると、真剣な目で私を射抜く。


「というわけで、話を聞こうか」

 

 今回の満州遠征も、色々とありそうだ。



__________________


あの青い機関車:

あじあ。南満州鉄道(満鉄)が、1934年(昭和9年)から1943年(昭和18年)まで大連駅 - 哈爾濱(ハルビン)駅間の約950kmを連京線・京浜線経由で運行していた特急列車。超特急とも呼ばれた。



瀋陽故宮:

盛京皇宮。清朝の初期の頃の都。その後は副首都、離宮となる。

現在は、一部が博物館になっている。



奉天ヤマトホテル:

1929年に現在の建物になる。現存していて、今も営業中。

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