316 「昭和8年度鳳凰会(3)」

 食事の皿が一旦空いたので、軽くお茶に口をつけつつ少し周囲を見渡す。

 去年と比べると、私の周りのアメリカンが減ったのが私的には一番大きな違いだ。セバスチャンは出張中で、トリアは国に帰ったからもう私の後ろに控えてはいない。

 セバスチャンは王様達との繋がりはないから、こっちからパイプ役を求めた方が良いかもと真剣に考えさせられる。


「気になりますかな?」


 視線だけで時田に見透かされた。だからカップの中で、小さく苦笑する。


「うん。アメリカの買い物はひと段落だけど、太いパイプは欲しいかなって」


「ランカスター様が、いずれなって下さいますでしょう」


 それまで少し我慢しろって事だ。だから続けて小さく苦笑を浮かべる。


「そうね。1年、2年は不便を我慢しないとね。それに、買い物でアメリカの王様達への相応の義理は一通りは果たしただろうから、居なくても大丈夫でしょう」


「それ以上ではありませんかな?」


「アラブの石油利権?」


「はい。鳳が得た権利の一部は、王様達の陣取りゲームが終わるまで預かっているもの。これだけで、お釣り以上かと存じますが?」


「それは向こうがどう考えるかね。私としては、こっちがお金を預けているから、向こうは油田を預けたくらいにしか思ってないわ。だから買い物の方も、それなりに続けるわよ。どうせ、アメリカから買わないとダメなものは、日本にまだまだ沢山あるもの」


「左様ですな。それで、ドイツの方は?」


 私と違い時田は、ワイングラスを揺らしつつ優雅に小さく口を動かすだけだ。


「セバスチャンが、用事のついでに買い物してきてくれるわ。まあ、ドイツからどうしても欲しいものは一部の工作機械と精密機器くらいだし、ドルを渡せば二つ返事で売ってくれるでしょう」


「はい。これまでも購入は順調でした。しかし、今後は買い控えられるのですかな?」


「メートル・グラム法の良い道具だから、欲しいと言えば欲しいわね。けど、虎三郎の準備も整ってきたし、いい加減自力で本格的に作り始めて良いんじゃない? アメリカ製のヤード・ポンド法の機械だらけなのは、国産に向けての格好の理由になると思うし」


「なるほど、そういう読みがあったのですね。感服致しました」


「知っているくせに」


 横で聞いていた貪狼司令が、かなり感心げな表情でこちらを見る。けど、異相だけど表情が分かりにくいのが、この人だ。付き合いが長いからだいたい分かるようになったけど、未だにたまに表情を読み損ねる。

 一方の時田は、感慨深げだ。


「敵いませんな。それにしても、玲子お嬢様がお生まれになる前から進めてきた事業が、ようやく実用段階にまで到れたのは、ひとえに玲子お嬢様のお陰で御座います」


「ん? 私は何もしてないでしょう。むしろ、アメリカからどんどん買い物して仕事ばっかり増やして、虎三郎の邪魔してると思うんだけど」


「いえいえ、とんでもありません。工作機械を自力生産する為に長い時間が必要なのは勿論ですが、莫大な投資があればこそです。10年前の鳳にはそれが無かった」


「そっか。まあ、お金があれば、大抵の事は叶うわね。そういえば、日本のお金の動きは? あそこ、一つに固まりそう?」


「年内には一つになるかと」


(ついに三和銀行誕生か。と言っても、私的には三菱UFJ銀行かな? 最終的に三菱ともくっつくとか、思いもしないだろうなあ)


「如何されましたか?」


「また強敵登場だなあって。うちの拡大も頭打ちだしね」


「同じ事を、27年の春に他の財閥も思った事でしょうな」


「そうね。つまり鳳も追われる側になったって事か」


「合併して体制を立て直そうとしている3行は、27年の春は鳳より上の立場ではありましたが」


 そう結んだ時田は、少しドヤ顔。麟様達の悪巧みですら1920年なので、私の歴史チートで膨れ上がる前の鳳銀行は、中堅どころか弱小銀行だった。時田達は苦労させられたんだろう。

 だから私も、大きな笑みを返す。


「じゃあ、もう一度追い抜いてあげましょうか」


「はい、玲子お嬢様」


 時田は実にいい笑顔だ。

 なお、先の世界大戦、第一次世界大戦が終わった後の戦後恐慌頃から始まった日本での銀行の統廃合は、自然淘汰を中心に進んで、大財閥への集中がひと段落ついた。

 その最後の仕上げが、時田と話していた三十四銀行・山口銀行・鴻池銀行が合併するという話だ。まだ、三和銀行という名前になるのを知っているのは私だけで、もしかしたら違う名前になるかもしれないけど、名前は正直どうでもいい。


 私的には、私が日本経済を強く意識するようになった1926年から7年間に、乱立状態の銀行の数が半分以下に減った事だ。けど、減ったと言っても本当の倒産じゃない場合が多い。

 基本的には吸収合併。倒産もあるけど、倒産した後に吸収されたところも少なくない。


 そうして1926年に1420行もあった日本の銀行数は、この春までに650行にまで集約されていた。半分以下だ。

 ただ私の前世の記憶にこびり付いている教材の資料集に載っていた表かグラフだと、500行台だったように覚えているので、それが昭和金融恐慌が未発だった影響なのだろう。


 そして銀行の数が少なくなるのに並行して、預けて安心な大財閥が有する銀行への預金がさらに集中していった。

 三和が成立する現段階での『6大銀行』が、特に大きい銀行とされている。ただし1926時点で鳳は弱小だったし、20年代半ばくらいは多くの銀行が乱立していたので、極端な表現をされる事はなかった。


 そうした中で頭角を見せた大銀行が、三井、住友、三菱、安田、第一の5つ。そして29年くらいに鳳が加わり、『6大銀行』となる。渋沢栄一が作った第一は銀行だけなので、第一が抜けると『5大財閥』になる。

 そして銀行の指標である預金額、日本中の預金総額に対する割合は、1926年に5行で24%と僅かに4分の1を下回っていたのが、33年までには6行で40%を超えていた。

 これに、今年中に全体の8%を有する三和銀行(仮)が加わると、五割に達する。


 そして7大銀行のうち、住友、三和が大阪が地盤で、他の三井、三菱、安田、第一、それに鳳が東京が地盤になる。

 けど、私の知る歴史上での戦後ほど、どの銀行も全国展開をしていないと思う。だから支店数で見ると、3つの中堅が合体する三和が出張所を含めた支店数では圧倒する予定だ。

 ただし単なる支店数だと、多くの銀行を合併してきた安田がダントツのトップだ。


 逆に支店数では、鳳が一番少ない。現在、瀬戸内、東北を中心に数を増やしているけど、それでも支店数では少ない部類にしかならない。

 急速に膨張した大銀行だから、仕方ないといえば仕方ない。それに、同じく支店数の少ない三井、三菱とは大差ないから、気にするほどでもないらしい。

 それに銀行の力は金だ。私がそれにしか寄る辺がないから、そう思うのかもしれない。けど、金を預けてもらい、それを貸してこその銀行だ。


 そして鳳銀行ではなく鳳ホールディングスは、世界恐慌に端を発する昭和恐慌の中でも最も成長した銀行だった。預金総額に対する割合は、32年度終了時点で日本全体の約7%に達している。

 それでも7大銀行のほぼ末席だけど、自己資本が多いし、諸々の金融機関を内包したホールディングス形式だし、何より傘下にフェニックス・ファンドがある。


 フェニックス・ファンドは、この3年ほど日米貿易収支に大きな影響を与えるほどアホみたいに買い物して、保有する現金は激減した。それでもアメリカ・ダウ・インデックス株などへの再投資で、3億ドルの元手は既にかなり増えている。

 しかもまだダウ平均株価は60ドル程度で、今後も膨れ上がっていくのは確実だ。アメリカ経済が、もう一度大崩壊でも起こさない限り増え続ける。

 そして日本は大幅に円を切り下げて、現状では1ドルが約3円だから、アメリカに置いているドルと株の価値はさらに高まっている。しかも、買い物も全て終わったわけじゃない。


(まあ、アメリカに日本資産凍結とかされたらガチで泣くけど。それ以前に、私的にその状態はゲームオーバーも同じよねえ)


 変なところまで考えが及んでしまったところで次の料理がやってきたので、目の前のおっさん達向けの貼り付けた笑顔を本物の笑顔にする。


「やっとメインディッシュね!」



__________________


三和銀行:

1933年(昭和8年)12月に、いずれも本店を大阪に置く、三十四銀行・山口銀行・鴻池銀行の3行合併により創立された。


これが20世紀末からのメガバンク再編で一旦はUFJ銀行になり、さらに三菱東京UFJ銀行となる。



安田銀行:

戦前の日本最大の銀行。戦後の富士銀行。この銀行を機関銀行として、3つの財閥系列だった企業により芙蓉グループが形成される。

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